第4話(2)
翌日の昼休み、瀧浪先輩にチャットを送った。
『放課後、図書室にきてほしい』
既読にはなったものの、返事は最後までなかった。
僕は昼休みのうちに業務用の端末で臨時休室の告知を用意した。とは言っても、先輩たちから代々受け継がれてきたデータがあるので、それの日付を書き換えて印刷するだけだったが。
図書委員会の顧問になっている先生には、書架の乱れがひどいので今日は図書室を閉め、整理にあてたいとお願いした。もう期末テストが終わり、利用する生徒も少ないだろうからと、先生も了承してくれる。そもそもひとりで図書室を回している僕の判断がかなりの割合で尊重されるので、ここで断られることはないと踏んでいた。
そうして放課後。
先生からいつものように鍵を借り、図書室の扉を開けた。
先にも述べた通り、ドアには昼休みのうちに臨時休室の告知を貼ってあったので、図書室の前で誰かが待っているようなこともなかった。以後、これを見て引き返す生徒が出てくるだろう。
さて、瀧浪先輩はきてくれるだろうか。
僕は出入り口から真っ直ぐ進んだところにある窓にもたれて立ち、彼女を待った。
チャットを送ってあるから、まさか入り口の貼り紙を見て引き返すようなことはないだろう。これで現れなかったら、本当にここにはこなかったときだ。
程なくして、ドアが開いた。
「静流、いるの?」
そろりと入ってくる瀧浪先輩。いつも僕はカウンターに座っているから、今もまずはそちらを見たようだ。真正面に僕がいることに気づいていない。
「こっちだ」
声と手で合図を送る。
「ああ、静流。どうしたの? 何か手伝ってほしいことでも?」
彼女はいつも通りの態度だった。時間をくれと言ったにも拘らず呼びつけた僕を怒っている様子はない。だけど、いつも通りの態度を装うことで、別の感情を巧みに隠しているのかもしれない。
「いや、瀧浪先輩と話したいと思って」
「話したい? そんなことで図書室を閉めたの?」
「僕には大事なことだ」
きっぱりと言う。
瀧浪先輩は困ったように目を泳がせた。
「静流の気持ちは嬉しいわ。でも、少し待ってって言ったはずよ」
「わかってる。でも、待てなかった」
時間をくれと言ったのは三日前。今週の火曜のことだ。だけど、僕を避けはじめたのはさらに二週間ほど遡る。もう十分だ。待つのは飽きた。
「それにひとりで悩んでいるよりも早く解決するかもしれない」
僕がそう言うと、瀧浪先輩は首を傾げた。意味がわからなかったのだろう。
そんな彼女にかまわず僕は続ける。
「僕にとって奏多先輩は特別だ。瀧浪先輩には悪いけど、大事な人であることは間違いない」
その直後、瀧浪先輩は目を丸くした。かすかに怒りの感情が含まれている。
「静流、そんなことを言うためにわたしを呼んだの? ……帰るわ」
勢いよく踵を返した。
「でも、恋愛感情はない」
「!?」
動きが止まり、踏み出すべき足は前に出なかった。
「それに奏多先輩にも。僕が奏多先輩に抱いている想いは、たぶん尊敬とか憧憬とか、そういう恋愛とは次元のちがうところなんだと思う。……聞きたかったのはこういうことだろう?」
前に一度、瀧浪先輩は僕に何かを聞こうとしてやめたことがあった。あれは確か彼女が奏多先輩に過去のことを聞き出したその帰りのことだ。
「ええ、そうよ。聞きたかった。静流、もしかして壬生さんのことが好きなの? って」
瀧浪先輩はこちらに向き直りながらそれを認めた。
「でも、怖くて聞けなかったわ」
「僕の気持ちは今、答えた通りだ」
「ちがうわ。そうじゃない。静流が壬生さんのことはそういう目で見ていないと答えても、信じられなかったときが怖かったの」
それが聞けなかった理由。
「それで?」
「……」
僕は瀧浪先輩が一度は飲み込んだ質問に答えた。それを聞いて彼女はどう思ったのだろうか?
しかし、返事はない。
つまりはそういうことなのだろう。
僕が自分の想いを伝えることで、瀧浪先輩が気持ちの整理をつけられればと思っていたのだが、奏多先輩が言った通りやはり人とは複雑にできているようだ。
不意に出入り口のドアが開いた。
僕は瀧浪先輩の肩越しにそちらを見る。
「奏多先輩」
入ってきた人物、それは奏多先輩だった。
瀧浪先輩も振り返る。
「壬生さん……」
そして、その人物を見て息を呑んだ。
「今日は休室だと言ったはずですよ」
「そうね。忘れていたわ」
奏多先輩は億劫そうに僕の言葉を一蹴する。……そんな嘘があるか。
しかし、僕を突っ撥ねたということは、即ちここにきた目的は僕ではないということになる。奏多先輩は瀧浪先輩に向き合う。
「瀧浪、ずいぶんと足踏みをしているようね」
「それは……」
瀧浪先輩が言い淀む。
どうやら奏多先輩は外でこちらの会話を聞いていたらしい。
「お前がいらないのなら、静流は私がもらっていくわ」
瞬間、瀧浪先輩が沸騰した。
「ふ、ふざけないで! 恋愛感情なんてないんじゃなかったの!?」
「もちろん、ないわ。でも、誰かを選ぶとすれば静流になるわね。あれも癖のある男だから、扱える女はあまりいない」
あれであるところの僕は、最近ずいぶんともの扱いされているな。
「それがあなただと言うの?」
「ええ」
奏多先輩はうなずく。
「だけど、瀧浪もそうよ。そのお前が静流をいらないと言うなら私が引き取るしかない」
「冗談じゃないわ! 勝手に決めないで!」
瀧浪先輩が言い返した。
さてさて、これ僕を巡るふたりの女性の争いと見ていいのだろうか?
