第2話(2)

 翌日の登校時のことだ。


 朝、僕は名谷のプラットホームで電車を待っていた。さすが通勤通学ラッシュの朝のダイヤ。さほど待つことなく電車がやってきた。


 車両が速度ゼロに向けて漸近する。


 そうして間もなく停車するというそのとき、車窓の内側に瀧浪泪華の姿を見つけてしまった。吊り革を持って立っていた彼女も僕の姿を認め、かすかに目を丸くする。


 程なくして開くであろうドアから乗り込み、左へ行けば彼女がいる。右へ行けばお互い会わなかったことにできる。瀧浪先輩と話がしたいなら左へ。彼女が自分から何かを話してくれるまで待つなら右だろう。


 電車が止まり、ドアが開いた。


 まずはこの駅で降りる乗客が吐き出された。これが落ち着くと、今度はホームで待っていた乗客たちが乗り込む。


 僕もその波に乗り――左へ進んだ。


 瀧浪先輩の横に並び、吊り革を掴んで立つ。


「おはようございます」

「ええ、おはよう」


 まずは当たり前の挨拶を交わす。


「……」

「……」


 そして、沈黙。


 瀧浪先輩は何も言わない。場所が悪い、と思っておこう。


 その一方で、卑怯なやり方だったかもしれないとも思っていた。彼女が僕を避けようとしているのに、この状況では逃げることも込み入った話をすることもできない。


 彼女は黙っていた。電車が学園都市に着き、駅を出てからも話そうとせず、かと言って逃げることもしなかった。僕たちはただひとつの言葉もなく、学校へと歩く。


 僕から切り出すことにした。




「奏多先輩が怖いのか?」




 瀧浪先輩が、かすかにぴくりと体を震わせた。


「……ええ、そうね」


 最初の挨拶以降、ようやくの声だった。


「最初は気にしてなかった。彼女はそういう存在だから」


 そう。壬生奏多とはアンタッチャブルな存在だ。そのガラス細工の如き硬質な美貌と高校生らしからぬ超然とした態度故に、誰も関わりたがらないのだ。だが、それは存在感の裏返しでもある。最初からいるのかいないのかわからないような人間なら無視も何もない。いないものとして扱うという暗黙の了解は強すぎる存在感の表れなのだ。だからこそ陰で女帝などと呼ばれる。


「だけど、中学のころからの先輩後輩だって静流に聞かされたときに気づいたのよ。彼女はずっとあなたのそばにいたってことに」

「……」

「途端に彼女のことが怖くなった。彼女はわたしの知らない静流を何年分も知っているんだって。それはわたしと静流との関係が進むとさらに大きくなったわ。まるで静流は自分のものだと言われてる気がしたわ」

「考えすぎだよ」

「ええ、わかってるわ。わかってるつもり」


 瀧浪先輩はうなずいた。


「だから、わたしは壬生さんのことを知ろうとした。そのほうが延々答えのない想像を巡らせているよりもいいと思ったから」

「なるほど」


 ようやくわかった。だから瀧浪先輩は僕と奏多先輩が一緒に出かけることに異を唱えず、むしろそれを観察することで普段の僕たちがどんな感じなのかを見極めようとしたのだろう。


 一方、奏多先輩は待ち合わせ場所で瀧浪先輩たちも呼ぼうとした僕をとめた。瀧浪先輩の目的を見抜いていたからだ。遡れば、奏多先輩が僕をつれて買いものに出かけると言い出したこと自体、瀧浪先輩を引っ張り出すためだったのかもしれない。


「それから今度は、思い切って静流と壬生さんの昔の話を聞いたわ」


 奏多先輩と出かけた後の週明けのことだ。

 彼女は言った。


『わたしは誰よりも静流の近くにいたいの』


 と――。


 問われた奏多先輩も、答えられるかぎりのことに答えていた。


「聞いて、どう思った?」


 僕は瀧浪先輩に尋ねる。


「甘かったわ」

「甘かった?」


 どういう意味かわからず、僕はその言葉をそのまま返した。


「わたしが思っていたのより何倍も親密な関係だった」

「……」


 そういうことか。


 奏多先輩は瀧浪先輩が知りたいことにすべて答えた。それこそ彼女が誰よりも僕の近くにいられるように。


 だけど、




 瀧浪先輩は『甘かった』。

 奏多先輩は『失敗した』。




 瀧浪先輩は思っていた以上に僕と奏多先輩が親密な関係にあると感じて衝撃を受けた。このことについて奏多先輩はパラケルススの言葉を引用して『容量を間違えた』と表現したが、むしろ瀧浪先輩の反応が想定を超えて過剰だったのだと僕は思う。


「これでも静流が言った通り、考えすぎだってわかってるのよ」


 瀧浪先輩は苦笑交じりにそう言う。


「静流は別に壬生さんのものじゃない。確かにふたりは思っていたよりも深い関係だったわ。でも、それはわたしにも届く場所よ。このままつき合っていれば、いずれキスもするだろうし、静流がわたしに触れることもあるはずよ」

「……」


 そうなのだろうか。まだ僕はそこまで考えたことがない。でも、真剣であればあるほど、そこに近づいていくのかもしれない。


 不意に瀧浪先輩が立ち止まった。


 何かと思えば、いつの間にか昇降口の前だった。目の前では観音開きの入り口がみっつ並んでいて、大口を開けて生徒たちを待っていた。その向こうには林立した下駄箱が見える。




「そこまでわかっていても、それでもわたしは静流と壬生さんが一緒にいるところを見たくないの」




「……」

「ごめんなさい、静流。ちゃんと気持ちをフラットにするわ。だから、もう少しわたしに時間を頂戴」


 そう言うと瀧浪先輩は、ひとり先に昇降口へ入っていった。


 僕はその後を追うことができず、

 彼女の言葉に返事をすることもできなかった。

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