第2話 『みちくさ道中』
私は木内昇さんの文章が好きだ。分かりやすいし、テンポが良い。歴史小説が苦手な私でも、木内さんの小説は読める。
その木内さんの書いたエッセイである『みちくさ道中』(2017/7/20出版、集英社)は、私が少し毎日が苦しかったときに読み、勇気と元気をもらえた作品である。
それについての感想を、約二年前に書いた。第二話では、それを紹介しようと思い、埋もれていた過去の日記を掘り出してきた。
人生なんて、道草を食うようなもので良いのだなあと、思い始めている。
そう思ってみると、何故私はこんなに「結果」みたいなものを求めていたのだろう、なんで生真面目に考えすぎていたのだろう、という気持ちが生まれ、心がふと軽くなる。
私がそんなふうに思えたのは、木内昇氏のエッセイ『みちくさ道中』を読んでいる最中だから。ずっと前に川崎の丸善で購入して、今読んでいる。
よく、目的もなく書店をぶらぶらと歩いて、棚をぼんやりと見ていると、本が呼んでいると感じることが起きると言われるが、この本との出逢いはまさにそれだった。まさか自分にそれが起こるとは思っていなかったのだけれど。「こんにちは!買って!」なんて本が喋りだしたわけではないけれど。書棚に並べられていたこの作品は、確かに存在感を放っていた。
本を読んで、今のこの、「はっきりしない時間」は決して敵ではないし、無駄なんかではないのだと思えた。
私一人だけ、人生の迷子のように道をうろうろしていて、ひどく心細くて、不安で、焦っていた。この焦りの時間は、次のステージへと行く過程のときで、移り変わる時期なのかもしれない。とてもノロノロペースだけれど。
“道草を食うこの時間は、決して無駄ではない”。
それは、この先きっと良い未来が待っているとか、苦しんだ分嬉しいことがやって来るといった、未来への大きな期待のような気持ちからではない。
自分が勝手に設定したゴールに向かわなければ、といった焦りや不安から、そっと解き放れたような、そんな感覚だ。
形にならない、今この瞬間をもっと私は大切にしたいし、楽しみたい。
以上が、過去の日記の内容となる。読みにくい部分は添削した。
私は今でもこの本が好きだ。辛いことがあったときに読み返している。そしてそのたびに心がホッとしている。
さて、この日記を書いたのは、先ほども申し上げたが約二年前。…私は変われただろうか。この二年間色々なことがあった。そして色んな人に出逢えた。この二年間は、私にとって、とてつもなく内容の濃いもので、これからの私を支えることだろう。そしてそれによって、私の周りの大切な人々をも支えるだろう。
良いこともあった。あり得ない位辛いこともあった。それさえも、今の私を支えているというこの不思議な現象。
今が辛い人はこの本を読んで元気を出してね、なんて簡単には言えない。
ただ、私のこの文章を読んで、少しでも、ああ、世の中にはそんな本があるんだなあと、ぼんやりとでも思ってほしい。この作品の存在を覚えていてほしい。
私は文学少女でもなかったし、読書家でも無いけれど、沢山の良い本に出逢えた。その本たちを、この『つれづれなるままに』で少しずつ紹介していけたらなと思う。
※辛いことの具体的なことを、私はここで省いたので、分かりにくい文章であったかもしれない。そうだとしたら、ごめんなさい。読んでいただき、有難うございました。
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