第2話(1)

「そんなわけで、家の鍵をあずかるに至ったわけだ」


 翌日の放課後の図書室、僕は昨日起きた小さな出来事を瀧浪泪華に話した。


 つい先ほど午後六時五分前の予鈴が鳴った。僕はカウンターの中で閉室に向けて片づけをしている。閲覧席に目をやれば、この時間まで残っていた生徒たちは、ひとり、またひとりと退室しつつあった。六時の閉室時間にはほぼみんな出ていってくれるので助かる。


 そして、その視界を遮るようにカウンターの真ん前に立っているのが瀧浪先輩だった。


「多少なりとも家族として認められつつあるということかな」


 僕は苦笑するが、どうにも自嘲気味にならざるを得ない。


 何せ僕は愛人の子だ。半分血のつながりがあるとは言え、蓮見先輩にとっては受け入れ難かったにちがいない。そんなマイナスからの出発点ながら関係がよくなりつつあるのは、やはり彼女のフレンドリーな性格故だろう。


「最初からそうだったと思うけど?」

「確かにね」


 瀧浪先輩の言葉に僕は納得する。


 確かに蓮見先輩は、おじさんの過去の過ちと僕のことは切り離して考えていた。ただ生まれてきただけの僕に罪はないのだと明言もしていた。


 だからと言って、初めて会う異母弟を家族として受け入れられるかは別問題だろう。実際、蓮見先輩はその狭間で揺れたようで、その態度は非常に波のあるものだった。


「ようやく環境を整えようとしているのかしらね。……それにしても、蓮見さん、まだ渡してなかったのね。帰ったら渡すって言ってたのに」

「うん?」

「何でもないわ」


 こっちの話だとばかりに瀧浪先輩は言う。どうやら僕の知らなくていいことのようだ。知らなくていいことなら、むりに聞き出すつもりはない。


「さて、家の鍵を受け取ったのはいいんだけど、何かあったときのために蓮見先輩の連絡先くらいは聞いておきたいところだ」

「そんなの教室に訪ねていけばいいことじゃない。どのクラスか知らないわけじゃないんでしょ?」

「もちろん、知ってる。お互いが学校にいる時間ならいいんだ」


 僕がいきなり会いにいったら蓮見先輩が迷惑だろうから、その方法は最後にしておきたい。そのためにも電話番号やメールアドレス、チャットアプリのIDなど交換しておきたいのだ。


「例えば今、急に用事が入って帰りが遅くなっても、それを連絡する術がない」

「そうね。デートなら少し帰りが遅くなるくらいですむけど、帰らないとなったら連絡はしておかないと蓮見さんが心配するわね」

「何でそんな状況になるのか皆目見当がつかないが、まぁ、そういうことだ」


 やけに真剣な顔で言う瀧浪先輩に、僕は面倒くさくなってそう答えた。理由はさておき、状況は間違っていない。


「聞けばいいじゃない」

「まぁ、そうなんだけどね。あらたまって聞くとなると、何となく気恥ずかしくてさ」


 昨日の蓮見先輩の気持ちがよくわかる。


「これがクラスの女子とかなら、普通に聞けるんだけどな」

「待ちなさい、静流」


 何やら聞き咎めたようで、瀧浪先輩が鋭い声を発した。


「あなた、そんなにナチュラルに女の子にアドレスを聞くの?」

「目的と流れがあればね」


 校外学習でのグループ行動のときや、授業の中で班単位で課題を出されたとき。或いは、何かの拍子に仲よくなったときの名刺交換代わりに。例の如く僕にはどのタイミングで、どのように聞けばいいかわかってしまうので、断られたことはない。


「わたしには聞かなかったじゃない」

「瀧浪先輩の場合、初めて話したその日から警戒すべき相手だと認識したからね。そんな考えにならなかったんだよ」


 それでも今では、僕のアドレス帳には瀧浪泪華の電話番号とメールアドレスが書き込まれていて、チャットアプリには彼女が友だち登録されているわけだが。


「まぁ、いいわ。わたしだって男の子のアドレスなんて山ほど入ってるもの。人のことを言えた義理じゃないわ」


 瀧浪先輩はふふんと鼻を鳴らし、勝ち誇ったように言う。


「そうだろうね。瀧浪先輩は人気があるから――」

「嘘に決まってるでしょ! あなたね、少しは自分の彼女の交遊関係くらい心配しなさいよ」

「あ、悪い。そういう流れだったのか」


 本気で気がつかなかった。瀧浪先輩と話していると、時々次元の高い展開になってついていけなくなる。


「あと、勝手に彼女を自称してくれるな」

「言うと思ったわ。まったく、もう」


 ため息を吐く瀧浪先輩。


「盛り上がっているところ悪いのだけど」


 そこに声をかけてきたのは奏多先輩だった。


「静流、これを借りるわ。まだ大丈夫?」」

「もちろんです。システムは最後に落とすようにしてますから」


 まだ開室時間内だからというのはもちろんのこと、チャイムが鳴ってから慌てて借りにくる生徒もいる。


 僕は奏多先輩から図書を受け取る。ライブラリーカードは本の上に乗っていて、彼女の親指によって押さえられていた。


 ハンディのバーコードリーダーでカードと図書のバーコードを順に読み取る。


「返却は二週間後です」

「わかっているわ」


 体に沁みついた流れで返却期限を告げると、奏多先輩に素っ気なく言われてしまった。


 彼女はすでに帰り支度をすませていて、僕が返した図書とライブラリーカードを受け取ると、それを制鞄の中に放り込み、図書室を出ていった。


 奏多先輩の姿が見えなくなると同時に、午後六時のチャイムが鳴る。


「相変わらず独特の雰囲気ね」


 それが鳴り終わると、音の余韻の中で瀧浪先輩がそう口にした。


「昔からだよ。生まれ持ったものなんだろうね。別にああいうキャラクタを演じてるわけじゃなくてさ」

「もしかして彼女、あんなだから人と話をしようとしないの? 周りを怖がらせないように?」

「いや、単に性格だよ」


 尤も、僕が知っているのは奏多先輩と出会った四年前からのことだけなので、もしかしたらもっと前に何かあったのかもしれないが。そして、今現在については単純にやりたいことがあって、それに没頭しているだけだ。


「さて、瀧浪先輩もとっとと退室してくれないか。もう閉室だ」

「あなたは本当、上級生への敬意というものに欠けるわね」


 瀧浪先輩はため息交じりにそう言うと、踵を返した。貸出カウンターにほど近い閲覧席の上に置いてあった鞄を手に取る。


「あ、そうだ、静流。蓮見さんの番号だったら――」

「いや、いいよ。自分で聞く」


 僕は彼女の言葉を遮るようにして答えた。


 瀧浪先輩が蓮見先輩のアドレスを知っているのはわかっているが、これは自分の口で本人に聞くことにしよう。これでも家の鍵をあずかる身なのだから。


 ところが、僕の返事を聞いた瀧浪先輩は、どういうわけか目をぱちくりさせていた。


「何か?」

「ううん、何でもない。面白そうだから黙っておくわ」


 何やら不穏なことを言っている気がするが――知らなくていいことと一緒。言おうとしないことをむりに聞き出す趣味はない。


 そうして瀧浪先輩は帰っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る