第4章 かくして『欠落』は……
第1話(1)
週が明け、月曜日になった。
期末テストの開始だ。
間に十五分の休み時間をはさみつつ三教科分のテストを行い、初日が終了した。
「どうだった、辺志切さん」
定期テストの間は男女を交ぜた出席番号順で座る。出席番号は五十音順で振られていて、僕のひとつ前は辺志切桜だ。
「だいたいできた、かな」
その辺志切さんに手応えを聞けば、彼女は消え入りそうな声でそう答えたのだった。
「真壁くんは?」
「まぁ、僕もそうかな」
ひとまず曖昧に返しておく。
「そのわりには集中力を欠いてるように見えたけどな」
が、そこに割って入ってくる声があった。
直井恭兵だ。
彼は僕の斜め後ろの席だ。そこに座る彼の目には、僕の不調が見て取れたのかもしれない。こちらとしてはそんな自覚はないのだが。
「辺志切さんって文系科目に強いよね。羨ましいな」
しかし、直井はその話題は引っ張らず、今度は辺志切さんに話しかけた。
一方、辺志切さんはやや戸惑い気味。クラスのリーダー的存在である直井が自分に話しかけてくるとは思わなかったのだろう。
代わりに僕が先に答えることにする。
「よくそんなことが言えるね。自分は満遍なく強いくせに。直井にだけは言われたくないな」
「あ、わたしもちょっとそう思う、かな」
「おいおい、辺志切さんまで。意外とキツいな」
すかさず辺志切さんも僕に続き、直井が顔を引き攣らせる。
「俺さ、古文で意味もわからずむりやり暗記で解いてるところがあるんだよな。辺志切さん、今度教えてくれないかな?」
「え? い、いいけど……?」
「本当!? よし、これで二学期のテストは完璧だな」
直井が拳を握り締めた。
辺志切さんがくすりと笑う。珍しい。彼女が僕と刈部以外に心の動きを見せるなんて。やはり直井の力か。
ふと見れば、数歩離れた位置に刈部景光が立っていた。いつものように辺志切さんと一緒に帰るつもりなのだろう。だが、直井がいるからこの輪に入る気はなく――その結果があの場所らしい。
「直井君、帰ろ」
と、これまた別の声。
今度は新堂アリサだった。
女の子らしい弾むような彼女の声を聞いて、辺志切さんがびくりと体を震わせた。
「悪い。今ふたりと話してるところなんだ」
「ふたりって辺志切さんと真壁じゃない」
新堂さんが苦笑いを浮かべる。
彼女にとって、直井が僕や辺志切さんと話しているのは可笑しいことらしい。スクールカーストに染まった考え方だ。さすがにいい加減どうにかしないと。
「辺志切さん、呼び止めて悪かったね。また明日。……刈部」
僕はひとまず辺志切さんを帰すことにし、刈部を呼んだ。
「辺志切、帰ろう」
彼は心得たとばかりにうなずくと、辺志切さんを促してともに帰っていった。それを僕と直井、新堂さんが黙って見送る。
そうしながら僕は考えていた。
ここが好機だ。
さぁ、己を客観視しろ。
今この場で僕が演じるべき役割は何だ?
「ほら、もう真壁だけだし、直井君も帰ろ」
新堂さんがかわいらしく誘う。
直井がため息を吐いた。
「新堂さん、俺の友達をバカにするような言い方はやめてくれないか」
そして、静かに言い放つ。
「べ、別にそんなんじゃないけど……」
直井の態度に面喰らい、しどろもどろになる新堂さん。
「新堂――」
「新堂さん」
僕と直井の発音が重なった。
こちらの語気のほうが強かったため、直井の言葉が途中で途切れる。彼は驚いたように僕を見た。
まったく――と、僕は自分に呆れる。巻き込まれたくないと言いながら、自分から巻き込まれにいっていれば世話はない。
「直井の言う通りだ。僕も辺志切さんも、君にバカにされるような覚えはないよ」
「はぁ!? だったら何か自慢できることでもあるの? ふっつーの男子のくせに」
新堂さんが声を荒らげる。
直井に咎められた上に僕にまで言い返され、直井の前にも拘らず猫をかぶる余裕がなくなっているようだ。
「そうだね、ひとつ挙げるとすれば――僕はひとりで図書委員をやっている」
「は? ウケる。何それ? そんなの誰でもできるじゃない」
彼女は鼻で笑う。
僕も少し前は彼女と同じことを思っていた。だけど、今は少しくらい自慢していいのかなと思い直しつつある。まだそこまで胸を張れないから、ここは瀧浪先輩の言葉を貸してもらうことにしようか。
「もしかしたらカウンターに座ってるだけに見えるかもしれない。でも、ひとりしかいないから、これが毎日だ。友達と遊びにいけないし、平日はバイトもできない。それでも僕は、勉強や読書で図書室を使いたい生徒のために毎日開けてる。これでも新堂さんは誰でもできると言うのか? 君ならできると?」
「べ、別にそんなのやりたくないし」
ピントのずれた答え。
新堂さんは焦っているのだろう。僕が言い返してくるとは思っていなかったのだ。
