第4話(1)
木曜日を経て、金曜日となった。
昨日も瀧浪先輩は放課後の図書室にこなかった。水曜日から二日連続。昨日に至っては日中にも顔を合わせていない。
さてどうしたものか。
今朝は蓮見先輩に、いつぞやのように少し早めに弁当を用意してもらい、それを持って家を出た。瀧浪先輩に会えることを期待しての行動だったのだが、世の中そううまくはいかないようにできているらしい。彼女の姿はどこにもなかった。
いつもより早く家を出れば、いつもより早く学校に着く。まだ半分もクラスメイトがきていない教室に入り、自分の席に制鞄を置いた。
どうしたものか――と、改めて考える。
現状、漠然と問題点は見えている。解決策は漠然とも見えないが。
「おはよう、みんな!」
まずは漠然とした問題点をよりはっきりさせるべく考えをまとめようとしたとき、教室内に張りのある声が響いた。対象を決めない、クラス中に向けた挨拶。こんなことができるのは何人もいない。
入ってきたのは直井恭兵だった。
彼に向けていくつもの挨拶が返される。だが、僕は遠慮しておこう。距離が遠い。こんなところから大声で挨拶を飛ばすようなガラではない。
「早いな、真壁。もうきてたのか」
その直井がなぜか僕のところにやってきた。
「やあ、おはよう」
「おはよう」
改めて僕たちの間で挨拶が交わされる。
「ちょっとした気まぐれでね。早くきてみたんだ」
「何かあったのか?」
直井は隣の席の机に尻を置きながら尋ねる。
「どうして?」
僕も間髪を容れず聞いてきた彼を見上げ、首を傾げた。
「真壁は真面目だから時間にきっちりしてる。その君がいつもとちがうことをしたんだ。何かあると思うのが当然だろう」
そんなものだろうかと考えてみたが、実際僕も瀧浪先輩が自分より二、三本早い電車に乗っているらしいことを知っていたから、今日は淡い期待を抱いた。人間誰しも周りの人間の行動を何となく把握しているものなのかもしれない。
「で、何か悩みか?」
「週明けの期末テストについてちょっと、ね」
「真壁は嘘が下手だな」
直井は可笑しそうに笑う。
「教科書も開かずテストの悩み? まさか真壁が、高校の数学が将来なんの役に立つんだ、なんて悩んでるわけじゃないだろう?」
その通りだ。テスト前のこの時期にそんなことを考えているやつらは、単に現実から逃避したいだけの連中だ。そんな暇があれば、僕ならまずは勉強する。
「テスト以外の悩みか」
「まぁね」
「大変だな、この時期に」
直井は苦笑する。もちろん、そこには嫌味っぽさの欠片もない。
「俺さ、けっこうトラブルが好きなんだよな」
彼なら力になるくらいのことは言ってくるかと思いきや、意外なことを言い出した。
「なかなか不穏な発言だね」
「ちがうよ、そうじゃない」
直井はまた笑う。
「問題に直面したら、それを自分の力で解決するのが好きなんだ。試されてる気がするんだよな」
「なるほど」
きっと彼なら快刀乱麻を断つが如く、立ちはだかる問題をバッタバッタと薙ぎ払っていくのだろう。
「反対に自分で解決できない問題はきらいだな。そこに問題があるのに人任せ、成り行き任せが性に合わない」
この場合の『自分で解決できない問題』というのは、己に力があっても解決できない種類のものを指すのだろうな。彼自身の能力が高いだけに、時間だけが解決する問題や誰かが動き出すのを待つしかない問題はもどかしいにちがいない。
「真壁の悩みってどっちなんだ? 自分で解決できる悩みか?」
「たぶんね」
まだうまく問題点を捉えられていないが、人任せや時間が解決してくれる類いのものでもないことは確かだ。
「じゃあ、大丈夫だ」
「僕は直井じゃないよ」
それに問題を解決することに喜びを感じるような強い人間でもない。
「だったら俺を頼ってくれ。いつでも力になるから」
なるほど。直井恭兵のように問題を鮮やかに解決できないのなら、その直井恭兵の力を借りればいいわけか。一理ある。
「直井君、おはよー!」
不意に教室中に響き渡ったのは女の子の声だった。
僕と直井がそろってそちらを見れば、新堂アリサの姿があった。ほかにも直井グループのメンバーや新堂さんの取り巻きもいる。僕たちが話をしている間に登校してきていたらしい。
「テストの後にみんなで遊びにいく話、決めるからー」
彼女は続けて叫ぶ。こっちにくる気はなく、直井を呼び戻したいようだ。
「わかった!」
直井も振り返り、答える。
「まぁ、真壁なら大丈夫だな。力になってくれる人が多そうだ」
そして、話を締めるためなのか、少し早口でそう言った。
「直井だってそうだろ」
「もちろん多いよ。でも、俺を利用したいやつらも多い。俺はスペックが高いから、装飾品のようにつれて歩きたがるんだ」
確かにそうだろう。友達に直井がいれば自慢できる。彼氏にできようものなら羨望の眼差しを一身に浴びること間違いなしだ。
それは兎も角。
「いいのか、そんなこと口にして?」
高スペック人間だという自覚もなかなかのものだ。
「真壁にはみっともないところを見せてるからな。本音で話すさ。それに今、俺の周りにいるやつらはみんないいやつばかりだ」
