第3部

プロローグ

プロローグ

 高校生としての僕の本番は、ある意味放課後にあると言っていいかもしれない。


 今日の授業が終わると、図書委員である僕は図書室を開けた。程なくして、普段から勉強や読書のために足繁く通っている常連の生徒がバラバラと姿を現す。人数にして両手の指の数ほどもいない。加えて、一学期の期末テストが近づいてきたので、最近では常連以外の新顔もいた。きっと家では勉強に集中できないタイプなのだろう。


 そんな生徒たちによって、図書室の中の時間は穏やかに流れていく。


 やがて閉室まで十五分を切り、残っている生徒も疎らになったころ、ひとりの女子生徒がやってきた。


 瀧浪泪華だ。


「こんにちは」

「瀧浪先輩、こんにちは」


 彼女の挨拶に応えたのは僕ではない。僕がカウンター対応をしていた一年生の男子生徒だ。彼は常連ではなく、期末テストに向けてここに勉強をしにきた新顔のひとりだった。


「よく会いますね」

「ええ」


 嫋やかに笑って応える瀧浪先輩。


 この図書室に数日も通っていれば気づくだろう。彼女がほぼ毎日この時間、ここにきていることを。


「あの、もしかして瀧浪先輩と真壁先輩って、その……」


 彼は実に言いにくそうにしながら、僕と瀧浪先輩を交互に見た。……何が言いたいか、だいたい見当がつく。当然、聡い瀧浪先輩にそれがわからないはずがない。


「あら、バレた? 誰にも言わないでね?」


 そして、その上でこの受け答え。


「やっぱりそうだったんだ。もちろん、誰にも――」

「瀧浪先輩、何も知らない新入生をつかまえて、そういう嘘を吹き込むのは感心しませんよ」


 ここでようやく僕が口をはさむ。


「え? う、嘘……?」


 彼は再び僕と瀧浪先輩へ顔を行ったり来たりさせる。


「失礼ね。冗談と言ってほしいわ。……本当はね、今日はこれを返しにきたの。いつも真壁くんにオススメの本をおしえてもらって、面白そうなのがあったら借りて帰っているのよ」


 そう言いつつ瀧浪先輩は制鞄から一冊の本を出した。ガストン・ルルー著『黄色い部屋の謎』。百年以上も前に書かれた作品だ。僕はこれほどに鮮やかな人間消失トリックをほかに知らない。


 瀧浪先輩はそれを僕に手渡す。


「そうだったんですね」


 彼はほっと胸を撫で下ろすと、座っていた席に戻っていった。

 瀧浪泪華は多くの男子生徒の憧れの的だ。彼のこの反応は、むしろ平均値といっていいだろう。


「相変わらずうまい」


 僕は思わず感心したような、呆れたような声を発した。


 もちろん、先ほどの彼への対応のことだ。一度認めておいて冗談だと前言を翻す。さらに借りた図書を見せて、ここにきた理由に信憑性をもたせた。もちろん、僕が横から窘めることも織り込みずみだったにちがいない。これで彼は今後、僕と瀧浪先輩の関係に何ら疑いをはさむことはないだろう。


「本当のことを言ったほうがいい?」


 瀧浪先輩はそう言いながら、いたずらっぽい笑みを見せた。


「やめてください。僕の高校生活の難易度が上がります」

「あら、残念」


 僕が懇願するような悲鳴を上げると、彼女はその言葉とは裏腹にどこか満足げに笑う。


「で、これはどうします?」


 そんな瀧浪先輩の態度をあえて無視し、僕はさっき手渡された図書を示しながら聞いた。本当に返却するのか、それともただのブラフだったのか。


「まだ読むわ。ちゃんと期限までに返せると思う」

「わかりました」


 結果、図書は再び瀧浪先輩の手へ。


 と、そのときチャイムが鳴った。午後五時五十五分の予鈴だ。そろそろ帰る支度をしろとばかりに鳴り響く。


 閲覧席を見れば、残っていた生徒たちも各々荷物を片づけはじめていた。カウンターの中にいる僕も、業務用端末の不要なアプリケーションを落としていく。


「さようなら、瀧浪先輩」

「ええ、さようなら」


 未だカウンターの前にいた瀧浪先輩に軽く頭を下げ、挨拶をして帰っていったのは、先ほどの彼だ。……図書室の主たる僕には何もないのか、新入生。


 彼だけではない。ほかにも何人かこちらに挨拶をしてから帰る生徒がいて、彼らを見送った後、瀧浪先輩は僕へと向き直った。


 だが、何も言わない。


 ただ幸せそうな笑みを浮かべ、僕を見ているだけ。実に居心地が悪い。


「……何か?」

「さぁ?」

「……」


 まぁ、彼女が何を言いたいかわかるつもりだけど。だからと言って、こうもじっと見つめられて平気なわけがなく――僕は彼女の視線を受けつつ、それでも努めて淡々とカウンター内の閉室業務を進めるのだった。


「真壁くんいるー?」


 そこに声。

 こんな閉室間際に現れたのは蓮見紫苑だった。


 彼女はカウンターにいた僕ではなく、その前にいる瀧浪先輩を見ると、「む……」と眉間に皺を寄せた。


「瀧浪さん、やっぱりいたわね」

「ええ、もちろんよ」


 対する瀧浪先輩は口の端を吊り上げ、どこか勝ち誇ったように答える。


「蓮見さんこそ最近よくくるわね。……そんなにわたしと静流が気になる?」

「そっ、そんなんじゃないわよっ」


 心外だとばかりに、慌てて言い返す蓮見先輩。


 このふたり、仲がいいんだか悪いんだか。


「蓮見先輩、どうかしたんですか?」


 このままでは煽り耐性のない蓮見先輩が瀧浪先輩にいいように遊ばれてしまうので、僕は助け舟を出す。実際、このところ蓮見先輩が放課後の図書室に顔を出す頻度が増したような気がしないでもない。


