第4話
名谷の駅を降り、蓮見邸へと歩く。
時刻は午後六時少し前。
僕の隣には蓮見先輩がいた。
結局、あの後本当に南京町に行ったものの、何をするわけでもなくぶらぶら通りを歩いただけだった。豚足も食べていない。やったことと言えば、南京町広場で十三体ある十二支像のパンダを見たくらい。
そうして期末テストも近いとあって、早々に引き上げてきたのだった。
「静流さ――」
その道中、蓮見先輩が切り出してくる。
「あんたと壬生さんってどんな関係なのよ?」
その疑問も尤もだろう。実際、高校生らしからぬ超然とした態度で皆から畏怖され、陰で女帝と呼ばれている壬生奏多と休日に出かけるのなんて僕くらいなものだ。
あと、図書室内限定ならクラスメイトの辺志切桜も奏多先輩とよく話をしている。辺志切さんは緊張気味で、奏多先輩は笑顔を見せるわけでもなくいつも通りだけど。それでも彼女は奏多先輩が怖い人ではないと、正しく理解しているのだろう。
「先輩と後輩ですよ。中学に上がってすぐ知り合いました」
僕はそう答える。
「何がきっかけ?」
「忘れましたよ。そんな昔のこと」
「ウソ言いなさい。たった四年前の話でしょうが。……まぁ、いいわ。言いたくないなら言いたくないで」
あっさり引き下がる蓮見先輩。
別に言いたくないわけではなくて、ただ単に語って聞かせたところで、さほど面白いエピソードでもないだけだ。
「あんたといるときの壬生さん、楽しそうだったわね。あ、いや、いつも通りほとんど笑ってないんだけどさ。それでも楽しそうに見えた。なんか壬生さんって一歩引いて、周りはバカばっかりって冷たい目で見下してそうなイメージなんだけど、案外そうでもないのかな。当たり前だけど、笑うのね」
そう言えば、前にも瀧浪泪華についてこうやって人物評を述べていたように思う。蓮見先輩は誰かの見方を改めるとき、いつもこんなふうに言葉にして整理するのかもしれない。
「そりゃあ笑いますよ。人間ですから。冗談だって言います」
本当、勝手なイメージばかりが先行して、誰からも誤解される人だな、奏多先輩は。
「壬生さんが冗談!? 何それ、聞きたいんだけど」
「聞いたじゃないですか、今日さんざん」
「あー……」
当然、心当たりがあり、蓮見先輩は間延びした声を吐き出す。
ついさっき僕たちは三人まとめて奏多先輩の冗談に振り回されたばかりだ。冗談の影響範囲が大きすぎる。
「たちが悪いわね」
「でしょう?」
通常攻撃が全体攻撃で精神攻撃の女帝先輩は好きですかと聞かれたら、まぁ、正直遠慮したいところだ。
「まー、でも、よかったわ。今回も楽しめて」
蓮見先輩は話題を変えるようにそう述べた。
気になる言い方だった。
「何ですか、それ」
「いやさ、前に静流がケガをすることになったじゃない? だから、あたしの中ですっかりイメージが悪くなっちゃってね」
蓮見先輩は自嘲気味に力なく笑う。
そういうことだったのか。先日、蓮見先輩と眼鏡を見に出かけたときも、彼女は三宮に拘っていた。あれは悪い思い出を上書きするためだったのだ。
「大丈夫ですよ。この傷がきれいに消えるころには、蓮見先輩もすっかり忘れてます」
僕は自分の腕を見ながら答えた。
そこにある傷跡にはもう生々しさはなく、かなり薄くなっていた。
「忘れていいのかしらね」
「いいですよ。いつまでも引きずるほどのことじゃないです」
確かに蓮見先輩が相手を怒らせたことがきっかけだったかもしれない。でも、理由がどうあれ刃物を持ち出し、それを人に向けた時点で純然たる加害者なのだ。彼女が気に病むことではない。
「そっか……」
蓮見先輩は安堵したように言い、それっきり黙った。
そうこうしているうちに蓮見邸に辿り着く。
門をくぐり、一般家庭よりも距離のある玄関ポーチまでの道を歩いて邸の中へ。
「ただいま」
「ただいま戻りました」
