番外編

10月1日 メガネの日SS

 九月三十日。

 茜が何やら妙なことを言い出した。


「十月一日はメガネの日なんだって」


 それは放課後、ホームルームが終わり、荷物をまとめて帰ろうとしたときのこと。


 友人の椎葉茜が小さな体で駆け寄ってきて、楽しそうにそんなことを言ったのだった。おおかた先生の話そっちのけで近くの席の子と話をしていて話題にのぼったのだろう。それをあたしにタレコミにきたのだ。


「で?」


 あたしはそう返す。


 どうせろくなことは言わないであろう予感がひしひしとして、思わず冷ややかな口調になってしまった。


「ほら、紫苑ちゃんってメガネかけてるじゃない?」

「ずっとじゃないけどね」


 授業中や読書のときだけ。


 答えながら眼鏡ケースを制鞄に仕舞う。いつも通りの順番で片づけただけなのだけど、タイミングがよすぎてまるで隠すみたいになったのが不本意だった。


「図書委員くん、何か言ってた?」


 ここで茜が言う図書委員とはあたしの腹違いの弟、真壁静流のことだ。この学校でたったひとりの図書委員会をやっている。


 そして、茜はあたしと静流の関係を知っている数少ない生徒のひとりだ。


「別に」


 唐突に静流のことを持ち出されて、あたしは努めて素っ気なく言った。


「ほんとに~?」


 しかし、茜はなぜか疑いの目を向け、こちらの顔を覗き込んでくる。


「ま、まぁ、似合ってる、とは言われた、かな」

「やっぱり!」


 なぜかシラを切り通すのに良心が咎めて本当のことを言うと、茜はほら見ろとばかりに声を上げた。


「何がよ?」

「いや、図書委員くんって人が見ないところ見そうだなって」

「そりゃまあ……」


 茜の言う通り、確かにそういうところはある。あたしは眼鏡なんて単に視力を矯正するものだと思っていたから、アクセサリとして捉える静流の視点は新鮮だった。それだから雑貨やコスメと同じ感覚で詳しくなったり、人を褒めたりするのだろう。


「それとメガネの日とやらがどういう関係があるのよ?」

「似合ってるって言ってくれたってことは、メガネをかけた紫苑ちゃんが気に入ったってことでしょ?」

「そう、なのかなぁ……?」


 あたしは首を傾げる。


「似合ってるかどうかなんて主観だから」


 それもそうか。多数決でもとったのなら兎も角、n=1ならそれは主観でしかない。ただ、あれはズレた美的感覚を持ち合わせている感じでもないので、静流がそう言うならそうなんだろうなと思っている。


「だから、いつもより多めにかけていてあげたら喜ぶんじゃない?」

「何であたしがそんなサービスをしないといけないわけ?」

「お姉さんでしょ?」


 茜はあっさりとそう言った。


 姉なら弟の喜ぶことをすべしというわけでもないだろうに……と思ったけど、茜はしてそうな気がした。


 クラスでの茜はマスコットみたいな立ち位置だが、家に帰れば三人の弟妹のいる長女で意外としっかりものだ。そのぶん学校では周りに甘えようとするけど、時折り本性が顔を出す。場を仕切ったり、段取りがよかったり。


 普段からあんな感じで兄弟姉妹の仲が悪くならないよう、長女の役割をこなしているのだろうと容易に想像がつく。


「姉弟円満のコツは日々の積み重ねだと思うけどなぁ。……あ、それとももうそんなことしないでいいくらい仲がいいとか?」

「え? それは……」


 思わずあたしは口ごもる。


 実際、よくわからなかったからだ。

 静流とは特別仲がいいというわけでもないし、反対に険悪な関係でもない。静流が時々人を喰ったような冗談を言うから怒るけど、それだっていつもその場かぎりのものだ。


「でもさ、あたしらくらいの歳なら姉弟の仲が悪いのが普通じゃない? ましてやうちなんて」


 この春にいきなり姉弟になったばかり、という言葉はあえて続けなかった。


 あたしの周りにも年の近い兄弟姉妹をもつのが何人かいたはずだけど、べったり仲がいいという話はあまり聞いたことがない。目の前にいる茜だって時々弟妹が生意気だと愚痴をこぼしている。尤も、茜の場合は長女の悩みという感じではあるけど。


