第3章 そんな未来を探す

第1話

 日曜日になった。

 時間は十一時少し前。


「ごめん。待たせたわね。行こっか」


 リビングのソファに座り、テレビを点けてぼんやり待っていると、蓮見先輩が二階から下りてきた。


 デニムのショートパンツに太めのベルト、鎖骨も露に襟もとが大きく開いたトップスというファッションだ。


「え、どっか変……?」


 僕がそうやって服装を確認していると、蓮見先輩が不安そうに聞いてきた。


「いえ、ぜんぜん。よく似合ってますよ」

「そ、そう? だったらいいけど」


 彼女は少しだけ頬を赤くしながら、口を尖らせる。そして、僕から顔を背けるかのように蓮見氏の書斎に体を向けた。


「じゃ、お父さん、あたしたち出かけるから。お昼はテキトーに食べてて」

「わかった。ふたりとも気をつけて行ってきなさい」


 中からおじさんのくぐもった声が聞こえてくる。何やら調べものがあるとのことで、朝食をすませて以降ずっと書斎に籠もりっきりなのだ。遊びに出かける娘を送り出すにしては声が妙に生真面目で、顔も出さないところを見るに、かなり真剣に取り組んでいるのだろう。


「いいんですか、何か用意しておかなくて」


 僕は蓮見先輩と一緒に玄関に向かいながら聞く。まさか本当におじさんをひとり残してテキトーに食べておいてもらうとは思わなかった。


「いいのよ。たぶん患者の治療方針に迷っていろいろ調べてるんだと思う。論文を読んだりね。お昼になったら駅のほうにジャンクなものでも食べに出るか、家にあるインスタントラーメンでも食べるわよ」


 そう答えた蓮見先輩は、玄関で下駄箱からハイカットのスニーカーを取り出した。意外とゴツめだ。


「あれで案外そういうものが好きなのよ。きっと鼻歌交じりで食べるわ。そういう機会があまりないせいかしらね?」


 確かに朝晩は蓮見先輩がちゃんとしたものを作っているし、お昼も弁当を持っていっている。わりと頻繁に当直に入っているが、やはりそのときは病院の食堂できちんと食べているのかもしれない。


 僕たちは家を出た。


 まずは歩いて名谷の駅に行き、交通系ICカードで改札を通る。ホームに下りると、しばらくしてやってきた電車に乗り込んだ。日曜日の昼前、三宮に行く電車とあってはほどほどに混んでいて、座れそうにない。僕たちは吊り革を持って並んで立った。


 普段時間をずらして学校に行っているから、こうして同じ電車に乗るのは新鮮だ。


「ぐふっ」


 瞬間、思い出してはいけない出来事がフラッシュバックし、僕は喉を詰まらせた。


 考えてみれば一度だけあるな。


「どうしたの?」


 僕の異変に気づき、蓮見先輩が聞いてきた。


「……前に蓮見先輩と一緒に電車に乗ったことを思い出しました」

「ぶふっ」


 今度は蓮見先輩が喉を詰まらせる。


「あんたさ、何でわざわざそれを言うわけ!? 黙ってればいいでしょうが!」

「すみません……」


 ここが電車の中だからだろう。彼女は小声で怒鳴るという器用な芸当を見せ、僕は深く反省しながら謝る。目の前のシートに座る中年の男性が不思議そうにこちらを見上げていた。


「ところで、どうして三宮なんですか?」


 話題を変えるため、僕はタイミングを見計らって聞いてみる。


 確かに三宮なら間違いないのだけど、例えばハーバーランドなど、選択肢がないわけでもない。


「別に。とりあえず三宮ってだけ」


 蓮見先輩の答えは実に簡潔だった。簡潔で素っ気なさすぎて、逆に何か明確な理由があるのだろうと思ってしまった。まぁ、重ねて問うたところで答えてはくれないだろうけど。


 名谷から三宮まで十八分。適当に思いついたもの、目についたものを話題にしていたら、すぐに目的の駅に着いた。


 電車を降り、東改札から駅を出る。


 そこで僕が最初にしたのが辺りの様子を窺うことだった。


 そして、見つけてしまう。私鉄へと続く階段とエスカレータのところに、スキニーパンツに肩落ちのブラウス姿の女の子。――瀧浪泪華だ。


「……やっぱりいたか」


 しかも、変装のつもりなのか、サングラスをかけていた。それでも彼女だとわかってしまうのは、毎日のように接している僕だからか、芸能人オーラならぬ瀧浪泪華オーラのせいか。或いは、多少なりとも彼女を知っていれば誰でも気づいたのか。