 すると、蓮見先輩は申し訳なさそうに、


「あ、いや、帰りに買いものにつき合ってもらおうと思ってさ」

「そういうことですか。いいですよ」


 それくらいお安い御用だ。


 学校帰りに男手がいるほど大量の買いものをするとは思えないが、学校帰りであるからこそ手にはすでに制鞄があって、思っていたほど持てないという状況が発生するかもしれない。


「あら、放課後デート? 羨ましい」

「だから、そんなんじゃないって言ってんでしょうが。って――」


 と、こめかみに怒りマークをつけて言い返しかけた蓮見先輩だったが、そこではたと何かに気づいた。


「静流と瀧浪さんって、そういうのないの? 羨ましいって」

「ないですね、今のところ」

「残念ながら」


 先に僕が答えれば、瀧浪先輩も後に続いた。


「ふうん。まぁ、いつも同じ時間に帰ってきてるんだから、聞くまでもないか」


 蓮見先輩はすでに自分がその答えをもっていたことに気づいたようだ。


 納得。

 それから一転、むっとした顔を僕に向けてきた。


「あんたさ、もうちょっとそれらしいことしたらどうなのよ?」

「そうは言いますが、もうすぐ期末テストですよ? 遊んでる場合じゃないです」


 遊び慣れてる連中だってこの時期はかたちだけでもテストに備えるだろうし、クラスのリア充グループである直井たちに至っては今は完全に本気の勉強モードだ。


「心配しないで、テストが終われば夏休みだもの。いくらでもデートはできるわ」

「まぁ、そうなんだろうけどさ……」


 瀧浪先輩の呑気さにか、或いは、惚気話にも聞こえる言い方にか、蓮見先輩は呆れたように頭を掻いた。


「だから、蓮見さん、わたしの代わりに好きなだけ放課後デートでも買い出しデートでもしてきて」

「何でそこで上から目線なのよ!?」


 イラッとしたように蓮見先輩が吠える。


 再びチャイムが鳴った。

 午後六時の本鈴。閉室の時間だ。


 ふたりの言い争いは一旦中断。チャイムが鳴り響く間、瀧浪先輩は余裕の笑みを浮かべ、蓮見先輩はそんな彼女に引き攣り気味の表情で視線を返している。


 やがて鐘が鳴り終えると、


「じゃあ、ふたりとも閉室なのでそろそろ退室を」


 どちらかがまた何か言い出す前に、僕が真っ先に口を開いた。


「そうね」


 瀧浪先輩が首肯。特にこの話を引っ張る気はないようだ。


「蓮見先輩、パティオで待っててくれますか。駅に着いたら連絡しますので」

「ん、わかった。先に行ってる」


 蓮見先輩もひとまず矛を収める。

 そうしてふたりは放課後の図書室を出ていった。


 とは言え、瀧浪先輩と蓮見先輩が一緒に帰れば、先のようなやり取りはまた起こるだろうし、そうなれば溜め込んだ怒りの矛先は僕に向くにちがいない。どうにも問題を見えない場所にもっていっただけのような気がする。


「さて、と――」


 蓮見先輩と合流した後のことが怖いが、今は考えないようにし――僕は意識的にそう発音した。


 閲覧席に目を向ける。と、そこでは本日の利用者の最後のひとりが、自分の荷物を片づけているところだった。


 壬生奏多だ。


 閉室時間を過ぎてもこの態度は傍若無人にも見えるが、普段はあまりこういうことはない。いつも時計仕掛けなのかと思うほど時間に正確なのだ。


「奏多先輩」


 僕は彼女に近づき、声をかける。


「お前たちのやり取りが面白くて遅くなったわ」

「だから見世物じゃありませんって」


 僕が図書委員として退室を促すよりも先に、奏多先輩が口を開いた。しかも、責任をこちらに転嫁している。


「とは言え、まぁ――すみません。毎度毎度騒がしくて」


 ここ一、二ヶ月ほどでいくつかのイベントがあった。僕の人生の転機になりそうなものから、高校生らしい青春の一ページに残りそうなものまで。そのたびにこの図書室が騒がしくなるのだ。


 図書委員であるにも拘らず、騒動の原因になっていることを申し訳なく思う。


「でも、いいことだわ」


 奏多先輩はノートや筆記用具を制鞄にしまいながら言う。


「そうですか? 僕としては高校生活を穏やかに過ごしたいのですけどね」

「お前みたいなのは騒がしいくらいがちょうどいい。……帰るわ」


 程なく荷物をまとめ終えた奏多先輩が立ち上がった。


「あ、はい。お気をつけて」


 彼女の言う『お前みたいなの』とは、僕のどの部分を指しているのだろうか。そのあたりがはっきりしないまま、僕は図書室を出ていく奏多先輩を見送った。


 確かに周りが騒がしい。


 僕はつい先日、母を亡くした。でも、反対に時を同じくして出会った人も多い。瀧浪先輩や蓮見先輩がそうだ。


 母はもういないが、今年はきっと賑やかな夏休みになりそうな気がする。

 

 

 

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大変お待たせしました。本日、11/23より連載再開です。

全27回。毎日19:00に更新します。


『放課後の図書室でお淑やかな彼女の譲れないラブコメ3』は、12/25発売予定です。

どうぞよろしくお願いいたします。

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