「あ、一般論に逃げた」

「うるさいな」


 あたしはだんだん面倒になってきて、突き放すように答えた。


「でも、真面目な話、あたしはメガネかけてる紫苑ちゃん、好きだなぁ。カッコよくて」

「はいはい」


 再び素っ気なく返事をする。そう言われて悪い気はしないのだけど、リアクションはしたくなかった。


「カッコいい上にスタイルも抜群ときたら、図書委員くんもほっとかないんじゃない?」

「弟相手に何をさせる気よ」


 呆れて言い返したところで、ちょうど帰り支度を終えた。鞄のファスナーを閉める。


「帰る」

「あ、紫苑ちゃん、どっか寄ってかない?」

「ごめん。今日は買いものして帰りたい。何せうちには食べ盛りのがいるからさ」


 食べ盛りかどうかはさておき、静流は大食漢ではないけどしっかりちゃんと食べる。今まで年相応に食が細くなりつつあるお父さんしか見ていなかったせいか、あぁ男子ってこんなだなって実感するのだ。


 ああいうのを見せられると、もうちょっと凝った料理を作ってみようかと思える。静流も毎日この学校の生徒のために図書室を開け、お腹をすかせて遅くに帰ってくるのだし。


「嫁力高いなぁ」

「……」


 嫁言うな。せめて主婦にしろ。





 その翌日。

 十月一日の朝。


 朝食の支度を終えたあたしは、静流が起きてくるのを待つ。


 程なくして、二階でドアが開閉する音が聞こえてきた。続けて廊下を歩くひかえめな足音。足音は一度二階の洗面所の奥に消えた後、再び出てきた。


 静流が階段を下りてくる。


「おはようございます」

「ん。おはよう」


 まだ眠気が残っているのか、普段よりもどこか間延びした声の挨拶に応えると、あたしは読んでいた文庫本をぱたんと閉じた。


「んじゃ、食べますか。手伝って」

「わかりました」


 そうしてあたしは立ち上がり、キッチンへと移動した。静流もついてくる。


 静流がこの家にきてはや四ヶ月。食器の場所はもちろんのこと、どの料理にどの皿を使うかを把握し、あたしのやってほしいことがわかるようになって――最近では特に指示をしなくても自分で動いてくれるようになった。


「「いただきます」」


 そのおかげかあっという間に用意ができ、食べはじめる。お父さんが昨夜から当直に入っているので、今日はふたりだけの朝食だ。


 食べはじめて間もなく、


「あれ? 眼鏡……」


 やっと気づいたようだ。案外まだ頭が回っていないのかもしれない。


 そう。あたしは本を読んでいたときから、まだ眼鏡を外していなかった。静流はこうして向かい合って着席して、ようやくそのことに気づいたのだ。


「視力、落ちたんですか?」

「そういうわけじゃないんだけどね」


 冷静になってみれば、メガネの日だからなんて言うのもバカらしく、あたしは言葉を濁す。静流は「ふうん……」と言ったきり追及はしてこなかった。ありがたいと言えばありがたいけど、いたずらが不発に終わったような居心地の悪さがある。


「あー……」


 と、静流はバターを塗った食パンをかじりながら、あたしの顔をじっと見てつぶやく。


「ぁによ、あたしの顔に何かついてる?」


 その静流の視線でさらに居心地悪くなり、あたしは威嚇するように問い返してしまった。


 そりゃあついてるだろう。眼鏡が。


 静流がかじった食パンを咀嚼し、飲み込む。その動作がやけにゆっくりに感じられて、わざとあたしを焦らしているのかと思った。


「やっぱり似合いますね、眼鏡」

「ごめん、外してくる!」


 あたしは静流の発音が終わるか終わらないかのうちに立ち上がった。


 静流の横を抜け、逃げるようにリビングへ向かう。間、静流はずっと不思議そうな顔であたしを目で追っていた。さっきから不審な行動や曖昧な言い方ばかりしているので、そんな顔にもなるだろう。


