第3話

 僕と蓮見先輩は同じ高校に通っているが、登校は別々。


 当然だ。姉弟になったなんて知られるわけにはいかない。理由としては、母と蓮見氏が大っぴらには言えない関係だったというのがひとつ。僕と蓮見先輩の関係を明かせば親同士の関係にも触れざるを得ない。


 もうひとつは、僕と蓮見先輩の学校での立場の問題だ。


 蓮見先輩は我が校が誇る美少女の双璧のひとりで、片や僕は特に目を引くわけでもない一介の男子生徒。その僕たちが姉弟になったなんて蓮見先輩は知られたくないだろうし、そうなれば上を下への大騒ぎだ。


 そんなわけで僕と蓮見先輩は時間差をつけて登校している。


 私立茜台高校は神戸市営地下鉄西神・山手線の学園都市にある。駅からはギリギリ徒歩圏内。気候のいいときなら何てことはない距離だが、真夏はちょっとうんざりする、といったところか。


 僕は最寄り駅の名谷に着くと改札からホームに下り、電車を待つ。


 路線の名称こそ地下鉄だが、ひとつ手前の妙法寺から電車は地上を走っている。見上げれば初夏の青空が見えた。


「あれ、真壁か?」


 不意に名前を呼ばれた。


 振り返ると整った容姿をした男子生徒の姿があった。

 クラスメイトの直井恭兵だ。


 彼を俗な言葉で端的に表すなら、イケメンリア充、となる。成績上位で、且つ、ハンドボール部で活躍中の文武両道。それでいて容姿も端麗で、校内でも有名となれば、男子生徒版の瀧浪泪華、蓮見紫苑といったところで、もうそれ以外に表現する言葉はないだろう。


「直井か。おはよう」

「おはよう」


 彼は僕の横に並ぶと、学校と部の名称が書かれたスポーツバッグを僕とは反対の肩に持ち替えた。


「真壁もここだったのか? 新長田だったと思ってたんだけどな」

「親戚がここにいてね。母が死んでからお世話になってるんだ」


 例の如く、嘘ではない答えを返す。


 真壁の家はこの名谷から三宮方面に三駅ほど行った新長田にある。蓮見家に引き取られたおかげで、僕の通学時間は十五分ほど短縮された。直井はどこかで僕が新長田に住んでいることを知り、覚えていたようだ。僕も直井がここを最寄り駅としていることを知っていた。クラスメイトの情報なんて何となく耳に入ってきて、何となく覚えているものだ。


「そうだったのか」


 直井はどことなくばつが悪そうだ。


「今さらだけど、お母さんのこと大変だったな」

「仕方がない。運が悪かったんだよ」


 もちろん、残された家族にとってそんな言葉では片づけられないのだが、そうとでも思わないとやってられない。


 そこで電車がホームに滑り込んできて、僕たちはいったん話を中断し、開いた扉から乗り込んだ。吊り革に掴まって、並んで立つ。ここから学園都市まではふた駅だが、直井は車内の込み具合から大きなバッグが邪魔になると判断したのか、スポーツバッグを網棚の上に押し上げた。


「まぁ、幸いにして、いろんな人が助けてくれてるからね」


 扉が閉まり、電車が加速度運動をはじめると、僕は口を開いた。


 蓮見氏は母が亡くなったと聞いて、取るものもとりあえず駆けつけてきてくれたし、蓮見先輩は僕を受け入れてくれた。おかげで今まで通り、何不自由なく学校に通い続けられる。


「真壁は周りの人に恵まれたんだな」

「直井だってそのひとりだよ」

「俺が? 俺は何もしてないよ」


 彼は、まずは虚を突かれたように驚きの声を上げ、それから笑った。


「昼休み、仲間に入れてくれた」


 直井ほどの生徒ともなれば当然彼を中心としたグループがあり、母の死後、蓮見先輩に弁当を作ってもらうようになるまでの間、僕は彼のグループと一緒に学食で昼食を食べていたのだ。


「あんなの、真壁が一緒に食べようって声をかけてきたから、俺はああいいよって答えただけの話さ」

「そうか。直井にとってはその程度の話だったか」


 どうやらグループ外の人間が一緒に食べようと言ってきてそれに応じるのも、彼にしてみれば当たり前のことらしい。直井の周りには確かにグループができているが、それを囲う壁を彼は持ち合わせていないようだ。


