第2話

 


 萌絵と関係ができたのは、自然の成り行きだった。“秘蔵っ子”が形を変えて、“男”になったまでのことだ。人前で呼ぶ“先生”が、ベッドの中で“モエ”に変わるだけのことだ。


 母親の裸体を想像しながら、萌絵の豊満な乳房を掴んだ。まるで、乳を欲しがる乳飲み子のように……。


 ――一次審査で初めて萌絵を視た時、俺を棄てた母親を彷彿ほうふつとさせた。


 俺の腕の中で乱れ狂う萌絵を見下ろしながら、母親を抱いているような錯覚を覚え、喚きたいほどの絶頂感に興奮した。



 歌の方は売れ行きも順調で、テレビにラジオにと出演依頼が殺到し、文字で埋まったマネージャーのスケジュール帳には立錐りっすいの余地もなかった。



「えー、本日のゲストは、『秋色のバラード』の黒木譲さんです。お忙しいところをありがとうございます」


「いいえ、こちらこそ、お招きいただき、ありがとうございます」


「いやぁ、カッコいいですね。同性の僕から見ても惚れ惚れする」


「ハハハ……ありがとうございます」


「では、早速、黒木譲さんへのおハガキをご紹介しましょう」


「あ、はい。お願いします」


「えー、ペンネーム、ミズホさんから――」


(……!?)


「『秋色のバラード』のヒット、おめでとうございます。あなたと初めて会ったのは、神奈川県の△町にある小さなお寺でしたね。あの日は雨が降っていた。あれから二十年近くになるんですね。テレビで見る度、当時のことを懐かしく思い出しています。益々のご活躍を願っています」


 それは紛れもなく、脅迫状だった。


「黒木さん、ご出身は神奈川ですか?」


「……ええ」


「では、ご近所にお住まいの女性かもしれませんね?」


「えっ? ああ。そうかもしれないけど、……誰かな?」


「謎めいてて、ミステリアスですね。では、現在、ヒットチャート独走中の『秋色のバラード』をお聴きください」



 “ミズホ”は、女の名前なんかじゃない。「松岡瑞穂」俺を養子にした住職の名前だ。……目的は金だろう。俺が捨て子だったことを強請ゆすりの材料にするつもりか。


 瑞穂に金をやれば、俺が「松岡たけし」だと認めることになる。それに一度でも金をやれば、味を占めて生涯、無心に来るに違いない。さて、どうする。……そうか、萌絵だ。萌絵に相談しよう。自分の歌を歌う売れっ子の、つ、“男”の過去を暴かれて困るのは、むしろ萌絵の方だ。



 ――その話をした時、萌絵は余程の驚きでか、目ん玉が飛び出んばかりに愕然がくぜんとした顔で俺を見つめていた。


「……分かったわ。私に任せて」


 萌絵のその言葉は、一任できるだけの力強さがあった。



 その翌日、包丁で背中を刺された瑞穂が、庫裏で倒れているのを檀家の一人が発見した。


 犯人は萌絵か? 俺を護るために、いや、自分の地位と名誉のために瑞穂を殺ったんだ。


 俺の心配事は一瞬にして解決した。萌絵様のお陰で。だが、俺はそのテレビのニュースに触れなかった。萌絵との友好関係を続けるには、知らない振りをした方が得策だと判断したからだ。



 だが、逮捕されたのは萌絵ではなかった。第一発見者の檀家の一人だった。動機は痴情のもつれ。


 ま、どっちにしても、邪魔者は消えた。萌絵の手が汚れなかっただけでも儲けもんだ。



 ところが、脅迫は続いた。ファンレターの一枚に、


〈ツバメのおうちに早く帰っておいで〉


 と、あった。それは、紛れもなく尚美からだ。……ったく。邪魔しないって約束したじゃないか。これも萌絵に打ち明けるか。嫉妬も絡んで、萌絵は快刀乱麻の切れ味でスパッと断ってくれるに違いない。



 抱いた後、そのことを寝物語のように聴かせると、


「……もう、また? 手を焼かせる問題児ね、あなたは……」


 萌絵はそう呟きながら、俺の髪を梳った。尚美がしたように。



 その後、尚美からの脅迫めいたものは一切なかった。“四海波静か”と言った具合に、穏やかな日々が続いている時だった。俺に好きな女ができた。ファンの一人で、名前を阿川由布子と言った。

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