その2 彼女(未満)の羨望

 とあるカフェにて。


「もー、聞いてくださいよ、貴理華さん」


 向かいに座る蓮見紫苑が声を上げた。


 どことなく嬉しそうで、何かいいことでもあったのかもしれない。


「どうしたんですか、紫苑ちゃん」


 応えたのはこのお店の店長夫人、貴理華さん。


 貴理華さんはわたしたちよりも年上のはずなのに、時々友達かと思うような子どもっぽい表情を見せる不思議な人だ。恋する乙女の味方を自称し、わたしたちのいい相談相手になってくれる。しかも、ものすごい美人。


「静流ったらいやらしいんですよ」

「!?」


 続く蓮見さんの言葉に、わたしはぎょっとなる。


(し、静流が、いやらしい……!?)


 あの静流が?


「あたしが階段を上ってるときにスカートの中を覗いたり、パジャマ姿がすごく色っぽいとか言ってきたり――」


 そう訴える蓮見さんの声は、やはり嬉しそう。


 そして、にわかには信じられない言葉だった。わたしが仕掛ける数々の色仕掛けに何の反応も見せなかった静流が、本気か悪ふざけか、家ではそんなことをしているなんて。まったく想像がつかない。


 やはりスタイルの差だろうか。わたしも悪くはないと思っているけど、やはり男の子としてはグラビアアイドルばりの蓮見さんのほうがいいのだろうか。


「それは一度ちゃんと怒らないといけませんね」


 と、貴理華さん。


 だけど、彼女はわたしほど蓮見さんの様子をおかしいと思っていないようで、にこにこと笑っている。


「あ、や、ちがうんです。半分以上あたしが悪いんです。あたしが無防備に階段を上がったり下りたりしてて、静流もそんな気はなかったから事故みたいなもので。あと、上に何も羽織らないでパジャマのままウロウロしたりして」

「じゃあ、そこは紫苑ちゃんも気をつけてあげないと」

「はい、反省しました。男の子と暮らすってこういうことなんだなって」


 そこで蓮見さんはアイスコーヒーに口をつけ、一度喉を潤した。


「生まれたときから一緒にいて裸も見てるような姉弟だったら、お互いの目なんて意識しないでもっと開けっぴろげになれたんでしょうけどね」

「あら。だったら、今でも遅くはないわよ」


 そこでようやくわたしは口をはさんだ。


「一緒にお風呂にでも入ればいいじゃない? 静流の手もだいぶよくなってきたんでしょ? もうチャンスがなくなるわよ」

「え? いや、それは……」


 蓮見さんは当然、口ごもる。




「去年買ったビキニがあるけど、まだ着られるか試してないし……」




「そこなの!?」

「あー、そこなんですね……」


 わたしと貴理華さんは唖然とする。


 まさかそこに障害を見出しているとは思わなかった。そして、着られなくなっている可能性があるとは。……いろいろむっときたわ。


「あなたね、さっきから嬉しそうに話してるけど、自分で気づいてる?」

「え、嘘? 本当!?」


 蓮見さんは頬に手を当てる。……気づいていなかったらしい。


「あー、さては見られて喜ぶタイプ? 人に自慢できるほどのスタイルだものね。そりゃあ見せ甲斐があるでしょうとも」

「ひ、人を変な性癖の持ち主みたいに言わないでよね!?」


 わたしと蓮見さんはテーブルをはさみ、身を乗り出すようにして睨み合う。


「まーまー、ふたりとも」


 そこに貴理華さんが割って入ってきた。


「紫苑ちゃんも静流くんという弟さんができて嬉しいんですよ。仲よくふざけてるのが楽しいんですよね?」

「べ、別にそういうわけじゃ……」


 蓮見さんはまたも言い淀む。


 わたしたちより少なからず人生経験豊富な恋する乙女の味方、貴理華さんがそう言うのだから、きっと的を射ているのだろう。蓮見さんにその自覚があるかは兎も角として。実際、わたしの目には、「もしかしてそうかも……?」という、自分への懐疑があるようにも見えた。だとしたら、弟ができて浮かれる蓮見さんの姿もかわいいのかもしれないけど――、