「静流はわたしのものよ!」
「それはお前と『同類』だから?」
奏多先輩はその問いの答えを待たず、さらに言葉を重ねる。
「でも、どうやら静流は最適解とやらがわからなくなりつつあるみたいよ。今回もお前のことでさんざん悩んでいたわ。いずれ『同類』ではなくなる。普通の男よ」
はっとしたのは僕だった。
確かにそうだ。奏多先輩の予言では、いずれ僕は今までのように最適解が出せなくなり、代わりに『欠落』を埋めることになっている。
では、『同類』として瀧浪先輩に認められた僕はどうなる? 『同類』ではなくなったら?
そう考えた直後だった。
「そんなこともうどうでもいいわ! わたしは静流が好きなの! 誰にも取られたくないの! 壬生さん、
瀧浪先輩は感情も露に怒鳴った。
沈黙。
「それがお前の本音?」
やがて奏多先輩は静かに問う。
「え……?」
と、瀧浪先輩がはっと我に返り、口を掌で覆った。顔が赤い。彼女としても自分の中にあった思いがけず強い意志に初めて気がついたのかもしれない。
「そう。よくわかったわ」
奏多先輩は急に関心を失ったように投げやりに答えた。
「なら、後は瀧浪に任せればいいわね。……これでようやく肩の荷が下りたわ」
奏多先輩にさっきまでの人を見下したような表情はなく、ひと仕事終えたと言わんばかりの気怠げな顔をしていた。
やはり瀧浪先輩を煽っていただけか。そんなことだろうと思った。
「壬生さん、あなたもしかして……?」
「なに?」
奏多先輩が反問するが、瀧浪先輩は首を横に振った。
「いいわ。やめておく」
「そう」
一方、奏多先輩はあっさりしたもので、言葉を飲み込まれても気にした様子はない。
「今日は休室だったみたいね。帰るわ」
踵を返し、出入り口へと歩き出す。どうやら最後まで休室であることを忘れて足を運んでしまったという設定を貫くつもりのようだ。
彼女が去った図書室で、僕は再び瀧浪先輩と向かい合った。
「僕は瀧浪先輩のことが好きだ」
正面からそう告げる。
「奏多先輩が大事なことは変わらないけど、僕が好きなのは瀧浪先輩ただひとりだ。ようやく自分の気持ちに自信がもてるようになってきたのに、それを疑わないでほしい」
もしかしたら僕は不誠実なことを言っているのかもしれない。でも、これが僕の偽らざる本心だ。
「瀧浪先輩の『自分』が僕のそばにあるように、僕の『自分』も瀧浪先輩とともにある」
「静流……」
しかし、そこで僕はあることに気づく。
「ああ、でも、奏多先輩がいたら瀧浪先輩は……」
結局そこに戻ってくる。瀧浪先輩は、僕とつながりの深い奏多先輩を怖れている。彼女がそばにいるかぎり安心はできないだろう。
奏多先輩は僕に対して恋愛感情はないと明言した。僕もだ。僕も含めて、その言葉を瀧浪先輩がどこまで信じることができるか、ということになるのかもしれない。
「いいえ、もう大丈夫よ」
だが、瀧浪先輩は首を横に振った。
「壬生さんが静流に抱いている感情がわかったから」
「それは?」
実は僕もそこが気になっていた。
僕が彼女に向けているものは、尊敬や憧憬。或いは、大きな恩。一方、奏多先輩は僕を特別な存在だと言ってくれたが、そこに何があるのかは言わなかった。
「内緒よ。だって、壬生さん自身も気づいていないもの」
「気づいていない……?」
何でもお見通しみたいなあの奏多先輩にそんなことがあるのだろうか? いや、灯台下暗しの言葉通り、そういうこともあるのかもしれない。ましてや自分の気持ちなら尚更だ。
「ようやく彼女に勝った気分ね」
瀧浪先輩はいたずらっぽく笑う。
「それにしてもわたしたち、やっぱり『同類』みたいね」
「うん?」
彼女の声に思考から戻ってくる。
「だって、この前は静流がバカなことを考えて。今度はわたし」
先日僕は瀧浪先輩から離れようとした。そして、今回は彼女が僕に近づけなくなった。そのことを指しているのだろうが、振り返ってみればそれこそバカな考えだったと思っているので、あまりつついてほしくはない。
「きっと考えすぎなのね。もっとシンプルにいかないと。恋愛は難しくないわ」
「かもしれない」
真壁静流は恋愛に向いていない。
それが僕の口癖だったが、『欠落』が埋められた暁には、それも解消されるのだろうか?
まぁ、恋愛に向いている男というのも、それはそれでどうかと思うが。
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