「それから辺志切さんにはもう関わらないでほしい」
「な、何よ、それ。あたしが何かしたって言うの?」
「忘れたとは言わせない」
それは四月、二年に上がってすぐのことだ。辺志切さんは新堂アリサの無自覚な悪意の標的にされかけたのだ。そこに割って入ったのが刈部で、それ以来彼は何かと辺志切さんのそばにいるようになった。
辺志切さんや刈部のためにも、この件はここで決着をつけてしまうべきだろう。
「何か証拠でもあるの? あるんなら出しなさいよ!?」
「それさ――」
さらに声を荒らげる新堂さんに、僕は静かに言い返す。
「前にもほかのやつに言われたんだけど――僕は警察じゃないんだ。証拠なんてなくてもここで話すことができる。新堂さんがやったことが悪かどうか、みんなに判断してもらえばいい」
「……」
新堂さんは唇を噛む。
ここで話すということは直井にも聞かれるということだ。もちろん、直井が知らないとは思わない。刈部が出てきたことで早々に収束に向かったが、少なくとも当時のいやな雰囲気は彼も察していたはずだ。誰かが耳打ちした可能性もおおいにある。
新堂さんとしても蒸し返されたくはないだろう。あれから同じことを繰り返していないから周りも黙っているが、ここで再燃すればクラス中からどんな声が上がることか容易に想像がつく。
「あー、ウザ。もうさ、真壁と話してると何か疲れるわ。……ほら、直井君、帰ろ」
どうやら新堂さんは目を瞑り、耳を塞いで、ここでのことはなかったことにするつもりのようだ。
「さっきも言ったけど、俺、真壁と話があるから」
「で、でも、今度みんなで遊びにいく話、今日帰りながら決めるって……」
今の新堂さんにとって、その約束が唯一今の自分と直井を繋ぐ糸のようだ。必死にそこに縋りつく。
「あぁ、そんなのもあったな。……悪いけど俺は行かない。用ができたんだ」
しかし、その糸は彼女が思っていた以上に細かったようだ。直井は無情にもその糸を断ち切ってしまった。
「用ができたって、まだ日にちも決めてないじゃない」
「だったら俺もやめだな」
声を上げたのは直井の相棒を自任する室堂だ。阿吽の呼吸と言っていいだろう。新堂さんが「え……?」と小さく発音する。
それを皮切りに直井のグループや彼女の取り巻きから、俺もわたしもと声が上がる。遊びにいくメンバーの中心になるであろう直井恭兵が行かないと表明したのだ。みんなが後に続くのは当然だ。完全に瓦解してしまった。
教室に残っていたクラスメイトの目が新堂さんに集まる。もちろん、好意的な視線はひとつとしてない。これまで自己中心的でわがまま放題してきたツケだろう。
「な、何よ、みんなして。ふうん、あっそ。あんたらなんてこっちから願い下げよっ」
新堂さんは僕と直井に背を向けると、そこにいた女の子のひとりを突き飛ばし、逃げるように教室を出ていった。よろけた女の子は、やはり直井グループのひとり、立野が素早く受け止めた。
しばしの静寂。
やがてひとりで出ていくものや、友達同士何ごとかを囁き合いながら帰っていくものが現れ、普段通りの喧騒が戻ってくるのに数分とかからなかった。
「いやな思いをさせたな」
直井が申し訳なさそうに言う。
彼は何を指してそう言っているのだろうか? 新堂さんが突っかかってきたことか。それとも僕がガラにもなく語気を荒くして、このクラスの隠れた膿を出す役割を担ったことか。正直どちらもたいしたことではない。強いて言うなら、僕が言い返したのを反撃の狼煙にして、みんながここぞとばかりに彼女に冷たい視線を向けたのが、少しばかり僕をいやな気分にさせたくらいか。
「あれは俺がやるべきだった」
「いや、僕だよ」
僕は即座に彼の言葉を否定した。
「直井には別の役割がある」
「それは?」
「新堂さんを孤立させないこと。彼女がもしこれまでのことを反省したのなら、もう一度クラスをまとめ上げること」
前にも述べたが、新堂さんはこのクラスの女子の中心人物だった。だが、それを快く思っていないものも多かった。それが今回の件で噴出し、クラス中からそっぽを向かれるであろうことは想像に難くない。
そこで彼の出番だ。彼女に悪意が向けられることのないようにし、クラスを再びまとめる。直井恭兵以外にはできないことだ。
「また無理難題を押しつけやがって」
「難しい問題は好きなんだろ」
「ちがいない」
直井は可笑しそうに笑う。
「いいさ、やるよ。真壁がここまでお膳立てして俺にバトンを回したんだからな。後は任せろ」
頼もしいかぎりだ。
「で、そっちの問題はどうなってるんだ?」
「相変わらず継続中だよ」
本当はクラスの面倒ごとに首を突っ込んでいる場合じゃないんだけどな。
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