 リビングのローテーブルの上に外したメガネを置き、ダイニングテーブルに戻ってくる。居心地の悪さではなく、今度は顔の熱さを感じながら朝食を再開した。


「恰好いいのに」

「うるさい。黙って食べなさい」


 あたしはぴしゃりと言い放つ。


「うちの食事ってそんなでしたっけ……?」


 静流は首を傾げた。


 もちろんそんなことはない。だけど、これ以上面と向かって褒められたら、胸を掻きむしりながらテーブルに突っ伏しそうだった。


 やはり慣れないことはやるものではないと思う。




          §§§




 九月三十日。

 鷹匠さんが何やら妙なことを言い出した。


「明日、メガネの日なんだって」


 それは放課後、何人かで教室に残っておしゃべりを楽しんでいたときのこと。


「それが?」


 わたしはそう返す。


 わざわざブラウスの端を引っ張って、わたしにだけ囁くように言ってきたその言葉に不穏なものを感じ、自然警戒するような声になった。


「瀧浪さん、眼鏡が似合いそうだから、かけてあげたら真壁クンが喜ぶと思って」


 案の定。


「それはどうかしら……?」


 わたしは曖昧に答える。


 鷹匠さんに提案されるまでもなく実際にもうやったことがあるのだけど、『知的な雰囲気のお姉さんに誘惑される』というシチュエーションまで込みだったせいか不評だった。でも、似合うとは言ってくれいるので、ただかけるだけなら喜んでくれるのかもしれない。


「人に勧めてないで、自分でやってみたらどう?」


 わたしは誤魔化す意味も込めて、そっくりそのままお返しする。


「わたし、顔出しはNGだから」

「そっちじゃなくて……」


 思わず苦笑い。


 この鷹匠雅という女の子は、和風な名前やおっとりした雰囲気とは裏腹に、かわいい制服を見つけてはそれを取り寄せ、少々扇情的な自撮りをSNSにアップするという困った趣味をもっている。その際、顔は出さないので、確かに眼鏡は意味がなさそうだ。


「あ、でも、真壁クンになら使えるかも」

「いつも言っているけど、本当にやめてね?」


 にっこり笑いながら、やんわりと釘を刺しておく。


 男子生徒で唯一鷹匠さんの趣味を知っているのが静流で、彼女はことあるごとに撮影会やら好みの制服でデートやらに静流を誘おうとする。わたしの悩みの種だ。


「じゃあ、瀧浪さんがする?」

「ま、まぁ……」


 静流がそんなものに釣られるとは思わないけど、万が一のこともある。彼女が妙なことをしでかさないためにも、ここはわたしがその役割を引き受けることにしよう。それにそれこそ眼鏡をかけるだけなら、静流のいつもとちがうリアクションが見られるかもしれない。


「どんな反応だったかおしえてね」


 と、やけに楽しそうな鷹匠さん。


 何やら嵌められたような気がしないでもないけど、自分でもその気になりつつあったので、背中を押してもらったのだと思おう。




 そして、翌日。

 十月一日。


 わたしはいつものように放課後の図書室へと向かった。

 閉室時間の少し前に行ったのだけど、壬生さんの姿が見あたらない。珍しいことだ。


 まずは貸出カウンタの奥に座る静流と二、三、言葉を交わす。ついでに彼女のことを聞いてみたら、今日は用があってここにはきていないとのこと。放課後は図書室の住人とばかり思っていたけど、こういう日もあるらしい。


 そうしてから閉室時間まで閲覧席で待つ。


 席に着くと、先日借りた本を制鞄から取り出した。そして、用意しておいた眼鏡も。

 それをかけてカウンタのほうを見ると、ちょうど静流もこちらを見ていて、眼鏡をかけたわたしの姿にぎょっとしていた。静流のその顔を見られただけで十分満足なのだけど、これで終わるのはもったいない。


