第2話
直井恭兵はおそらく蓮見紫苑に好意を抱いている。
そこにきてクラスメイトが彼女と姉弟になった、ひとつ屋根の下で暮らしているとわかったら直井はどう思うだろうか。心穏やかでいられないとしても不思議ではない。
少しばかり不味いことになっている気がする。
僕は蓮見先輩の裏表のなさを甘く見ていたようだ。彼女はできるだけ嘘を口にしたくないのだろう。近しい人間には特に。結果、自身のかわいい後輩で、僕のクラスメイトである直井恭兵は、幸か不幸か、そこに含まれてしまったのだ。
蓮見先輩に悪気はない。むしろ直井を秘密を明かしてもいい相手として特別扱いしたくらいだ。だけど、きっと直井はそれを素直に喜べないだろう。
昼休みになった。
朝あれだけバタバタしたので、当然弁当などない。昼食にありつくためには学食に行くよりほかはなかった。
「ちょうどいい。試してみるか」
授業終了の礼の後、僕は立ったまま手早くテキスト類を片づける。
「直井」
昼休みの解放感の中、仲のいいクラスメイトと一緒に弁当を広げるもの、学食へ急ぐもの、みんな思い思いに動きはじめている。僕はグループのメンバーとともに教室を出ようとしている直井恭兵を捕まえた。
「なんだ?」
振り返った彼の声は、明らかにいつもより硬い。爽やかな笑顔もなかった。
「今日は弁当がないんだ。一緒に行ってもいいか?」
「断る。ほかを当たってくれ」
直井はほぼ即答だった。
彼らしくない突き放すような冷たい言い方だ。グループのメンバーや、それが聞こえた近くのクラスメイトがぎょっとしている。
そして、彼自身も驚いたようで、わずかに唇を噛んだ。
「悪い。今日は仲のいい連中と食べたいんだ。また今度な」
踵を返し、教室の出入り口へ向かう。
「真壁とは別に仲がよくないってさ」
いい気味だとばかりに泉川寿がせせら笑う。さぞかし胸のすく思いだろう。そのまま直井を追った。
「恭兵のやつ、珍しいな」
僕の横に立ち、頭を掻きながらそうこぼすのは、一年のときから直井と同じクラスで、部活でも一緒の自他ともに認める『直井の相棒』だ。名前を室堂という。
「悪いな。ま、諦めてくれ」
彼はどこか高いところから憐れむようにそう言うと、やはり直井を追って出ていった。
悪い予想が当たったか。直井も心中複雑のようだ。
僕も学食へ行く。
ひとりで食べるのも寂しいのでどこかに混ぜてもらうことにしよう。刈部や辺志切さんほどではないにしろ、仲のいいやつが見つかるだろう。思うに、そもそも刈部景光と辺志切桜は仲がいいというカテゴリではない気がする。たぶん仲のよさよりは相性のよさなのだろう。
「お、きたわね」
学食に行くと、なぜか入り口で蓮見先輩が待ちかまえていた。
「どうしたんですか? 財布でも忘れましたか?」
「あんたね……」
蓮見先輩は口の端を引き攣らせる。それから声のトーンを抑え、
「そうじゃないわよ。あたしのせいでお互いお弁当がないわけだし、だったら一緒に食べようかと思ってさ」
「いやですよ、そんなの」
前にここで瀧浪泪華と一緒に食べたが、あのときはまだ『図書室をよく利用する彼女と図書委員』という建前があった。だけど、僕と蓮見先輩では表面上接点はないのだ。なのに衆人環視の下、ふたりで食事をしていたら詮索されるに決まっている。
しかも、中には直井がいるのだ。
「なに? そんなにあたしと一緒がいやなわけ?」
「そうじゃないですけど、とにかく今はダメです」
思いがけず強い口調になり、自分でも驚く。先ほどの直井のようだ。彼もこんな気分だったのだろうか。
「……わかったわ」
聞き分けのない子どもを見るかのように、蓮見先輩はため息を吐いた。
「すみません……」
