第2話(1)
順調に一学期の期末テストは消化され、金曜日に全教科が終了した。
瀧浪先輩が図書室に顔を出さなくなったのはこの期末テストに集中するためだと、自己欺瞞的に一旦その問題を脇に追いやり、僕自身もテストに全神経を集中させた。
そうして週末を経て、月曜日。
公立高校に進んだ友達の話では、期末が終わるとテスト休みに入り、終業式の日に成績表を受け取って終わりという学校もあるらしい。
だが、残念ながら私立茜台高校にそんなものはない。テストが終われば夏休みまで残り数日でも通常の時間割に戻る。まぁ、尤も、テストの答案用紙が返却され、回答と解説を聞く授業ばかりだが。
そして、テストが終われば、図書室も再開する。
今日返ってきたテストの点数を見た感じ、この期末テストは中間テストのときより点数を落としそうだ。そんないやな予感を抱えつつ、放課後の図書室を開放する。
奏多先輩をトップバッターにして、バラバラといつもの面々がやってくる。期末テストに向けての勉強のために図書室を利用していた生徒たちの顔はない。以前の雰囲気が戻ってきた。いや、いつもより少ないか? テストという山を越えたことで、気分はひと足先に夏休みにいってしまったのかもしれない。
久しぶりのカウンターはなかなか居心地がよかった。落ち着く。
真正面は利用者対応のためにあけられており、その横にはパソコンとプリンタが。モニターの下には利用者に画面を見せるときのため回転台が置かれている。
カウンターの中には小さめのブックトラックが三台あり、配架図書、予約図書、要修理図書に分けられている。ブックトラックには当然キャスタがついていて、それを必要に応じて手繰り寄せ、作業をするのだ。
すっかり僕の仕事場として馴染んでしまった。
僕はここに帰ってきて、図書室はいつもの風景を取り戻した。
では、瀧浪泪華は? 彼女は戻ってくるだろうか?
しかし、そんな淡い期待は非情にも打ち砕かれ、閉室時間が近づいてきても彼女は現れなかった。
当然だ。テスト勉強のために図書室にこなくなったなんてのは、僕が自分を納得させるために勝手に言っていただけなのだから。
先ほど午後六時五分前の予鈴が鳴った。帰り支度ができた生徒から順に出ていき、いつも通り最後は奏多先輩だった。
僕は彼女のところへ行き、脇に立った。
長い緑の黒髪に、怜悧すぎる相貌。これでせめて普通に人づき合いのできる性格だったら、茜台高校が誇る美少女として瀧浪泪華、蓮見紫苑とともに並び称されていたことだろう。
「何か言ったら?」
奏多先輩はこちらも見ず、片づける手も止めないままそう言った。
「考えていました」
僕は答える。
何を、とは奏多先輩は聞かない
「僕と奏多先輩はどういう関係なのだろうって」
「それで、お前の答えは?」
そこでようやく奏多先輩は僕を見上げた。その答えを言ってみろ、と。……いや、ただ単に帰り支度が一段落ついただけかもしれない。
「先輩と後輩」
「正しい認識ね」
「互いに信頼し合える先輩後輩。中学高校と続く先輩後輩。横暴な女帝とこき使われる平民。まぁ、いろいろ表現できますが、結局は先輩後輩の域を出ない」
それが僕と奏多先輩の関係だ。
「ひとつおかしなのがあったわね」
「そうですか? 気がつきませんでした」
きっとノイズだろう。
「もうひとつ――僕たちはいわゆる彼氏彼女の関係になれたと思いますか?」
「答えはノーよ」
奏多先輩は即答する。
「好きです、と僕が真剣に告白してもですか?」
「ひとつ」
と、奏多先輩。
「お前はそんなこと欠片も思っていない。ひとつ。私もそう思ったことはない」
実にバッサリ。
今日もカタナ先輩の切れ味は抜群だ。
「あえなく振られてしまいましたね」
「それ以前の問題よ」
「確かに」
振られるためには気持ちを打ち明けなくてはならない。そして、打ち明けるためには、打ち明ける気持ちがなければならない。
そう、僕にその気持ちはない。
「とは言え、意外と奏多先輩がいない生活って想像できないんですよね」
もうつき合いは丸四年で、五年目に突入だ。僕も奏多先輩も中学生だった最初の二年間は、前に彼女が言ったように親よりも一緒にいる時間が長かった。いない生活が想像できないのも当然だ。
「お前は本当に舎弟気分が抜けないわね」
「そういう奏多先輩こそ、僕がいなくなったら服のひとつも選べなくなるんじゃないですか?」
僕がからかうように言えば、奏多先輩は鼻で笑った。
「服なんて着られたらいいわ」
「また極端なことを」
尤も、この人ならよっぽどひどい選択をしないかぎりは、何を着ても似合ってしまうのだろうけど。
「とりあえず困ったら黒で統一しておいてください」
「そう言えばお前、私に黒の下着を選んだことはないわね」
「いや、僕は危険物を製造する趣味はないので」
何が悲しくて自分に向かって投げつける爆弾を作らねばならないのか。
「ああ、前にお前が選んだやつ、デザインが気に入ったから黒を買ってきたわ」
「は?」
僕の口から素っ頓狂な声がもれた。
「冗談よ」
「……」
よくそんな心臓が止まりそうな冗談をこともなげに言うな。この人に「さっきの男、五月蠅かったから殺してきたわ」と言われたら信じてしまいそうだ。
と、そこで午後六時のチャイムが鳴った。
「お前のせいで帰るのが遅くなったわ」
「二、三分でしょう」
たぶん電車の時間で修正される。
奏多先輩が立ち上がり、制鞄を手に取った。
「帰るわ」
「お気をつけて」
そうして彼女は図書室を出ていった。
結局、奏多先輩は何も聞かず、最後まで話につき合ってくれていたな。
「さて、と――」
僕は意識的にそう発音してから、閉室作業の続きをはじめた。
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