四月六日

 ハルカがクラスでもてはやされ始めて、四日が過ぎた。

 今朝の五時限目は、グラウンドで体育の授業だ。

 男子と女子はコート分けして、別々にサッカーをしている。

 ハルカは喘息が再発しないように、木陰で見学していた。

 見学組はハルカしかおらず、一人ポツンとグラウンドのすみに座っている。


「ごめーん! ボール取ってー!」


 ゴールの上空を通り抜けたサッカーボールが、ハルカの足元へ転がってきた。

 声のした方に視線を移すと、ジュンイチが颯爽さっそうと走ってきている。

 ハルカは、回転が止まったサッカーボールを手にし、ジュンイチの方に投げ返そうとした。


「あ……」


 勢い良く投げようとしたものの、ハルカの投擲能力とうてきのうりょくは想像以上に低く、サッカーボールはジュンイチとは真逆の方向に飛んで行った。


「あー! ボールがーっ!」


 ジュンイチは驚きの声を上げながら、サッカーボールの後を追った。


「……ごめんなさい。運動は全くダメなの」

「いいよー、気にすんなって!」


 ジュンイチは優しくて微笑みながら、ハルカに声をかけた。


「ふう……」


 汗を拭い、ハルカは地面に座りなおした。

 ボールを投げたのは何年ぶりだろうか。

 暫くすると別のサッカーボールが、ハルカの元に転がってきた。

 サッカーボールが転がってきた方角は、女子のコートだった。

 そこから一人、女子がこちらに向かって来ている。

 コトミだった。


「はい、どうぞ」

「……」


 ハルカがサッカーボールを差し出すも、コトミは無言のまま目の前に立っている。


「あんたさ、体育はいつも見学だよね。サボり?」

「違うわ。医師からの指示よ」

「へー。随分勝手がいい指示だね。絵は描けるくせにさ」


 今日のコトミは、朝からずっとハルカに突っかかってきている。


「あたしも、あんたみたいに病弱で生まれたかったなー。そしたら、体育もサボり放題だし、木下君からも優しくてしてもらえるしね」

「……」


 ハルカはボールを両手で抱えたまま、コトミと対峙している。


「男子ってさ、か弱い女の子が好きらしいじゃん? あんたみたいな病弱キャラは、まさにそれだよね。か弱いから、もてはやされてるだけ」

「……結局、何が言いたいのかしら? 話が全く見えないのだけど」


 ハルカはそう言って、コトミの話の意図を引き出そうとした。


「……この前あたしさ、木下君と馴れ馴れしく話すなって言ったよね? あんた全然守ってないじゃん? どゆつもり?」


 コトミは一歩踏み出し、ハルカに顔を近づけた。


「わたしがその言いつけを守る道理はないと思うけれど? わたしはただ、普通の学園生活を送りたいだけなの」

「普通の学園生活ねえ……」


 コトミは少し間をあけた。

 そして、何かが思いついた素振りで、最後に一言吐き捨てた。


「オーケー。あたしが協力してやるよ。その”普通の学園生活”ってやつをさ……」



 ☆



「おかえりなさい、ハルカ。学校どうだった?」


 リビングのドアを開けると、キッチンで家事をしている母親から声をかけられた。


「特に何も。普通だったわ」


 ハルカはリビングのソファーに鞄を置き、母親にそう返事をした。


「喘息の発作はどうなの? 苦しくない?」

「うん、平気。ちゃんとマスクしてるし、大丈夫よ」

「そう、それなら良かった」


 ハルカからの返事を聞き、母親はほっと胸をなでおろした。


「心配しすぎよ、お母さん」


 ハルカは言って、にっこりと微笑んだ。



 ☆



 着替えを済ませ、ハルカは自分の部屋で絵を描き始めた。

 机の上には、スケッチブックと草刈くさかがまが置かれている。


「うーん……こう、かしらね?」


 ハルカは草刈り鎌を手にし、色んな角度に傾けて観察する。


「思ってたよりも、鎌って重いのね」


 鎌を机の上に戻し、スケッチブックにシャシャッと筆を走らせた。


「しかし、この刃で口を切ったとして、どういう感じで”裂ける”のかしらね……」


 目の前のノートパソコンの画面には、『口裂け女』のイラストや画像が一覧で並んでいる。マンガの資料用として集めたものだ。

 ハルカは次回作を『口裂け女』にすると決めた。

 ジュンイチからのリクエストでもあり、自分自身でもホラーマンガを描いてみたいとも思ったからだ。


「うーん……何か違うわね。この画像はちょっと”特殊メイク感”が強すぎるわ……」


 マンガのネームはある程度できているが、肝心の”口裂け女の傷口”が上手く描けないでいた。

 ハルカは絵を描くとき、できるだけ実物や資料を見て描くようにしている。

 マンガという”フィクションの世界”の中に、リアリティや説得力を持たせたいからだ。

 しかし、『口裂け女』は実在しない架空の存在。

 その架空を、いかに本物っぽく見せるにはどう描けばいいかで悩んでいた。


「やっぱり、ちゃんと描くには、”実物”を見てみないと……」


 ハルカはパソコンの電源を落とし、スケッチブックも机の引き出しに仕舞った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る