僕は謝る。何にだろう? 誘いを断ったことにか、それとも大きな声を出してしまったことにか。
蓮見先輩がそっと僕の両肩に手を置く。
そして、
「え……?」
くるりと僕の体を回した。
「瀧浪さん、これお願いね」
言って、僕を思いっきり突き飛ばす。
つんのめった先に瀧浪泪華の姿があった。このままではぶつかる。どうにかしなければ。そう考えて踏ん張ろうとした瞬間、足がもつれた。それでも何とか勢いを殺すことができ、『衝突』ではなく『接触』ですんだ。
「うわっぷ……」
「ひゃっ!?」
僕の顔がやわらかいものに当たった。慌てて体を起こす。
「す、すみません、瀧浪先輩。あ、あの……!」
「だ、大丈夫よ。ちょっと驚いただけ。ぶ、ぶつかったわけじゃないんだから」
瀧浪先輩は赤い顔で答えると、蓮見先輩へと目をやった。
「ちょっと、いったいなんなの!?」
「実はあたしも真壁くんもお弁当を忘れちゃって。瀧浪さん、悪いけど真壁くんと一緒に食べてあげて」
よく聞けばめちゃくちゃな文章なのだが、逆にそれで何か事情があるのだろうと察したようで、瀧浪先輩は呆れたようなため息をもって了承したのだった。
「蓮見先輩、中に直井がいるんで」
「あ、そう? じゃあ、あたしはそっちに混ぜてもらっおっかなー」
そう言って蓮見先輩は学食の中へ消えていった。
「ひゅ~どろどろどろ~」
何やら謎の効果音を口から発するのは鷹匠雅先輩だ。
彼女は僕の背中にぴったりと貼りつき、肩に自分の手と顎を載せた。もしかして古典的な幽霊の真似だろうか。
「風紀委員です。風紀の乱れを感じました。これは見過ごせませんね。……瀧浪さんのおムネの感触はどうでした?」
「はて、何のことでしょう? 僕たちはぶつかってませんよ」
あなたが風紀を語るか。
「それより、鷹匠先輩こそぶつかってますよ」
「ぶつけてまーす」
「今すぐ離れなさい!」
瀧浪先輩が力ずくで鷹匠先輩を引き離した。
「蓮見さんが寝坊?」
数分後、僕と瀧浪先輩は向かい合って食事をしていた。
僕が弁当を持ってきていない理由を説明すると、彼女は意外そうに目を丸くする。
「珍しいこともあるものね」
「そうですね」
一緒に暮らしている僕の目から見て、蓮見先輩は時間にきっちりした人だ。毎朝僕が起きてくるころにはすでに朝食の準備をすませ、リビングで新聞を読んでいる。その時間を守るという印象は、周りから見ても同じなのだろう。
「実際には寝坊ではなく、単に目覚ましの電池が切れていただけらしいので、今回は事故みたいなものですよ。でも、そのおかげで僕も家事を手伝わせてもらえることになりました」
「そう。それなら真壁くんとしても気が楽になるわね」
と、そこで瀧浪先輩は声の調子を少しだけ真面目なものに変えた。
「それで、どうしたの? 蓮見さんと喧嘩でもした?」
「いえ、そういうわけでは……」
「でしょうね。そんな感じには見えなかったもの」
瀧浪先輩は「じゃあ、なに?」と目で問うてくる。
「直接的に僕と蓮見先輩の間で何かあったわけではないです。これに関しては僕たち以外の人間も関わっているので、いくら瀧浪先輩でも言うわけにはいきませんよ」
「これでも口は堅いつもりなのだけど。……わかったわ。でも、何かあったら言って。相談に乗るから」
「ありがとうございます」
とは言ったものの、瀧浪先輩に助けを求める類のものではない。もっと言えば、これは直井の感情の問題なので、知ったことかですませることもできるのだ。
それでもできればどうにかしたいという思いがある。ああいう直井恭兵らしくない態度は誰も望まないだろうから。
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