エピローグ
エピローグ
七月七日。
七夕。
例の如く、放課後の図書室に彼女はやってきていた。
「最近自撮りにはまってるの」
時間は午後六時前。
五分前の予鈴は鳴っているので、図書室を利用していた生徒はほとんど帰ってしまっている。おかげで瀧浪先輩の口調も、実に砕けたものとなっていた。
「今まで自撮りなんてやったことなかったからわからなかったけど、うまく撮るって難しいのね」
彼女はスマートフォンを手で弄びながら、そんなことを言う。
確かに瀧浪先輩がかわいい猫やきれいな花など、手あたり次第に写真を撮っているようなイメージはない。そんな写真を撮ることに慣れていない人間が自撮りに挑戦しようというのだから、当然悪戦苦闘もするだろう。
「それでもどうにかいいのが撮れたわ。……見る?」
「せっかくだし拝見しようか」
僕がそう答えたときだった。
「静流、まだいるー?」
現れたのは蓮見先輩。
そのとき、瀧浪先輩がかすかに「む……」と発音し、眉間に皺を寄せたのを、僕は見逃さなかった。
「あら、蓮見さん、どうかしたの?」
しかし、彼女はそんなことなどなかったかのように聞く。
「なんかいやぁな予感がしたのよね」
「本当なの!?」
「冗談よ」
蓮見先輩はさらりと言う。
いや、その予感は案外当たっているかもしれない。
「何か手伝えることがあるかと思って寄ってみたのよ」
まるでいつぞやみたいだ。
「静流、何かある?」
「そうですね。実は瀧浪先輩が自撮りを見せてくれるというのですが、蓮見先輩、先に確認してもらえますか」
いわゆる毒見役。
「ん~、どれどれ……」
「あっ」
蓮見先輩が瀧浪先輩の手からさっとスマートフォンを取り上げると、瀧浪先輩は小さな声を発した。
そうして端末のディスプレイを見た瞬間、蓮見先輩の顔が真っ赤になった。
「静流に何てもの見せようとしてるのよ!?」
「だって、いいかげん選んでもらったランジェリーを見せないとと思って……」
言い訳がましい言葉を吐く瀧浪先輩の隣で、僕は頭を抱える。……案の定、毒だったか。しかも、猛毒だ。同じ女性が赤面するとか、いったいどんな写真なんだ。
「これに大きめシルエットのセーターっていいと思うのよね」
「うーん……」
蓮見先輩が真面目に考えはじめた。そこは女の子。やはりファッションの話には敏感ということか。
「ニーハイのストッキングにガーターベルトなんてどうかしら?」
「ああ、そこまでいくと蓮見先輩の好みから外れそうですね」
「そうね。暑そう。あたしはパス」
蓮見先輩は暑がりなのか、もしかしたら冬になってもそうなのか、とにかく着る服の枚数は少ないほうがいい、肌を覆う面積は小さいほうがいいという人だ。
そして、そもそも瀧浪先輩とは立ち位置がちがう。瀧浪先輩はファッション性、というか、いかに扇情的な恰好かで語っているが、蓮見先輩はあくまでも機能面、それも自分好みの機能面で考えているのだ。
「ねぇ、静流? あなた、ずいぶんよくわかってるのね?」
瀧浪先輩がこちらに笑みを向ける。ただし、目は笑っていないので非常に怖い。
いや、まぁ、ひと月近く私生活をともにしていれば、多少なりとも趣味嗜好はわかってくるわけで。
「お前たちも学習しないわね。静流はそれくらいじゃ動じないわよ」
現れたのは奏多先輩だ。思わず僕の口から「げ……」という声がもれる。
「思い出したわ」
声を上げたのは瀧浪先輩。
「静流は女の体なんか見慣れてるって言ってたわよね」
「なに、それ!? あたしも聞きたい」
そして、詰め寄られるのはいつも僕。たまには問題発言をしている本人のほうに行ってくれないだろうか。
「……」
僕は上体を仰け反らせながら斜め上を見た。もうこの展開にも慣れてきたな。悟りを開きそうだ。
そもそも奏多先輩は間違っている。マンガ雑誌のグラビアページに載っているアイドルの水着姿ならいずれ見慣れるだろう。しかし、身近な人間には当てはまらない。ましてやそれが魅力的であったり、己が好意を抱く相手なら尚更だ。
先ほどの瀧浪先輩の自撮りをうっかり見ていたら驚いてイスから転げ落ちていただろうし、蓮見先輩の露出度の高い部屋着には毎度毎度どきっとさせられる。もちろん、それは奏多先輩とて同じだ。いくらスレンダーな体でも何回見たから慣れるというものではない。
「……どうしてくれるんです、これ」
僕は諸悪の根源に恨みがましい目を向ける。
「仕方ないわね」
やれやれとばかりに奏多先輩は肩をすくめる。
