第2部

プロローグ

プロローグ

 我が茜台高校には誰もが知る有名な女子生徒がふたりいる。


 ひとりは、瀧浪泪華。


 美人系の面立ちに、手間と時間をかけてセットしたであろう長い黒髪。落ち着いた大人っぽい雰囲気を身に纏い、お淑やかを絵に描いたような人だ。当然、多くの男子生徒の憧れの的である。


「ねぇ、真壁くん」


 その瀧浪先輩が今、目の前にいた。


 場所は、放課後の図書室。

 図書委員である僕は貸出カウンターの中にいて、彼女は外。僕たちはカウンターをはさんで話をしている。閉室までにはまだ時間があり、室内には数人の生徒が勉強や読書をしているので、迷惑にならないよう声のトーンはやや落とし気味。


 にも拘らず、彼女は旋律的で明晰な声音で話しかけてくる。


「やっぱりテストが近くなったら、ここも人が増えるのかしら?」


 そう言って閲覧席へと目をやった。


 要するに、テスト勉強に図書室を利用する生徒が多くなるのか、という問いだ。


「いえ、目に見えて増える感じではないですね。……尤も、それも僕のせいかもしれませんけど」


 思わず苦笑する。


 何せ図書委員は僕ひとり。おかげで図書室の開室、休室はすべて僕の都合に左右される。そんな不定休な図書室では利用だってしにくいだろう。常連の生徒は両手で数えられるほどしかいない。


「そんなことないわ。真壁くんは図書委員としてよくやってくれているもの。……そうだ。どうせならテスト前は閉めてしまったら? 真壁くんだってテスト勉強があるんだもの」

「そうもいきませんよ。どっと増えないだけで、勉強しにくる生徒はいますからね」


 その中には普段見ない顔もある。テストに向けて本腰を入れて勉強するなら、雑音の多い家よりも図書室がいいと思って足を運んでいるのかもしれない。


「僕なら大丈夫ですよ。カウンターの中で勉強してますから」

「あら、意外と不良図書委員」


 瀧浪先輩はくすりと笑う。


 と、そこでチャイムが鳴った。時計を見なくてもわかる。時刻は午後五時五十五分。六時のチャイムが鳴れば、特に用のない生徒は帰宅しなければならない。今のは帰り支度を促す予鈴だ。


 図書室内に残っていた生徒がそれぞれ荷物をまとめ、退室していく。その際、美貌の最上級生に挨拶をする生徒もいた。彼女も大人っぽい笑顔とともに、手を振って応じている。


 そうして粗方の生徒が出ていったのを見送ると、瀧浪先輩がくるりとカウンターへと向き直った。


 そして――、




「それで静流、夏休みだけど」




 と、実に砕けた口調で言うのだった。


 優等生然としたお淑やかな雰囲気はどこへやら。しかし、これこそが瀧浪泪華の素の顔なのである。


「テストの話じゃなかったのかよ」

「そんな面白くない話、どうでもいいわ」


 瀧浪先輩はあっさりとそう言ってのける。


「テストなんて余裕でこなす成績上位者だろうに」


 そんな彼女に対し、僕も上級生への礼儀が吹き飛んだ。


「テストが余裕だろうが成績がよかろうが、面白くないものは面白くないわ。それにテストなんて普段授業をちゃんと聞いて、ちゃんと勉強すればできるものよ。大騒ぎするほどのイベントじゃないわ」

「……」


 さすが優等生は言うことがちがう。それができないのが大半だというのに。


 とは言え、テストは勉強すればできると言ったあたり、その優秀な成績も努力あってのものなのだろう。


「まぁ、テストの話は僕も面白くないな」


 残念ながら僕は凡人で、毎日ちゃんと授業を受けているつもりなのにテストはいつも四苦八苦している。


「なら話は早いわ。……夏休みに向けて水着を選んでくれない?」


 瀧浪先輩は「ちょっとそれ、ひと口食べさせて」くらいの軽さで言う。


「は? 何で僕が!?」

「この前、下着を選んでくれたじゃない」


 確かにそうだが、あれは単に売り言葉に買い言葉の、勢いだけで選んだもので、二度とやりたくない。


「選んでもらったの、気に入ってるのよね。静流はわたしにないセンスがあるわ」


 いちおうもっともらしい理由を口にする瀧浪先輩。


「ちゃんとお礼はするわよ」

「お礼?」


 そのお礼次第ではやるというわけではないが、反射的に聞き返してしまう。すると、瀧浪先輩は自信たっぷりにこう答えるのだった。


「今度のデートはプールにして、水着姿を見せてあげるわ」

「断る」


 僕は努めて素っ気なく言うと、キャスター付きチェアを回転させ、体ごとパソコンへと向き直った。不要なアプリケーションを順に落としていく。


「静流、あなたね――」


 そんな僕の態度にたいそうご不満な瀧浪先輩が何か言おうとしたときだった。


「ちょっとぉ、また静流を困らせてるの? いいかげんにしなさいよね」


 図書室の出入り口から声がした。


 その声の主は、茶色がかったショートの髪に、快活な印象を受けるくりっとした大粒の瞳。今どきの女子高生らしくばっちりなメイクのおかげでギャル系が入りかけていいる女の子――。


