その4 姉弟のルール II
昼休みの学食。
僕はひとりの女の子――三年生の女子生徒と一緒にコーヒーを飲んでいた。
「最近、紫苑ちゃんが女の子らしくなったんだよね」
それは椎葉茜先輩だった。
ここでばったり会い、話があるからと捕まったのだ。一緒にきた刈部は先に教室に戻った。
「そんなことわざわざ言わなくても、もとからそうじゃないですか」
「そう?」
と、蓮見先輩のクラスメイトの小柄な上級生は首を傾げる。
蓮見先輩はフレンドリーで男女問わず人気があるが、だからと言って中性的でもなければ、ボーイッシュ、マニッシュといったイメージもない。
「ああ」
と、何かに納得し、にやぁっと笑う椎葉先輩。
「紫苑ちゃん、胸おっきいもんね」
「いや、僕は決してそこに着目して言ってるわけじゃありませんからね?」
確かにそこは驚くほど女性らしいが、そう思われるのは心外だ。
「別にわかりやすい変化があったわけじゃないんだよ? メイクが派手になったとか、アクセやコスメが変わったとか、男の子を意識して話すようになったとか」
椎葉先輩はミルクティを片手に語る。
もともと蓮見先輩は、メイクはばっちりなほうだ。ギャル系入りかけているような気もするが、そこは絶妙なラインで抑えられている。コスメはわからないけど、アクセサリーの類はそもそもつけているのを見たことがない。わざわざ校則を破ってまで学校につけていく気はないみたいだし、休日に遊びにいくときもアクセント程度につけているくらい。
男を意識した言動もよくはわからない。
「じゃ、何なんです?」
そもそも椎葉先輩もそこは否定しているのだけど。
「ズバリ! 好きな男の子ができた!」
しかし、彼女は自信満々にそう言い切ったのだった。
「恋する乙女オーラってやつ?」
「いや、それは……」
と、否定しかけて、言葉を飲み込む。何せ根拠が『家で一緒にいても男っ気を感じない』だからだ。口にはできない。
「何か心当たりがあるんですか?」
その代わりにこちらから水を向けてみる。
「紫苑ちゃんが最近知り合った男の子と言えば~?」
すると、椎葉先輩は意味ありげに僕を見たのだった。
「は? 僕ですか? まさか!?」
「だって、図書委員くんくらいだよ、紫苑ちゃんの周りで増えた男の子って」
「いや、それでもですね……」
僕たちは姉弟だ。根本的にあり得ない。
「でも、ここで会ったときに、よくこそこそふたりで内緒話してるじゃない。こっそりデートしてたりしない?」
「してませんよ」
そこだけは間違いない。
「黙ってるの大変でしょ? あたしにだけこっそり。紫苑ちゃん、デートのときは胸のすっごい開いた服を着てくるとか、ふたりのだけのときはすぐぴったりひっついてくるとか、えっちぃ話あるんじゃないの?」
「ありませんよ、そんなこと」
どっちかと言うと、それは瀧浪先輩の領域だな。
「まぁ、男としては見てみたい気もしますけどね」
「図書委員くん、やーらしー」
椎葉先輩はそう言って笑う。
「突然ね、紫苑ちゃんが、誰もいないかな~って周りをキョロキョロしはじめるの。で、ふたりだけってわかるとちょっとずつ寄ってきて、気がついたら体をぴったり寄せて喉をゴロゴロ鳴らしてるの」
「猫ですか。本人が聞いたら怒りますよ」
むしろ一度怒られたほうがいい。話を聞いている分にはかわいいが、それが蓮見先輩となると……果たして似合うかどうか。
椎葉先輩は僕の頭の上に目をやり、「うーん……」と考える。
「じゃあ、あのキラキラかわいい感じはどこからきてるんだろ?」
そうして首を傾げた。
「図書委員くんはどう思う?」
「キラキラはよくわかりませんが、そもそも普段からかわいいじゃないですか、蓮見先輩は」
瀧浪先輩のようにストレートに美人系の顔立ちとは言い難い。時々僕は彼女のことを『男前』と評したりするが、それも四六時中ではない。前述した通り、そこまで男性的ではないのだ。だとしたら、やはりかわいいと表現するのがいちばんいい気がする。
「かわいいと思う?」
椎葉先輩は重ねて問うてくる。
「誰に聞いてもそうだと思いますよ」
「こーら、『みんな』の話にしない」
おっと、意外としっかりした人だな。
「僕もかわいいと思いますよ」
「わんすもあ・ぷりーず」
「? かわいいと思います」
いったい何回言わせるつもりだろう。
「そっかぁ」
しかし、こちらの怪訝な顔も何のその、何やらひとりで納得している。
そして、
「だってさ、紫苑ちゃん」
あろうことか椎葉先輩は僕の頭上に目をやり、そんなことを言ったのだった。
「は!? ……痛っ」
反射的に振り返ろうとしたが、それよりも先に脳天に衝撃が走った。
頭を押さえつつ腰を捻ると、そこには固めた拳を震わせた蓮見先輩がいた。