「ふたりとも出なさい。もう閉めるそうよ」
「え? ちょ、ちょっと……」
「やだ、押さないでよ」
片手で交互に瀧浪先輩と蓮見先輩を突き、出入り口へとずんずん進んでいく。そうしてやがて三人の姿は見えなくなった。
どうせ問い詰めるなら奏多先輩にしてくれないだろうか。……いや、そうしたらいつもの如くあえて誤解を招く表現をして、僕がとばっちりを喰うだけか。
「さて、片づけるか」
僕は意識的にそう発音し、閉室作業をはじめた。
§§§
図書室を閉め、鍵を職員室に返してから昇降口に下りると、そこに瀧浪泪華がいた。
七夕の笹を見上げている。
どうやら彼女だけのようだ。蓮見先輩と奏多先輩は先に帰ったのだろう。
「これも今日で片づけだな」
「そうね」
僕も彼女の横に並び、同じように笹を見上げる。
初日とは比べようもないくらい短冊を増やした笹は、今日片づけられる。設置も遅い時間だったようなので、このまま待っていたら生徒会あたりが片づけに現れるかもしれない。
「最後に何か願いごとでも?」
あまりにもじっと見ているので、僕は彼女にそう問うてみる。
「そうね。お願いだわ。でも、織姫じゃなくて、静流にお願いするの」
「僕?」
「ええ」
瀧浪先輩は僕へと向き直った。
人気も途絶えた夕方の昇降口、僕たちは七夕の前で向かい合う。
「わたし、静流が好きよ」
そして、瀧浪先輩は真剣な顔で、静かにそう告げた。
「これ、ちゃんと言ってこなかった気がするわね。グイグイ迫るばかりで」
そこで彼女は一度苦笑すると、また真顔に戻った。
「静流が好き。だから、わたしをあなたの彼女にしてほしいの」
今まで見たこともないような、怖いくらい真剣な表情で、瀧浪泪華は僕に想いを伝えてくる。
確かにここまで真っ直ぐな言葉は初めて聞く気がする。
だから、僕もきっと真剣に答えなくてはいけないのだろう。彼女にも、自分にも誠実に、だ。
僕は踵を返した。
「断る。そういうのはほかをあたってくれ」
「え……?」
瀧浪先輩の口から間の抜けた声がもれた。
その彼女を置いて、僕は下駄箱で靴を履き替えはじめる。
「ちょ、ちょっと待ちなさい」
はっと我に返った瀧浪先輩が慌てて追いかけてきた。
「ここは首を縦に振るところじゃないの!?」
「どうして?」
学校指定の革靴に足を突っ込みながら問い返す。
「どうしてって……わたしのこと好きなのよね?」
「あー、うん、そんなことも言ったかな」
そこをつつかれるのは当然だろう。
「じゃあ、両想いじゃない! 彼氏彼女になって、普段は周りにそれを伏せながらふたりきりのときはベタベタしたり、人がいても書架の陰でこっそりキスしたりするのが筋ってものでしょう!」
「そんな筋は知らんっ」
前半部分は理解できるのだが、途中から彼女独自の価値観が強すぎる。
「一緒にいましょうって言ったじゃない」
「そう。でも、正確にはこうだ。――『今まで通りに』」
だから、瀧浪先輩の言うように彼氏彼女の関係になってしまうと、それは『今まで通り』ではない。
「屁理屈!」
「屁理屈でけっこう。……まぁ、好きだという気持ちはちゃんとあって、そこは間違いないと思ってる。もっとほかの感情にも自信がもてるようになったら、今度こそ瀧浪先輩の気持ちに応えようとは思ってるんだけどね」
「もぅ、そんなこと言われたら何も言えなくなるじゃない」
瀧浪先輩は口を尖らせる。
「そろそろ帰らないか? ここで長居してると生徒会が現れて、笹の片づけを手伝わされるかもしれない」
「で、先にひとりで帰らないあたり、多少は進歩してるのかしらね」
今度は小さなため息をひとつ。
そうしてから彼女は自分も靴を履き替えはじめた。
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【お知らせ】
これにて2巻収録分の本編は終了です。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
書籍版にはこれに加え、各章間にヒロイン視点の挿話、巻末に佐伯さん視点の番外編が収録されます。
また、いくつかの専門店様でもショートストーリィが特典としてつきます。
図書カノ2巻は2021年4月30日(金)の刊行予定です。
ぜひお手に取ってくださればと思います。
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