第2話(2)
いつも通りの手順で、滞りなく図書室を閉める。
次なる問題は蓮見先輩に連絡先を聞くことなのだが、
「ま、なるようになるか」
電車に乗り、名谷の駅で降りるころには、そう気楽に考えていた。
要するに障壁になっているのは、あらたまって聞く気恥ずかしさの一点なのだ。逆に言えば、それしかない。しかも、イチかバチかのナンパじゃないのだから、断られる心配もない。恥ずかしさも一過性のもの。ならば難しく考えることはないだろう。
「真壁」
そう結論しながら改札を出たところで、名前を呼ばれた。
まるで昨日の再現。
だが、振り返ったそこにいたのは蓮見先輩ではなく、直井恭兵だった。
「一緒の電車だったんだな」
彼は笑みを見せながら寄ってきた。
恰好は制服ではなく、クラブのジャージに練習用のTシャツだ。運動部の練習は十九時まであるのが普通だと聞くので、今日は早く切り上げたのかもしれない。
「真壁は今日も図書委員か? ひとりしかいないのに毎日大変だな」
「それが仕事だからね」
「でも、誰にでもできることじゃない。頭が下がるよ」
直井と並んで歩く。
彼がどこに住んでいるかは知らないが、少なくとも駅から徒歩圏内で、しばらくは同じ方向のようだ。
「ところで、昨日真壁がここで蓮見先輩と一緒にいるのを見たんだが」
少し歩いたところで、直井がそう切り出してきた。わずかに緊張の色を帯びている。
昨日のここでというと、買いもの帰りの蓮見先輩とばったり出くわした件か。どうやら直井もあの場にいて、僕たちを見ていたらしい。今日以上に早く練習が終わったのか、それともそもそも休みだったのか。
「真壁は蓮見先輩と知り合いなのか?」
「前に話しただろ、こっちにいる親戚のところに厄介になってるって。その親戚の家が蓮見先輩の家と近いんだ。それで会えば話すようになってね」
僕はこういうときのために用意しておいた嘘の設定を直井に聞かせた。
「そうだったのか。それはラッキーだったな。男としちゃ羨ましいよ」
彼はこれで納得がいったと笑う。少しだけ申し訳ない気持ちになった。
僕たちは歩き続ける。
だけど、僕からも直井からも言葉はなく、黙ったまま。僕が口を開かないのは、先ほどの直井に悪いと思う気持ちを引き摺ってしまっているせいなのだが、直井は珍しいと思う。彼は決してよくしゃべるほうではないのだが、グループの中心にいるだけあって普段から話題の提供はうまい。
不意にスラックスのポケットに押し込んでいたスマートフォンがメロディを奏で出した。音声通話の着信だ。
「ちょっとごめん」
ひと言断りつつ端末を取り出し、ディスプレイを見てみる。
そこにあったのはアドレス帳に未登録の番号だった。が、まるっきり見たことのない数字の並びというわけでもなかった。どこで見た番号だろうか?
「じゃあ、俺は先に帰るよ。また明日な」
その記憶を手繰り寄せる姿が、そばに人がいて出るのを遠慮しているように見えたのか、それとも出られずに困っているように見えたのか、直井は短く別れの挨拶を口にすると、早足で歩いていってしまった。
こうなってしまっては気を遣ってくれた彼に悪い気がして、相手が誰だかわからないが、通話ボタンをタップしてから電話に出た。
「もしもし?」
『あ、静流? いま駅の近くにいる? ちょっと買ってきてほしいものがあるんだけど』
蓮見先輩だった。
そして、僕は膝から崩れ落ちそうになった。
見覚えがあるはずだ。前に僕はこの番号を瀧浪先輩に見せられ、自ら電話をかけているのだから。そして、先ほど瀧浪先輩が言わんとしたこともわかった。わざわざ聞かなくても電話番号なら履歴を辿れば出てくるのではないか。そう言いたかったのだろう。
今まで悩んでいたのは何だったんだ……。
§§§
その日の夜、
「あ、そうだ、蓮見先輩。テキチャのID、おしえてもらっていいですか?」
僕がリビングにいると蓮見先輩がスマートフォンを操作しながら二階から下りてきたので、そう切り出した。
「ん? ……あ、そうね。電話よりそっちのほうが便利なときもあるわね。おけおけ」
蓮見先輩は「ちょい待ち」と言うと、素早く端末に指を走らせる。
「IDから検索して登録するよりも、こっちのほうが早いわ」
そうして差し出してきたディスプレイにはQRコードが表示されていた。確かに友だち登録したい相手が目の前にいる場合はこのやり方がいちばん簡単だ。僕はカメラ機能を起ち上げ、そのQRコードを読み取った。
「できました」
「こっちもよ」
蓮見先輩はぼすんとソファに腰を下ろした。
蓮見邸のリビングには、三人は掛けられる長いソファと、ひとり掛けのソファがある。長いほうは僕の定位置、ひとり掛けのほうは蓮見氏の定位置となる。蓮見先輩はおじさんがいれば長いソファに座るし、いなければひとり掛けのほうを使う。
今はおじさんがいないので、ひとり掛けのソファに座った。
「へぇ、なんか新鮮ね」
そして、スマートフォンの画面を矯めつ眇めつしながらそんなことを言う。きっとそこには僕が友だち登録されたばかりのチャットアプリが映し出されているのだろう。
「蓮見先輩ならいっぱい友達がいるでしょうに。ひとり増えたくらいで何を感動してるんですか」
「ま、確かにね。でも、実は男友達はほとんどいないのよね、これが」
「そうなんですか」
ちょっと意外だった。
それが顔に出ていたのか、蓮見先輩がむっとした顔で聞いてくる。
「なに、あたし、そんなにオトコ多そうに見えるわけ?」
「い、いえ、そういうわけでは……」
もちろん、自分に気のある男を大量にキープしているようなイメージはない。単に男女関係なく友達が多いのだろうと思っていただけだ。
「まぁ、いいわ。何かあったらこれで連絡しなさい」
「わかりました」
これで連絡手段は確保できた。
「あのさ……」
と、そこで蓮見先輩が言いにくそうに切り出してきた。
「やっぱり静流も瀧浪さんとチャットしてるの?」
「いえ、特には。こういうので何往復もやり取りをしてると電話のほうが早いだろって思いはじめるので」
テキストチャットというかたちに拘る理由がわからないのだ。
「あ、そうなんだ。なんか、こう、テキチャでしか言えないようなことを言ってたりするのかなと思って……」
「何ですか、それ?」
「ほ、ほら、あるじゃない、『今どんな恰好してるでしょう?』とか『どんなの穿いてると思う?』とか……」
「……」
いや、ない。そんなのはそうそうない。
「ちょ、ちょっと、かわいそうな子を見るような目で見ないでよっ」
しまった。思わずそんな目をしていたか。蓮見先輩も僕とはちがう意味で恋愛わからんの人だからな。
「さすがにそんな女の子は――」
「瀧浪さんならやりかねないわ」
言いかけた僕の言葉を遮り、断言する蓮見先輩。
「……あり得ますね」
「……でしょう?」
思いがけず姉弟の意見が一致したのだった。瀧浪先輩はこんなことを言われているとは夢にも思わないだろう。
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