第4話(1)

 そうして週が明けた。


 すでに映画鑑賞という学校行事も年に一回のボーナスステージも過去のこととなり、いつもと変わらぬ月曜日。


 僕は今日こそ直井と話をしようと決めていた。これ以上先延ばしにはできない。


 昼休み、四時間目の授業が終わり、テキストやノートを制鞄にしまうと、代わりに弁当を出した。そうする間に覚悟を決め――いざ直井のところへ、と思って振り返ると、すぐ目の前に彼がいた。


「「あ……」」


 ふたりそろって小さく発音。


 わずかに気まずい空気が流れる。


「真壁」


 やがて意を決したように、直井が先に口を開いた。


「なに? 今日も僕は弁当なんだ」

「いや、そうじゃない」


 もちろん、僕だって直井が学食に誘いにきたとは思っていない。


 そこで彼は何かに気づいたように、かたちのいい眉をぴくりと動かした。


「その弁当は、その……」


 直井の視線は、僕が鞄から取り出した弁当に向けられていた。


「ああ、僕の姉が作ってくれたものだ。親戚のおばさんじゃなくてね」

「君は一回怒られろ」


 と、直井はぎこちなく笑う。


 その彼を見て、僕はおやと思う。直井からどこか吹っ切れた感じを受けたのだ。


「羨ましいな」


 彼はそう口にしてから、何かに納得したように一度うなずいた。


「そうだな。俺は真壁が羨ましかったんだ。それでずっと八つ当たりをしてた。……その、どうしてかはわかってくれるよな?」


 言いにくそうに聞いてくる直井。


「僕もそこまで鈍くないよ」

「ありがとう。……だから、すまない。悪かった」


 直井は会釈程度に軽く頭を下げた。僕も深々と頭を下げてほしいとは思っていないので、これで十分だ。


 彼だって自分のやっていることが八つ当たりだとわかっていたのだ。むしろそう理解できる視点があっただけに苦しかったのではないだろうか。人間には自分でもとめられない衝動が少なからずある。


 じゃあ、次は僕の番か。


「僕も、ごめん」


 直井がしたように、僕も彼に頭を下げる。


「何だよ、急に。真壁が俺に謝るようなことなんて何もないだろ」


 突然の僕のこの行動に、直井が目を丸くした。


「いや、僕は直井に嘘を吐くべきじゃなかった。一歩目で間違えてたんだ」

「家のゴタゴタなんて隠すのが当たり前だ」


 爽やかに笑う直井に、しかし、僕は首を横に振る。


「直井は度量の大きな人間だ。僕がきちんと説明すれば受け入れたはずなんだ。でも、僕はそれを忘れて安易な嘘に逃げた」

「買いかぶりすぎだ。実際はだったしな」


 直井は己の行いを顧みてか、自嘲気味に苦笑する。


「それにしても真壁が俺のことをそんなふうに思ってくれてたなんて、ますます勝てないな」

「勝てない?」

「ああ」


 僕が聞き返せば、直井はうなずいた。


「俺は蓮見先輩の話を聞いて、真壁には勝てないと思ったんだ。自分に同じことができるだろうかと考えたけど、答えは出なかった。強いよな、真壁は。誰かを守るためにそんなことができるなんて」


 そう言った直井の顔には晴れ晴れとしたものがあった。……なるほど。彼がニュートラルに戻ったのはそれが理由か。


「できるかできないかなんて、その場に立ってみないとわからないよ。それこそ誰かを守るためなら直井にだってできると思う。いや、僕なんかよりもっとうまくやるさ」

「どうだろうな」


 直井は曖昧な相づちを打つ。


「それにしても、俺たちはそろいもそろって情けないな」

「うん?」

「結局、ここまでくるのに蓮見先輩にお膳立てをしてもらったんだから」

「確かにね」


 僕たちはふたりまとめて蓮見先輩にケンカするなと怒られたようなものだ。加えて、僕は彼女の言葉から自分の間違いに気づいた。


「その蓮見先輩が言ってたよ。直井とは仲がいいから嘘は吐きたくないって。少なくともすでにそういう場所にいるんだ。そこから先は直井次第ってことだよ」

「ありがとう。がんばってみるよ。……それで真壁のほうはどうなんだ?」

「僕? 僕が何だって?」

「惚けるなよ。瀧浪先輩のことに決まってるだろ。この前だって学食で一緒に食べてたんだ。そんな男はほかにいない。これでただの先輩後輩だなんて言わないでくれよ」


 彼は拳で僕の胸を小突いてくる。


「僕と瀧浪先輩じゃ釣り合わないよ」

「またそんなことを」


 直井は呆れたように頭を掻く。


「……なぁ、真壁。釣り合うとか釣り合わないとか、自分でそう感じるときも周りがそう騒ぐときもあるけど、そういうのって所詮は雑音だと思わないか? だって、結局最後はそんなこと関係なくなるんだからさ。だったら、そんな雑音なんて最初から気にしなけりゃいい。そうしたら後は真壁次第だ」


 自分次第――それはつい先ほど、僕が直井に言った言葉だ。


 彼は真剣な表情をしている。


「自分の感情に誠実であれ――」


 誤魔化せそうにないと思った僕は、そう口にする。


「それは?」

「僕の尊敬する人の言葉だよ」

「いい言葉だ。それにもうそこに答えがある」

「かもね」


 そう。答えは出ている。


 僕の新しい答え。


 後は、それこそ僕次第だ。


「恭兵君、早く行こうよ!」


 そこに聞こえたのは泉川の声だった。ピリピリしているのがありありとわかる。見れば彼は、室堂や立野と一緒に教室の入り口で直井を待っていた。


「怒ってるね。空腹で気がたってるのかな」

「わかってて言ってるだろ、君は」


 直井が呆れる。


「泉川には俺から言っとくよ」

「ほどほどにね。泉川のことはそんなにきらいじゃない」

「本当に真壁には勝てる気がしないよ。……じゃあ」


 そうして直井は離れていく。これからいつものメンバーと一緒に学食だろう。


「さて――」


 意識的にそう発音する。


 僕も昼食にしよう。こちらもいつも通り、弁当を持って刈部や辺志切さんのところに向かう。


 気まぐれに窓の外を見ると、そこには七月に入っても未だ明けぬ梅雨の空が広がっていた。せっかく直井と和解したのだから、抜けるような青空にしてくれてもよさそうなものを。空気の読めない空だ。

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