「しず……真壁くん、君ねぇ……!」
彼女は顔を真っ赤にして……たぶん怒っていた。
「図書委員くん、そこからでちゃんと顔見えてる? 仰角60度くらいだと死角にならない?」
「いや、さすがに見えますよ……」
いくらなんでも障害物になるほど規格外ではない。
「蓮見先輩、いつからそこに?」
「君が、かっ、かわいいかわいい連呼してるときからよっ」
蓮見先輩はヤケクソのように言うと、キッと椎葉先輩を睨み、テーブルを回ってツカツカと詰め寄っていく。
「茜も! あんたも何を言わせてるよ!?」
そうして後ろから腕を巻きつけると、首を締め上げた。
「ちょ、紫苑ちゃん! く、苦しいし……当たってる当たってる! お、おっぱ……うぐぐぐ」
椎葉先輩が何ごとかを言おうとしたが、さらに力を込める蓮見先輩。
さすがに力任せにそんなことをしていたら椎葉先輩が死ぬかオチるかしてしまうので、椎葉先輩が謝ったところこの世の地獄のような光景は終わった。
「もー、そういうのは図書委員くんにやってよね……」
椎葉先輩は首をさすりつつ言う。
「もうすでにやられましたんで」
「ま、ままま、真壁くん、あたしがいつ首を絞めたっけー?」
蓮見先輩が慌てた様子で口をはさんできた。……しまった。蒸し返したらいけないイベントだった。
「ほら、茜、帰るわよ」
「えー」
「えーじゃない!」
蓮見先輩は椎葉先輩をつれて帰ろうとする。
「真壁くんも……後で覚えてなさいね」
「……」
笑顔が怖い。
「ん? 『後で』?」
「いいのよ。ただの捨て台詞だから」
「そっか。紫苑ちゃん、やられ役だったんだ……」
「あんたね……」
そうしてふたりの上級生は去っていった。
§§§
「ただいま戻りました」
「ん……」
蓮見先輩の素っ気ない応答。
最近、学校や日常生活でのダメ出しを、学校から帰ってきたこのタイミングでされることが多いのだが、意外にも普段通りだった。
そうしていつものようにおじさんのいないふたりきりの夕食をすませ――、
午後十時少し前。
「「あ……」」
と、僕たちは同時に発音した。
部屋を出たところで、階段を上がってくる蓮見先輩と出くわしたのだ。
彼女は、風呂上りなのだろう、白のシルクのパジャマを着ていた。
「ちょうどよかったわ。ちょっと話があるの」
「話、ですか」
僕はさり気なく視線を逸らしながら返事をする。彼女も僕のその動きに気づき、乱れてもいなパジャマの前をかき合わせた。
「あー、うん。あたしもすぐに行くから下で待ってて」
そうしてから蓮見先輩は一度部屋に戻る。
僕は言われた通り階下に降り、三人掛けのソファに腰を下ろした。ふたりしかいないときは、僕の定位置はこちらで、蓮見先輩はひとり掛けのソファに座るのが常だ。
そうして待っていると、蓮見先輩が二階から降りてきた。
彼女は、先ほどとはちがい、薄いピンクのカーディガンを羽織っていた。それが何を意識しての行動かはすぐにわかった。ばつが悪そうな様子の蓮見先輩は、一度キッチンに行くと、スポーツドリンクのペットボトルを二本持ってリビングにやってきた。
「……ん」
「ありがとうございます」
もちろん、一本は僕に。そうしてから蓮見先輩は、いつも通りひとり掛けのソファにどっかと腰を下ろした。
ふたり同時にキャップをひねる。
「あんたさ、茜に乗せられて、なに言ってるのよ」
「……」
どうやら『後で』が今ごろきたらしい。
僕は手を上げる。
「はい、蓮見先輩」
「はい、静流」
まるで発言のために挙手する生徒と、当てる先生。
「別に嘘は言ってませんが」
「ん?」
こちらの言いたいことがうまく伝わらなかったようで、蓮見先輩が目をぱちくりさせる。
「いや、だから、椎葉先輩に乗せられて連呼しましたが、別に心にもないことを言ったつもりはないです。蓮見先輩は十分かわいいかと」
「っ!?」
次の瞬間、ぼふっと音を立てて蓮見先輩の顔が真っ赤になった。
「……静流、クッション」
「……どうぞ」
蓮見先輩は手を出して要求してきたので、僕は横にあったクッションを手渡した。次にくる惨劇を予想しつつ。
「あんた、なにバカなこと言ってんのよッ!?」
「うわっぷ!」
彼女はそれを受け取ると、こちらに力いっぱい投げつけ――僕はそれを顔で受け止めた。
「か、かわいいってのは瀧浪さんみたいなのを言うんでしょうが」
「あれは美人系ですね。かわいいとはちょっとちがいます」
「じゃあ、茜」
「確かにあの人はかわいいですが……」
あれほどかわいいを体現した高校三年生も珍しいだろう。時々侮れない部分も見せるが。
すると、「ほら見なさい」と蓮見先輩。
「そりゃああの系統とはちがいますが、蓮見先輩だってかわいいですよ」
「だ、だから、かわいいかわいい連呼するんじゃないわよっ」