 しかも、僕は「一緒に行っていいか?」と聞いたはずなのに、直井の中では「一緒に行こう」と声をかけてきたことになっているらしい。


「何だよ、それ」

「別に。直井はそれでいいってことだよ」


 可笑しそうに笑いながら聞く直井に、僕はそう答えておいた。




 電車が学園都市の駅に着けば、そこからは徒歩だ。


 夏に片足を突っ込んだような強い初夏の陽射しの下、僕たちは学校を目指す。直井は大きなスポーツバッグを担ぎながらも、苦もなく歩いていた。


「おはよう」


 そうして教室に辿り着くと、直井はクラスの全員に聞こえそうなボリュームで挨拶を口にしながら中に入った。当然のように、男女関係なくほとんどのクラスメイトから返事があった。僕にはできない芸当だと思いながら後に続く。


「おはよう、恭兵君」


 真っ先に寄ってきたのは直井グループのコアメンバーのひとりだ。直井がまだ自分の席に鞄を置いてもいないのに声をかける。


 そして、ちらと僕を見た。


「真壁と一緒だったんだ」

「ああ、電車で会った」

「ふうん」


 彼は興味なさそうに答える。僕のことなど気にも留めていないといった様子だ。もちろん、それはあくまでもポーズでしかない。直井のところに飛んでくるや否や僕のことを聞いたあたり、かなり意識している。


 僕は直井と別れると、自分の席へと向かった。机の上に鞄を置き、直井の派手さとは正反対にサイレントな二人組のところへ行く。


 刈部景光と辺志切桜だ。


 ふたりは前後に並んで座り、ぽつりぽつりと言葉を交わしているようだった。


「おはよう」


 僕が声をかけると刈部は手を上げて応え、辺志切さんは「おはよう」と消え入りそうな声で答えた。


「言ったろ。泉川は真壁を敵視してるって」


 刈部はいきなりそんなことを言う。どうやら教室の入り口でのやり取りをちゃんと見ていたようだ。


 泉川とはついさっき直井に寄ってきた男子で、前々から僕に対して隠す気のない敵意を向けてきているやつだ。フルネームは、泉川寿。


 人の見た目をどうこう言うのは好きではないのだが、彼は少し太り気味だ。平均体重にプラス十キロ超といったところか。


 彼は二年に上がって直井と同じクラスになると、持ち前のひょうきんな性格を活かし、なりふりかまわない態度で直井に気に入られようとした。その甲斐あってうまくグループの中核に滑り込み、今やその一員として華やかな高校生活を満喫中だ。


 だけど、泉川は自覚している。自分が直井のグループの中ではやや見劣りするということを。容姿的にも、能力的にも。直井が僕を気に入れば、その代わりに自分が弾き出されるのではないかと怖れているのだ。


 というのが刈部の見立てで、僕もほぼ同意見だ。


「そこまでして賑やかな高校生活を送りたいかね」


 刈部は呆れたように言う。


「そこに何よりも重きを置く人間もいるということだよ。……尤も、人間や学校生活を評価する絶対的基準にするのは、僕もどうかと思うけど」

「俺には理解できそうにない」

「刈部は効率重視だから」


 逆に刈部景光という生徒はその対極にある。派手な学校生活を嫌っていて、彼には友達同士で大騒ぎするのは無駄なことに見えているようだ。


「そうだな。俺の理想は時計だよ。一時間の間に一時間分の仕事しかしない。一切の無駄がなくていい」


 確かに時計ほど仕事に無駄のないものはない。張り切って十分間で十五分進まれても困るし、それはただ単に壊れているだけだ。


「真壁くん、腕……」


 刈部らしい考えに苦笑していると、辺志切さんが控えめに口を開いた。彼女の視線は僕の腕に注がれている。


 僕の左腕には包帯が巻かれていた。先日、蓮見先輩を庇ってできた名誉の負傷だ。もちろん、彼女は傷があることを指摘したいわけではない。昨日まで吊っていた腕が、今日は三角巾が取れていることを言おうとしているのだ。


「この前、病院で診てもらったときに、もう適当なところで外してもいいと先生に言われてたんだ。違和感もなくなったし、これなら自由に動かしていいかと思って今日から外すことにした」


 包帯を巻いているのも、まだ少し生々しい傷を隠す意味合いのほうが強い。


「そう。じゃあ、ちゃんと治っていってるんだ。よかった」


 辺志切さんはほっと安堵したように言う。

 気持ちの優しい女の子だ。

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