第3話(1)

 昼どきとなり、昼食をとるために入ったのはパン屋の延長みたいな店だった。


 古きよき時代のイギリスの農家のような内装で、店内を行き交う店員の制服も雰囲気作りにひと役買っている。


 僕たちの前にあるのはバスケットに入ったいくつかのパンとバター、コーヒーだ。奏多先輩は個数にして僕の半分も注文していない。まぁ、もともと食の細い人ではあるので、これで適量なのだろう。だからスレンダーなんですよなんて言ったら、たぶん僕は生きて帰れない。


 さて、瀧浪先輩たちはどうしているのだろうか。そう思って離れたテーブルに陣取った彼女たちにさりげなく目を向ければ、色とりどりのパンを前に何やらふたりで盛り上がっていた。バスケットにパンをあーでもないこーでもないと並べ直し、重ね直ししては写真を撮ったりしている。いわゆるインスタ映えを狙って苦心しているようだ。


「人のことをつけ回してないで、素直に楽しめばいいのにな」


 美味しそうな食べものを前に女の子らしく賑やかにしているふたりを見て、しみじみ思う。




「瀧浪は私が怖いのよ」




 不意に奏多先輩が言った。


「怖い?」


 僕は意味がわからず、鸚鵡返しに聞いて首を傾げる。

 奏多先輩はパンを小さく千切り、上品に食べていた。


 その彼女を見ながら、怖いとはどういう意味だろうと考える。別に奏多先輩は怖くない。人に手を上げるわけでもなければ、苛烈な言葉を浴びせかけるわけでもない。周りを怖がらせるようなことは何ひとつしない人だ。


 いや、それは僕だからわかることか。


 壬生奏多は口数が少なく、常に超然としている。整いすぎる相貌は硬質で、表情の乏しさともあわさって氷の彫像のようにも見える。彼女に畏怖を覚えるものも少なくはないだろう。言葉や行動ではないのだ。


 だが、いま奏多先輩が言わんとしているのは、そういうことではないように思う。


「瀧浪は静流にとって私がどういう人間か計りかねているのよ。だから、不気味で仕方がない」

「どういうって、同じ中学の先輩後輩でしょう」


 ただの、とは決して言えないところはあるが。


「それは瀧浪先輩にももう言ってありますよ」

「なら、尚更ね。……瀧浪は不安なのよ。私とお前が三年も四年も前からのつき合いだということは、それだけ自分の知らない静流がいて、それを知っている私がいるということだから」

「……」


 そういうものなのだろうか。


 例えば、直井恭兵は蓮見紫苑に好意を寄せている。だから、僕が彼女の異母弟としてひとつ屋根の下に暮らしていることに嫉妬し、心の均衡を崩した。自分の知らないところで彼女と一緒にいることが許せなかったのだ。


 僕の場合に置き換えてみる。


 瀧浪泪華は誰に対しても嫋やかな笑顔で接する。学食で顔を合わせるよそのクラスの男子生徒、廊下ですれちがう下級生……。だが、中にはもっと仲のいい男もいるだろう。同じクラスの男となら休み時間中ずっと話をしていることだってあるにちがいない。


 それを考え――少しわかった気がした。なるほど、と苦笑する。やはり真壁静流は瀧浪泪華が好きだ。


「瀧浪と進展があったのでしょう?」

「ええ、まぁ」


 奏多先輩の声で思考の海から引き戻される。


「少なからずそれも影響している」


 両想いで、実質的に彼氏彼女の関係。だからこそ、未だ正体がはっきりしない奏多先輩が怖いというわけか。


 僕はどうしたらいいのだろう……?


「難しく考えることはないわ」


 考え込む僕を見て、奏多先輩はそう告げる。


「お前はいつも通りにしていればいい。瀧浪は普段の私とお前を見たいのだから」

「ああ」


 ようやく合点がいった。


 それでか。それであの日、奏多先輩が僕を借りると瀧浪先輩に断りを入れたとき、彼女はあっさりと引き下がったのだ。こうして尾行し、僕たちの様子を窺うために。


 そして、奏多先輩はそれをわかっているから、合流直後、瀧浪先輩と蓮見先輩を呼びにいこうとした僕をとめたのだろう。


 僕は再度瀧浪先輩に目をやった。

 なぜか蓮見先輩とテーブルをはさんで額をくっつけるようにして睨み合いをしていた。


「……」


 おい、この短時間に何があった?