 蓮見紫苑だった。


 この茜台高校の誰もが知る女子生徒のもうひとり。彼女と瀧浪泪華――このふたりが我が校が誇る美少女の双璧だ。


「あら、蓮見さん、珍しいわね。あなたがこんなギリギリまで残ってるなんて」

「あ、いや、教室でしゃべってたらこんな時間になってたんで、あたしに何か手伝えることがあるかと思って帰る前にここに……って、いいのよ、あたしのことは」


 問われるまま経緯を説明していた蓮見先輩だったが、はっとして慌てて話を戻す。


「聞いてるのはこっち。瀧浪さん、また静流に迫ってるんじゃないでしょうね」

「失礼ね。女の武器はやたらめったら使うものじゃないわ。的確なタイミングで抜くものよ」


 心外だとばかりに言い返す瀧浪先輩だが、それでも僕にとっては十分に迷惑な話である。蓮見先輩も心なしか呆れ顔だ。


「今は普通に相談ごとよ」

「相談?」


 訝しげな表情になる蓮見先輩。


「ええ。夏休みが近いでしょ? だから、水着は静流が選んでってお願いしてるの」

「何でそんなこと静流に頼んでるのよ!?」


 そして、今度はイラっとしたような顔。


「前にも言ったでしょ。静流はセンスがいいって。自分にはこんなのも似合うんだって気づかせてくれるのよ」


 一方の瀧浪先輩はどこか自慢げに言う。


 が、僕としては別に彼女の新しい一面を演出しようと思ったわけではない。単に考えて選んだ結果がそれだっただけのこと。そもそも瀧浪泪華なら何を着ても似合いそうなものだ。


「せっかくだから蓮見さんも選んでもらったら?」

「だからいらないってば」


 僕だってそんなことをするつもりはない。それに『も』って、瀧浪先輩のほうは引き受けたみたいなに言わないでほしい。


「だったら、わたしが選んであげましょうか? そうね、三角ビキニっていうの? あれなんてどうかしら。蓮見さんには似合うわ」

「いや、それってあれでしょ? グラビアアイドルが着てるようなやつ。そんなの普通の人間が着ても似合うわけないでしょうが」


 と、そのグラビアアイドルに負けず劣らずのスタイルをした蓮見先輩は言う。彼女は決して普通の人間などではなく、恵まれた側の人間なのである。


「あら、そんなことないんじゃない? 静流だって見てみたいわよね?」

「え?」


 いきなり僕に話が振られ、思わず間の抜けた発音をしてしまう。


「えっと……まぁ、ちょっと見てみたい気はしますね……」


 そして、問いについて考え、その答えを控えめなトーンで口にした。


 そりゃあグラビアアイドル並のスタイルの蓮見先輩がグラビアアイドルみたいな恰好をするわけで、それはもうグラビアアイドルがページから飛び出してきたようなものだ。見たいか見たくないかの二択なら見たいに針は振れる。


 直後、蓮見先輩は真っ赤な顔をしてカウンターの向こうから僕の胸ぐらを掴み、瀧浪先輩もやはりカウンターに身を乗り出すようにして不機嫌顔で詰め寄ってきた。


「あ、あああ、あんた、なに正直に言っちゃってんのよっ!? 男なのにそういう欲望に忠実なところ恥ずかしいと思わないわけっ!?」

「自分から話を振っといてあれだけど、静流、わたしのときと反応がずいぶんちがうんじゃない?」


 次の瞬間、僕の頭でぶちっと何かが切れた。


「ああ、もう、鬱陶しい! 聞かれたから答えたのに、それで怒るってどういう了見だ! 罠か!? ほら、もう閉室するから、ふたりともとっとと出ていけ!」




          §§§




「お前、相変わらず騒がしいわね」


 僕が瀧浪先輩と蓮見先輩のふたりをまとめて図書室から放り出し、ひと息ついていると後ろから声がした。


 振り返るとそこには漆黒の髪をなびかせた、瀧浪泪華や蓮見紫苑に勝るとも劣らない美人が立っていた。


 名前を、壬生奏多という。


「すみません。一度ちゃんと言っておきますので」

「別にいいわ。端から見ている分には面白い」

「いや、僕は見世物じゃありませんからね?」


 世間で起こっていることなど我関せずの世捨て人かと思いきや、意外とよく見ているな、この人は。


「お前も案外楽しんでいるのではなくて?」

「そう見えますか?」


 瀧浪先輩がわけのわからないことを言って、そこに蓮見先輩がからんでいき、結果泥仕合になるのが常。それを楽しんでいるとは心外だ。


「毒をもって毒を制す。奏多先輩も加わりますか?」

「お前は私に何を求めているの?」


 奏多先輩は切れ長の目で僕を見る。相変わらずの素っ気なさ。


「帰るわ」

「お気をつけて」


 そして、毒と言われたことには何も触れなかった。


 奏多先輩は制鞄を掴むと図書室から出ていった。彼女の姿が見えなくなると同時に午後六時の本鈴が鳴る。まるでチャイムが奏多先輩に合わせているかのような正確さだ。


「さて、と――」


 僕は意識的にそう発音すると、閉室作業をはじめた。

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