 その後も彼は何か言いたげにちらちらとこちらを見ていたが、図書委員としての仕事の最中だからか、カウンタから出てくる様子はなかった。


 やがてチャイムが鳴り響いた。


 午後五時五十五分の予鈴だ。まだ閉室まで五分あるが、図書室に残っていた生徒はそろぞれ退室の準備をはじめ――午後六時の本鈴が鳴るころには誰もいなくなっていた。


 ただひとり、わたしを除いては。


「閉室時間ですよ、瀧浪先輩」


 カウンタの中の閉室作業を終えた静流が、まだ閲覧席に腰を下ろしたままのわたしのところにやってきた。少しピリピリした声だ。ふたりだけなのに丁寧語なのは、あえてそうしているのだろう。


「あら、ほかに言うべき言葉があるんじゃない?」


 わたしは眼鏡のレンズ越しに悪びれることなく問い返す。

 静流が聞えよがしに大きなため息を吐いた。


「……それは何のつもりだ?」

「そっちじゃないのだけど。まぁ、いいわ。……今日はメガネの日だそうよ」


 と、わたしが答えると、静流は「ん?」と不思議そうな顔をした。ちょっとかわいい。


 一拍。


「ああ、それで蓮見先輩が、朝――」


 次の瞬間、わたしは立ち上がり、彼に詰め寄っていた。


「ちょっと待ちなさい、静流。蓮見さんがどうしたって?」


 静流は何やら納得しているようだけど、こちらはそうはいかない。


「いや、蓮見先輩も今朝、眼鏡をかけて……」

「それでどうしたの? ……ハッ。まさか眼鏡でいつもとちがう雰囲気を出しつつ静流に変なことを……」


 どうやら先を越されてしまったようだ。眼鏡をかけるだけなんて悠長なことを言っていられないのかもしれない。そもそも蓮見さんはスタイルがいい。そんな彼女が向こうから迫ってくるなら、静流だって少しくらい触れてもと思うだろう。


 こうなったらわたしも鷹匠さんばりに……。


「変なことって何だ!? 何もないわ」


 静流の呆れたような声。

 鬱陶しそうに、それでいて優しく押し返されながら、わたしははっと我に返る。


「朝、食事のときも眼鏡をかけたままだったんだよ。だから、たぶんあれはそういう冗談だったんだろうなと思ったんだ」

「あ、そういうこと」


 蓮見さんもメガネの日らしくパフォーマンスをやってみせたわりにはその理由を明かさなかったものだから、静流は今の今まで意味がわからなかったのだ。


「なるほど」


 わたしは納得すると、イスを静流のほうに向けてから座り直した。


「それで静流……どう? メガネをかけたわたしは」


 彼と向かい合い、問いかける。


「どうって、それは前にも言っただろ。感想は変わってないよ」

「何だったかしら? 忘れたわ。もう一度言ってくれる?」


 どうにかはぐらかそうとする静流に、わたしはあえて惚ける。


「……よく似合ってる」


 次の言葉を待っていると、静流は渋々といった感じでようやくそれだけを言った。強情になり切れないあたりが彼らしい。


「嬉しいわ」


 わたしは知的な雰囲気の年上彼女を演出するべく、足を組んでみせた。

 静流の視線がわずかに下がる。


「どうしたの? 顔が赤いわよ」

「うるさいな。そっちこそすぐそういうことをする」


 静流は思わずわたしの足に目を向けてしまった上、それを指摘されたものだから、不貞腐れたように言い返してきた。


「いいじゃない。減るものでもなし」


 わたしは足を組み変える。

 どうしても気になるのか、静流は再びわたしの足を見てしまうが、すぐに何かを振り切るかのように勢いよく背を向けた。


「いいんだよ、そういうのはっ」


 そのまま歩調も荒くカウンタへと戻っていった。


 用意していた配架待ちの図書を抱え、今度は書架の奥に消えていく。この様子ではしばらく帰ってこないかもしれない。


 わたしは静流を見送った後、おもむろに眼鏡を外すと、テーブルの上に突っ伏した。


「いや、だから、これじゃいつもと一緒じゃない……」


 何が眼鏡をかけてみせるだけなんだか。静流の反応が面白くて、ついいつもの調子でからかってしまった。


 ちょっと凹む。




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【あとがき】

少しばかり煮詰まっていたので(誤用)、気晴らしに書きました。

10/1をとうに過ぎた後に書きはじめたので、思いっきりタイミングがおかしいですね。

どうかご容赦を。

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