          §§§




 午後になって僕たちは三宮からJR神戸線で神戸駅へ。


 そうして辿り着いたのは、八時間労働発祥の地として全国的にも有名な神戸ハーバーランドだった。


 どうやら服はここで探すらしい。だったら最初からここにくればよかったのにと思うが、おそらくまずは通い慣れた三宮の大型書店に行きたかったのだろう。


 ハーバーランドではumieのノースモールとサウスモールを行ったり来たりして、ようやく奏多先輩は一軒の店に狙いを定めたようだった。


「いらっしゃいませ。今日はどんなのをお探しですか?」


 店舗に一歩入った瞬間、店員が飛んできた。そりゃあ中身を知らなければ、見た目だけは上玉だ。これを逃す手はないだろう。瀧浪先輩のときにも見た光景だ。


 だが、彼女のときとは決定的にちがうものがある。


「いいわ。に選ばせるから」


 奏多先輩が怖ろしく愛想がないことだ。


 彼女は寄ってきた店員に、これであるところの僕を顎で示して言うと、それっきり見向きもしなくなる。


「すみません」


 奏多先輩のあんまりな態度に申し訳なくなって、僕が代わりに謝っておいた。そうしてからディスプレイされたアイテムを見る彼女の横に並ぶ。


「因みに、予算はどれくらいで?」

「お前は気にしなくていい」


 判断材料の収集のために聞いてみれば、そう一蹴されてしまった。


 嫌がらせのように高い服を選んでやろうかと考えてみたが、あっさり買われたらまだいいほうで、最悪却下されてやり直しになる。常識的な値段の範囲でチョイスすることにしよう。


 さっそくはじめる。




「これなんてどうですか?」

「お前の頭は何年前で止まってるの? もう子どもではなくてよ?」




「これは?」

「ずいぶんと肌の露出が多くなりそうね。こういうのは瀧浪か蓮見に着てもらうといいわ」

「いやですよっ」




 僕が選んだものがすべて素通りするわけではない。当然、奏多先輩の厳しいチェックが入るのである。


 こんなやり取りが何回か続き、




「なら、これですね」


 僕がまた新たなものを指し示す。袖のないダークカラーのカットソーに、正面にリボンのついたテーパードパンツ。長身で細身の彼女によく似合うだろうと思って選んだものだ。


 すると奏多先輩は、何やらピンとくるものがあったのか、真剣に考えはじめた。


「私なら選びそうにない。けれど、勝手に除外しているだけで悪くはないわね。……一度着てみるわ」


 そして、フィッティングルームへと向かう。


 どうやら試着してみる気になる程度にはお気に召してもらえたようだ。僕はほっと胸を撫で下ろす。


「あの人、怖いけど美人ね~」


 そう言って近づいてきたのは、先ほど奏多先輩に軽くあしらわれていた女性店員だ。


「どういう関係? 彼氏?」

「まさか」


 話し方は最初とちがって実にフランク。男である僕は客と見做していないのかもしれない。僕がお金を払うんだったらどうするつもりだ。


「学校の先輩後輩ですよ。運悪く彼女に目をつけられてしまってね。こうして休みのたびに呼び出されては、買いもののおともをさせられてるわけです」

「あらー、かわいそ」


 店員は楽しそうに笑う。人の不幸は蜜の味を体現するような人だな。


 と、そのときフィッティングルームのカーテンが開いた。


「静流、これに決めたわ」


 そう告げた奏多先輩は、先ほどと変わらずキャミソールにデニムのロングパンツ姿。どうやら試着して自分ひとりで満足し、とっとともとの服に着替え直したようだ。ここで僕に見せるという考えはないらしい。……別にいいけど。前からそうだし。


「これを」


 奏多先輩はちょうどいいとばかりに、僕の横にいた店員にカットソーとテーパードパンツを差し出した。「ありがとうございます」と店員はそれを受け取り、会計のためレジへと向かう。


 会計のときに黙って横で立っているのもおかしな構図なので、僕は先に店舗を出ることにした。

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