 瀧浪先輩はスマートフォンを操作する振りをしながら、ちらちらと横目でこちらを見ている。


 書架の最奥でのやり取りで少し落ち着いたかと思ったのだけど。どうやら家でじっとしていられなかったようだ。僕は小さくため息を吐いた。


 隣では蓮見先輩が「あっはっはっは。いるいる」と大笑いしている。意地の悪い人だな。だけど、まさかこのまま意地の悪い人にしておくわけにはいかない。


「呼んできますよ。もういいでしょう?」

「そうね。あたしもあのとき、我ながら暗くてつまんないことやってるなぁって思った。おんなじこと瀧浪さんにさせらんないもんね」


 蓮見先輩は自嘲気味に笑った。


 前に蓮見先輩は、瀧浪先輩に散々煽られて僕たちを尾行した。今回はその仕返しなのだ。だけど、それもここで終わり。それがくだらないことだというのは、蓮見先輩自身がよく知っているのだから。


 僕は「ありがとうございます」と蓮見先輩にお礼を言ってから瀧浪先輩のほうへと向かう。


 瀧浪先輩は自分のほうに近づいてくる僕に気づくと目に見えておたおたしはじめたが、やがて諦めたようだった。


「瀧浪先輩、ここで何を?」


 あえて聞いてみる。


 すると彼女はサングラスを下にずらし、僕を上目遣いに見つつ、


「も、もしかして気づいてた……?」

「……」


 この前の蓮見先輩と似たようなことを言っているな。


 瀧浪先輩と言い蓮見先輩と言い、ただ立っているだけで人目を惹くということを自覚していないのだろうか? それにあれだけあからさまに情報収集をしていれば警戒もするというものだ。


 僕は深いため息を吐いた。




          §§§




 まずは腹ごしらえ。


 ひとり人数を増やした僕たちは、センタープラザビル地下のレストラン街へと足を運んだ。


 時間は十二時前。どの店もそろそろ混みはじめてきているようで、まだどうにか席に余裕があったカレー専門店に入った。僕と蓮見先輩が向かい合って座り、僕の横に瀧浪先輩が腰を下ろす。


「で、瀧浪さん、何でこんなところに?」


 それぞれ注文したところで、蓮見先輩が瀧浪先輩に聞いた。意地の悪い質問だ。僕もやったけど。


「べ、別に。たまたまよ」


 返す瀧浪先輩の言い訳は実に苦しい。


「そういうそっちは予定通りデートなのね」

「デートって言わない」


 蓮見先輩が半眼で斜め向かいの瀧浪先輩を睨む。


「姉弟が休日に買いものに出てきただけよ」

「知らない人が見たらそうは見えないわ」

「ま、横暴な先輩に呼び出されて買いものにつき合わされてる可哀そうな後輩の図にしか見えないだろうね」

「あんた、まだ言うの!?」


 苛烈な視線は、今度は僕に飛んできた。


 僕が肩をすくめると、彼女は呆れたように鼻を鳴らす。


「周りがどう思うかなんて、どうでもいいわよ」


 それからお冷やを呷りながらそんなことを言った。


「あら、意外と強気。わたしと正反対ね」

「そう言えば、瀧浪さんは表裏が激しいわね。あたし、びっくりしたわ。もっとお淑やかだと思ってた」


 僕が入学して以降、瀧浪先輩と蓮見先輩が一緒にいるところをほとんど見たことがない。ふたりとも茜台高校を代表する有名女子生徒だが、対立しているわけでもなければ、特に交流があったわけでもなかったのだろう。クラスは一度も一緒になったことがないと聞いている。せいぜい女子高生の嗜みとして挨拶代わりにアドレスを交換した程度。だから、蓮見先輩は瀧浪先輩の素の顔を知らなかったのだ。


「そうね。わたしは蓮見さんとは逆。周りがわたしにどうあってほしいかわかるから、それに応えてきたの。瀧浪泪華は美人で賢くて、お淑やかな女の子。そう期待されてたからそうなった」

「美人って自分で言っちゃうんだ」


 と、蓮見先輩は笑う。


 実際、改めて聞くとなかなか過酷ではある。「新記録が期待されます」「世界大会でのメダル候補です」、そう言われて実際に記録を出した選手や、メダルを勝ち取ってきたチームがどれほどいただろうか。いつのときも周りは無暗に高い期待をするものだ。


 容姿は持って生まれたものがある。でも、学業や在り方には努力が必要だ。彼女は周囲の期待に、文句が出ないほどに応えてきた。


 そうやって形成されたのが今の瀧浪泪華。果たして、彼女の素の顔を知っている人間はどれくらいいるだろうか。


「あたしはきらいじゃないかな。表裏があるのも、自信満々なのも」

「そう。嬉しいわ」


 瀧浪先輩は微笑む。


「でも、静流はあげないわよ?」

「あげるあげないじゃないっての!」


 イラッとしたように蓮見先輩が声を上げた。


 瀧浪先輩は蓮見先輩に素の顔を見せ、蓮見先輩はそれを好意的に受け止めた。でも、どこか犬猿の仲の部分は残りそうだ。


「失礼します」


 そこで長く深いトレーに入ったスプーンが人数分運ばれてきた。


「すぐに注文の品をお持ちしますので」


 そう言ってウェイトレスは軽くお辞儀して下がる。

 程なくして、その言葉通り僕たちが頼んだものが運ばれてきた。

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