蓮見先輩は慌てたように言う。
「だいたい何をかわいいと思うかなんて、そんなの人それぞれじゃない」
「もちろん、そうですよ。瀧浪先輩や椎葉先輩は当てはまって、蓮見先輩のことはそうでもないと思ってる人もいるでしょうね。そして、僕は蓮見先輩はかわいいと思ってます」
「……」
頬をむにむにと動かす蓮見先輩。顔の筋肉の体操だろうか。たぶん自分でぶち上げた人それぞれ理論が彼女自身に返ってきてしまったせいだろう。
「あんた、なんでそんなことを恥ずかしげもなく言えるわけ」
やがて蓮見先輩は口を尖らせながら切り出してきた。
「人を褒めることや自分の気持ちを伝えることが恥ずかしいことですか?」
「言われるあたしが恥ずかしいのよ……っていうのは、こっちの都合か。それは別にしても、思ったことをすぐに口にするのはやめなさいよね。この前のこともそう。何も見てないって言えばよかったのよ。嘘も方便でしょうに。聞かれるままホイホイ答えてるんじゃないわよ」
「いいじゃないですか。こういうのはそう感じたときに伝えるのがいちばんです。それも含めて、嘘は吐きたくありませんから」
僕がそう答えると、蓮見先輩は何やら考えはじめた。
それも真剣に。
「……それ、前から?」
やがて鋭い視線を向けながら問うてくる。
「え? あ、いや、そういうわけでは。でも、兄弟姉妹とはそうあるべきかと」
「ふうん」
隠しごとはしない、なんてのは当然きれいごとだけど、相手のいいところはわざわざ黙っておく必要はない。思ったまま素直に伝えればいい。そして、常に嘘のない、誠実な態度であるべきだ。
蓮見先輩はまた何やら考える。
「あたしは、そうは思わない」
そして、出てきたのはそんな言葉。
「いいところは褒めるけど、慌てて伝えたりはしない。話の流れみたいなものを見る。それに何でもかんでも正直がいいことだとも思わない。必要があれば嘘で誤魔化して、後で笑い話になるときまで隠しておく。……静流もそうしなさい」
「あたしはいなくなったりしないから」
「っ!?」
その言葉にはっとする。
(僕は、無意識に怖れていた……?)
家族には気持ちをちゃんと伝えたい、正直でありたいと思いつつ、その実そうできなくなることが怖かったのかもしれない。
伝えたいと思ったときに、その相手がいなかったら?
嘘を吐いたまま、その相手に本当を伝えることができなくなってしまったら?
気持ちを伝えなかったことを後で後悔したくないから。だから、僕は思ったことをバカ正直に言葉にしているのだろうか……?
蓮見先輩はソファから立ち上がった。
「部屋に戻ってそのまま寝るから。あとお願い」
「あ、はい」
彼女はキッチンへ行くと、飲み干したスポーツドリンクのペットボトルをシンクに置いた。そうしてから二階へと上がっていく。僕はそれを見送った。
(空気を読むのは得意なはずなんだけどな……)
蓮見先輩の姿が見えなくなってから、ソファの背もたれに体を預け、つぶやく。
僕は、自分を含めた『場』を客観的に見ることができ、いま自分がどう振る舞い、どんな表情を作るべきか、その最適解がわかってしまう。――要するに、空気を読むことにおそろしく長けているのだ。
その僕が空気を読めと怒られるとは。
とは言え、『無意識に~してる』なんて自分にも、ましてや他人にもわからない。それこそ無意識なのだから。自分でもわからないことが他人にわかってたまるものか。であるなら、それは所詮、決めつけでしかない。
それでも、いなくならないと言ってくれたことが嬉しかった。
人の命は思った以上に軽い。いなくならないと言っても、その保証はどこにもない。実際、母の命は、運悪くその時その場所にいたというだけで失われた。人は突然いなくなるのだ。
しかし、蓮見紫苑は断言した。
「あたしはいなくなったりしないから」と――。
きっと僕はそれを信じていいのだろうと思う。
「あんた、なにニヤニヤしてるのよ」
不意に声が降ってきた。
見上げれば蓮見先輩は階段の上からこちらを見下ろしていた。
「そりゃあスタイル抜群でかわいいお姉様と一緒に暮らしてたら、こんな顔にもなりますよ」
「だっ、だから余計なこと言わなくていいって言ってるのよっ」
彼女は顔を真っ赤にしながら怒鳴る。
また怒られてしまった。
「もう寝る。おやすみっ」
そうして蓮見先輩は踵を返すと、ドタドタと階段を上がっていったのだった。
【お知らせ】
告知していたにも拘らず更新が遅くなってしまい、申し訳ありません。
本日は書籍版『放課後の図書室でお淑やかな彼女の譲れないラブコメ』の発売日です。
そうぞよろしくお願いいたします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます