第3話(2)

 全校生徒が五つほどのスクリーンに分かれて映画を鑑賞したものの、はじまりも終わりも同じ。


 朝と同じようにフロアは約二時間の映画から解放された生徒でごった返していた。一階のロビーや映画館の外も似たようなものだろう。やはりみんな、この後はどうするかといった話で盛り上がっているようだ。たまに映画の内容についての会話も耳に入ってくる。


 さて、僕はどうしよう。


 蓮見先輩とはそのあたりの話はしていないが、おそらく彼女は友達と一緒にお昼を食べるにちがいない。僕が蓮見邸に帰り、キッチンにあるものを適当に食べたところで怒られはしないだろうが、やはりこのまま刈部、辺志切さんと一緒に何か食べて帰るのが無難だろうか。


「真壁くん」


 そう思案していると名前を呼ばれた。


 声が聞こえたほうを見れば、そこには瀧浪先輩がいた。鷹匠先輩をはじめとする、いつもの面々もいる。


 瀧浪先輩はロングパンツにオーバーサイズのブラウスを抜き襟で着るというスタイル。ほかの先輩たちも思い思いの私服で、実に華やかだ。


「こんにちは、真壁くん」


 昨日のやり取りなどなかったかのように、瀧浪泪華は嫋やかな微笑とともに挨拶を投げかけてくる。


「こんにちは。瀧浪先輩もこのフロアだったんですね」

「ええ」


 それは僕も一緒で、やはりあくまでも親切な図書委員として接した。


「わたしたち、これからお昼なの。よかったら一緒にどうかしら?」


 これは僕を試している――そう思った。


 まるで最後通牒。

 この誘いに乗るか断るかは、今後の僕たちの関係を決定的なものにするだろう。


「せっかくですが、遠慮しておきます。僕が先輩方に交じるなんて不釣り合いですから。いつかみたいに直井がいればよかったんですけどね」


 だけど、僕が出した答えは変わらない。


 瀧浪先輩は諦め切ったようなため息を吐いた。


「ほらぁ、だから言ったじゃない」


 と、周りのひとりが袖を引っ張る。僕を気にして耳打ちするように言うが、しっかりと聞こえていた。この声は先日、昇降口で聞いたもののひとつのような気がする。


「あの噂もあるし、話すのならせめて図書室の中だけにしといたほうがいいって」

「え……?」


 なぜかそこで瀧浪先輩はその彼女を見ながら首を傾げ、それからはっと何かに気づいたように僕を見た。


「あなた、そういうつもりだったの……?」

「……」


 まぁ、遅かれ早かれわかることだったか。


「ね、直井君たちでもさがしにいこ」


 そうして瀧浪先輩は友達に腕を引っ張られるようにして、僕から離れていった。


 また、胸が痛んだ。


 地上階に下りるべくエレベータに乗ろうとしたら、そこに直井恭兵と、泉川をはじめとする取り巻きたちがいた。瀧浪先輩のグループはこの人混みの中うまく彼らを見つけられなかったようだ。


 一緒にエレベータに乗る。


 こういう場合、自然と黙り込むものだが、仲のいい友達同士で乗っている上、周りは同じ学校の生徒ばかりとあって、みんな大きな声でしゃべっている。その中で僕と直井だけが肩を並べて黙っていた。


「やあ」

「ああ」


 まさか何も言わないのも必要以上に意識している気がして――交わした言葉はとても短く、意味のないものだった。


 エレベータが地上に着く。


 ロビーもやはり友達と待ち合わせている生徒たちや、まだ外に出ずにおしゃべりをしている生徒たちで溢れ返っていた。


 直井と話をしなければと思う。だが、せっかく授業もなく、いつもより早い時間に三宮というターミナル駅で解放されたのだ。重い話を持ち出せば、そこに水を差すことになりかねない。……いや、今はそんなことを言っている場合ではないか。


「直――」

「あ、図書委員くんだ!」


 僕の言葉をかき消すように飛び込んできた声は、椎葉茜先輩のものだった。


 ということは……と、そちらを見てみれば、案の定、椎葉先輩とともに蓮見先輩や、そのグループのメンバーもいた。


「真壁くんに……お、直井くんもいるね。よかったらこれから一緒にお昼を食べにいかない?」

「え? いいんですか!?」

「行きます行きます!」


 蓮見先輩のお誘いに、真っ先に反応したのは直井の取り巻きふたりだ。


 そして、僕と直井はというと、戸惑いとともに横にいるお互いのことを強く意識していた。


 正直なところ、今はできれば呑気に直井と同じテーブルを囲むことは避けたい。彼も同じ気持ちだろう。いや、僕以上かもしれない。だけど、直井は断ることができない。自分だけが辞退できるなら兎も角、直井が断れば泉川たちも後に続かなくてはいけなくなる。彼はリーダーとして自分の都合に仲間を巻き込むことをよしとしないだろう。


 直井がその選択肢を採れない以上、僕が辞退するしかない。


「聞いて聞いて、図書委員くん」


 その矢先、椎葉先輩が話しかけてきた。


「実はいいお店、押さえてあるんだ。こんな時間になるのはわかってたしね。十人くらいで、多少増えたり減ったりするかもって感じで予約してあるから」

「意外と手回しがいいですね」


 いつも騒がしくてはしっこいイメージなのに。


「そうなのよね。茜ったら時々妙にしっかりしてるの」


 不思議そうに言うのは蓮見先輩だ。


「ふっふーん。うちは今どき珍しい四人姉弟で、わたしが長女なのだ」

「ああ、それで」


 長女として下の子の面倒を見ていれば、いやでもしっかりしてくるのか。意外だ。手を広げて走ってきたら、思わず受け止めて抱きかかえそうになる見た目だというのに。


「そのわりにはちょくちょく手がかかるのですが?」

「手がかかるってゆーな」


 半眼で睨んでくる椎葉先輩。


 探している本の場所を確認しないまま書架に入っていったり、もっと読みやすい本を紹介してくれとか。……まぁ、どちらも図書委員の仕事ではあるけど。何となく手がかかる感じがある。


「うん。だから時々なわけ」


 と、蓮見先輩。


「いやぁ、家でしっかりものをやってる分、学校では友達に甘えたいなぁ……って、それは置いといて。はい、じゃあ、兎に角そのお店に移動ね。しゅっぱーつ」

「……」


 しまった。うっかり断るタイミングを逃してしまった。こういうところがしっかりものたる所以か。……仕方がない。どうせならこの中で直井と話す機会を探ろう。




 大きな道路と、その向こうに見える三宮センタープラザビルを横目に、僕たちは歩道を歩く。


 さっきまで一緒にいた刈部と辺志切さんはもういない。当然、蓮見先輩や椎葉先輩が持ち前のフレンドリーさを発揮して一緒にと誘ったが、ふたりは辞退した。性格的にこのグループと行動をともにするのは気疲れするだろうと思う。


 集団は自然、蓮見先輩と直井が先頭の中央になり、僕は直井に声をかけるタイミングを掴めないでいた。


「茜って男を取っ替え引っ替えしてるのよね」

「ひ、人聞きの悪いこと言うなあっ」


 椎葉先輩が予約しておいたという店に移動しながら、おしゃべりは彼女をネタにして盛り上がっていた。……僕たちがお昼時にも拘らず、待つことなく昼食にありつけるのは椎葉先輩のおかげだというのに。不憫な。


「わたしってさ、こんなだから何となくマスコットっぽく見えるんだろーねー。で、試しにお友達からはじめてみて、ちょっとした拍子にテキパキ仕切ってみせたら、あれ、なんかちがうぞってなるみたい」