リビングに這入れば、そこにはテレビの報道番組をBGMにして、朝と同じく紙に目を通している蓮見氏の姿があった。ローテーブルの上にもステープラーで留められた紙束がいくつか散乱していた。いったい何を読んでいるのだろうか。いつか機会があったら聞いてみることにしよう。
「おかえり。……おお、ふたり一緒か」
迎えたおじさんは、僕と蓮見先輩がそろっているのを見て破顔一笑する。本当に姉弟仲がいいと嬉しい人なんだな。ある意味では親らしいのかもしれない。
「たまたま駅で一緒になってね。……お父さん、お昼なに食べたの?」
「ああ、インスタントの焼きそばがあったからそれを食べた」
これまた嬉しそうなおじさん。
蓮見先輩に言わせると、普段ちゃんとした食生活をしている反動で、そういうインスタントなものやジャンクなものが好きなのだそうだ。積極的に食べるわけではないが、今日みたいな日は彼にとって絶好の機会なのだろう。
ひとりご機嫌な様子でインスタント食品にお湯を注ぐおじさんを想像すると、ちょっと笑えてくる。
「そう。……じゃあ、すぐに夕飯作るわ」
「お前たちも疲れているだろう。少し休んでからでいい」
おじさんはやんわりとそう言った。
「わかった」
蓮見先輩は父親の気遣いに小さく笑ってから、二階への階段を上がりはじめた。僕も後に続く。
その階段の途中。
「あ、そうだ」
何か思い出したのか、蓮見先輩が急に足を止めた。だが、まさかこんなところで立ち止まるとは思わず、
「え……うわっぷ」
「ふぁっ!?」
対応し切れなかった僕は、目の前にあった蓮見先輩のお尻に顔をぶつけてしまったのだった。蓮見先輩の口から悲鳴が上がる。
「し、静流!?」
声が裏返っている。
「あ、あんたねぇ!」
「いや、蓮見先輩が急に止まるから……」
尻を手でおさえながら振り返った彼女は、真っ赤な顔に羞恥と怒りが綯い交ぜになった形相を浮かべていて――僕は言い訳を口にしながらたじろぐ。
「どうした? 何かあったのか?」
下からおじさんの声。幸いここからでは死角になっていて、互いの姿は見えない。
「う、ううん。何でもない」
蓮見先輩は返事をする。
「ん!」
そうしてから眉間に皺を寄せたまま、顎で二階を指し示した。口答えをするとはいい度胸だ。まずは上に行け。そこでゆっくり話を聞いてやる、といったところか。
ふたり連なって二階へ上がる。
「本当、すみません」
「こっちも悪かったわ。あんなところで止まって」
廊下で僕が素直に謝れば、蓮見先輩も反省の言葉を口にした。ここまで移動する一分足らずの間に、お互い冷静になったのだ。ひとまず不幸な事故として処理される。
「で、何か僕に言うことがあったのでは?」
「ああ、そうだったわ」
蓮見先輩は頭を掻きながら、どこか居心地が悪そうな調子で答える。
「今日で静流と壬生さんのことはよくわかった。たぶん静流にとって壬生さんは特別なんでしょうね」
「……」
どうだろうか。あまり深く考えたことはない。あの人とはただの先輩後輩で――そして、僕たちの間に恋愛感情はない。でも、恋愛感情もなく一緒にいる男女というのは逆に特殊なのかもしれない。
「でも、あんたの彼女は瀧浪さんよ? そこ、忘れないようにね」
「わかってますよ」
僕がそう言い返せば、蓮見先輩はかすかに笑う。
「それもそっか。あんた真面目そうだものね」
そうして彼女は自室のドアの向こうに消えていった。
今回、瀧浪先輩が現れたことで普段の僕と奏多先輩を見せるという目的が急遽設定された。もしかしたらそもそも奏多先輩がわざわざ僕を借りると瀧浪先輩に断ったことも、彼女を引っ張り出す意図があったのかもしれない。そこまでではなくとも、こそこそ内緒で出かけるような仲ではないと示したかったのだろう。
今日は僕と奏多先輩の平均的な休日だった。
さて、瀧浪泪華の目にはどう映っただろうか……。
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