確かに直井は前より一歩こちらに踏み込んでくるようになったし、心の内を見せるようにもなった気がする。恰好をつけなくなったというのだろうか。以前は僕のことも『お前』だった。
「直井君!」
再び新堂さんが直井を呼ぶ。
戻ってきてくれないから苛々しているようだ。
「やれやれ」
直井もそんな雰囲気を察したのか、苦笑いをしながらようやく尻を机から離した。
「じゃあ、また」
「ああ」
そうして直井は自分のグループに戻っていった。
§§§
昼休みになり、涼を取るため飲みものを買いに学食へ行く。
やや遅めの時間。
たぶん瀧浪先輩たちはもう教室に戻っているはずだ。彼女は僕を避けている。であればエンカウントは避けたほうがいいだろう。そう思ってこの時間にした。
だが、相変わらず世の中うまくいかないものらしい。
会いたいときには会えず、会わないほうがいいと思っているときにかぎって会ってしまう。
視線の先に学食が見えてきたとき、そこから瀧浪先輩のグループが出てきたのだ。
瀧浪先輩は僕に気がつくと、自信なさそうにすっと目を逸らす。
「……」
かすかに、胸が締めつけられるような思いがした。
瀧浪先輩の横にいた鷹匠先輩が、そんな彼女の様子には気づかず、楽しげに肘で小突いた。また何かよけいなことを言っているのだろう。
だが、そのまま僕らは言葉もなくすれちがった。
「っ……!」
また、胸が苦しくなった。
学食に入り、隅の自販機コーナーに行く。
硬貨を握って何を飲もうか考えていたとき、横から手が伸びてきてボタンのひとつをダカダカ連打しはじめた。
「……」
僕は大きなため息を吐いた
まぁ、いい。先行投資だ。そう思って硬貨を放り込むと、ボタンの押下に反応してミルクティが転がり落ちてきた。
「ごちそうさまです」
唄うようにそう言った彼女――鷹匠先輩は、取り出し口からペットボトルを掴み上げると、それを顔の横に持ってきて嬉しそうに笑った。
続けて僕も同じものを買う。
そうしてから僕らは学食前の廊下に出た。
「このお礼をしなくてはいけませんね。今度好みの制服で放課後デートしてあげます。写真を見繕っておきますので、お好きなのを選んでください」
「それ、普通の写真なんでしょうね?」
「まさか。SNSに載せる用なので、えっちなのばかりです」
鷹匠先輩はしれっとそう言ってのける。
「いかがわしい店の指名じゃないんですから」
「おや? いかがわしいお店のシステムに詳しいので?」
「いえ、めちゃくちゃイメージで言ってます」
そんなもの知っているわけがない。
「で、わざわざ戻ってきたんですか?」
それぞれミルクティのキャップを開け、喉を潤したところで僕は改めて尋ねる。
「はい。どうも様子がおかしかったもので」
「瀧浪先輩は? 何か言ってました?」
「見ての通り、わたしひとりです。あまり真壁クンをからかって困らせないようにって。ついてきませんでした」
もしかしたら鷹匠先輩なりに瀧浪先輩を試したのかもしれない。
「おふたりケンカでもしたんですか?」
「ケンカも何も、そもそも僕たちは――」
僕の言葉が途切れる。鷹匠先輩がにこにこと笑っていたからだ。怖くはない。でも、有無を言わせぬ何かがあった。
そろそろ潮時か。
「……実は瀧浪先輩から告白されました。もちろん、僕も彼女のことが好きで、その気持ちに応えました。今は彼女とつき合ってます」
とは言っても、まだ日が浅いのでそれらしいことは何もないが。
「まぁ! そうなんですね。そんな大変な秘密、話してくれて嬉しいです」
「よく言いますね」
無言のプレッシャーをかけてきたくせに。それに薄々勘づいていたはずだ。
「でも、さっきはちょっと変な感じでしたね」
そりゃあつき合っているのに校内で会っても話をしないどころか、目を逸らして黙って通り過ぎていたら、当然そう思うだろう。
「教室での様子はどうですか?」
「そういう目で見ていないから何とも言えませんが、普通に見えますね」
「そうですか。こっちはもう二日連続で図書室にきてません」
僕がそう言った直後だった。
「あ……」
鷹匠先輩が何かを思い出したように発音した。
「どうかしました?」
「ひとつおかしなことがありますね。……昨日も一昨日も、放課後みんなで教室に残って勉強をしていたんですよ。テストも近いですし、瀧浪さんは教えるのがうまいですから」
「そうですね」
僕も見てもらったことがあるのでそれは実感している。
「それで五時半くらいになったら、図書室に寄って帰ると言って先に教室を出ました」
「……」
それは確かにおかしいな。
「そうですか……」
僕は普段の倍の時間をかけて、その言葉を紡いだ。
つまり瀧浪先輩は、放課後の教室でいつもの時間を過ごしつつ、そもそもその気がなかったのか急に気が変わったのかはわからないが、結果的に図書室には寄らずに帰ったということになる。
「また何かあったらおしえてください」
「わかりました。連絡用にわたしのSNSのアカウントをおしえておきますね」
「何でですか!? 普通にチャットにしてください」
新手の押し売りみたいな人だな。
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