「ああ、それは男が悪いですね」


 答えたのはその直井。


「例え先入観があったとしても、それが椎葉先輩の本当の姿なんですから、それを受け入れないと」


 実に優等生らしい意見だ。椎葉先輩も「直井君、いいこと言うねぇ」と喜色満面でうなずいている。


 ほかの先輩たちも、直井の取り巻きたちも笑っていた。


 和気あいあいとした空気。


 どこかで直井と話せればと思ってついてきたが――何となく自分の存在が場違いな気がしてならない。彼の件はまたにして、僕も刈部たちと一緒に行けばよかった。




          §§§




 椎葉先輩が予約してくれていたインド料理の店で昼食をすませ、その後、三宮周辺をあちこち歩き回って解散となった。


 僕たち姉弟と直井は最寄り駅が同じなので、最後の最後まで一緒にいることになる。今日のメンバーのほとんどが地下鉄西神・山手線沿線に住んでいて、ひとり、またひとりと降りていき、最後のひとりが乗り換えのため板宿で降りると、僕と蓮見先輩と直井の三人だけとなった。


 板宿からふた駅で名谷。その名谷で降り、改札口を出た。


 直井と話すならここがチャンスだろう。彼と話したいことがあると言えば蓮見先輩も先に帰ってくれるだろうし、少し卑怯だがその状況なら直井も突っ撥ねることはできないはずだ。


 そう考えていたら、先頭を歩いていた蓮見先輩がくるりと振り返り、おもむろに口を開いた。


「で、君たちはケンカでもしてるわけ? まったくしゃべろうとしないけど」


 思わず僕と直井は顔を見合わせ……でも、すぐにお互い視線を外した。


「い、いえ……」

「別にそういうわけでは……」


 いくら蓮見先輩でも本当のことを言うわけにはいかない。というよりは、蓮見先輩だからこそ言えず、僕たちは口ごもる。


「ま、男同士だし? いろいろあるか」


 それを見た蓮見先輩は小さく苦笑した。


「直井君さ、君から見たら静流はパッとしないやつかもしれないけど、これで案外いいところあるのよ。……この前まで腕を吊ってたでしょ? あれ、なんでか聞いてる?」

「蓮見先輩!」

「いいじゃない。なかなかの武勇伝なんだから」


 僕はよけいなことを言いそうな気配を察してやめさせようとしたが、蓮見先輩はまったく意に介さなかった。無駄に茶目っ気のあるウィンクまで送ってくる。


「いえ、聞いていません」


 と、直井。


「あのケガね、前にちょっとアレなやつがナイフを出してきたときに、静流があたしを庇って刺されたケガなの」

「は?」


 さすがに寝耳に水だったようだ。いや、あまりの蛮勇に呆れたというほうが正しい表現のようだ。


「そりゃあもう景気よくザックリとね。でも、根性あると思わない? 大袈裟かもしれないけど、あたしの命の恩人。だからさ、直井君、静流と仲よくしてやってよ」


 さらに蓮見先輩は、今度は僕へと向き直ると、


「静流も。直井君はあたしのかわいい後輩なんだから、仲よくしなさいよね」


 まるで聞き分けのない子どもに言い聞かせるように言う。


 僕は直井が返事をしていない以上、ひとりだけ「はい」と返事をするわけにはいかなかった。僕がそう答えてしまえば、感情の整理ができていない直井にまで返事を強要するか、彼だけを拗ねる子どもにしてしまうことになりかねない。


 蓮見先輩は僕たちを見て、ため息をひとつ。


「簡単にはいかないみたいね。ま、いっか。あたしが口を出せるのはここまで。……直井君、じゃあね」

「あ、はい」


 直井が申し訳なさそうに応える。


 そうして蓮見先輩は踵を返して歩き出し、僕はその後を追った。


 直井が何か言いたそうにずっとこちらを見ていたが、結局、最後まで何も言い出すことはなかった。

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