「いちおうその静流はわたしが狙ってるんですからね。どうも邪魔されてる気が……」

「い、いや、あたしはそんなつもりないから」


 蓮見さんは焦りながら答える。


「色仕掛けはどうかと思うけど、それで静流が篭絡されるなら仕方ないと思うし。スタンガンで気絶させてから、むりやり既成事実を作るとかじゃなければ……」

「人をおかしな女の子みたいに言わないでくれる!?」

「そういう扱いしたの、そっちが先でしょ!?」


 わたしたちは再び睨み合う。


「今日もひとりの男の子を巡って、ふたりの女の子が争ってますね。実に平和です」


 そんなわたしたちを見て、貴理華さんが言う。

 この人にはわたしと蓮見さんが散らす火花が、線香花火にでも見えているのだろうか。




          §§§




 翌日の放課後、

 わたしは少々強引に、静流と一緒に下校する。


「何か話があったんじゃ?」


 それだからか、彼は見透かしたようにそう聞いてきた。


「ちょっと聞きたいのだけど――」

「どうぞ」


 さすがにここで誤魔化すわけにはいかず、わたしが思い切って切り出すと、静流は制鞄の中からミネラルウォーターのペットボトルを取り出しながら応えた。キャップを開け、口に運ぶ。


「蓮見さんのスカートの中、覗いたの?」

「ぶっ」


 そして、口に含んだそれを盛大に噴いた。


「だ、誰からそれを……って、ひとりしかいないか」


 それから散々咽た後、静流はようやく声を絞り出した。


「何でそんなことをペラペラと喋るんだろうな。帰ったら釘を刺しておかないと」


 それは大丈夫だろう。貴理華さん以外に話すとは思えない。


「いちおう釈明させてもらうと、単なる事故だよ」

「知ってるわ。蓮見さんもそう言ってたもの」

「そ、そうか……」


 ばつが悪いのか、静流は短くそう言っただけだった。


 ここで白い目を向けるのは簡単だ。だけど、ふたりの主張から事故であったらしいことは明白なので、さすがにそれはかわいそうというもの。


「男ってバカよね。時々ちらちら気にしてる感じの姿を見るわ」

「そこは反論の余地がないので、全男を代表して謝るしかないな」


 静流は苦笑いする。


「……その、やっぱり静流もそうなの?」


 わたしはどうしても気になって、小声で聞いた。


「その質問に答えると、僕は嘘を吐くか開き直るかの二択になるので、回答はひかえさせてもらう」

「もぅ」


 誤魔化すような静流の返事に、わたしは頬を膨らます。


 だけど、それはつまり見たいとは思わないという『嘘』か、見たいという『開き直り』かの二者択一で、行き着く先は同じになる。結局、静流は誤魔化し切れていない。或いは、誤魔化すつもりがないのか。変なところで正直な子だ。


「どうしても見たいなら、わたしにしておきなさい」

「――と、何やら堂々と言ってるわりには顔が赤いんだが?」

「は、恥ずかしいからに決まってるじゃないっ」


 一線を越えた恋人同士じゃないのだから、いくら好きな男の子でも見ていいわよとか。自分の大胆さに驚くばかりだ。女の武器を使ってぐいぐい迫っているのと変わらないと言えば変わらないはずなのだけど。


「だったら最初から言うなよ」

「ほかの女の子に興味をもたれるのも、誰でもいいと思われるのも癪なのよ。わかりなさい」


 わたしは早口でまくし立てる。


「そりゃあ蓮見さんはスタイルがいいし、見るんだったら――」

「ああ、もう。その話をこれ以上つついてくれるな」


 唐突に、静流がわたしの言葉を遮った。


「どうしたの、急に……」

「いや、その件で蓮見先輩にガラにもない冗談を言ったんだよ。思い返しただけでも自己嫌悪に陥る」

「あー、そういうことね……」


 わたしはすぐに察してしまった。


 わたし同様空気を読むこと長けた静流のことだから、うまく話をまとめるために『ちょっといやらしい冗談』を言ったのだろう。時にその手の冗談は場を和ませるし、本心が垣間見えることで相手を信用させることができる。そういうトークを得意としている二枚目俳優だっている。ただし、その手法を理解してることと、静流がそういう冗談をスマートに言えるかは別問題だ。


「苦労してるみたいね」

「うるさいな」


 静流は不貞腐れたように返してきた。


(まったく。羨ましいったらないわね……)


 わたしは内心ため息を吐く。


 蓮見さんがやにわに『静流がいやらしい』なんて言い出すから何かあったのかと聞いてみたら――彼女は実に嬉しそうだし、静流に話を聞いてもやっぱりじゃれ合っているようにしか見えないし。


 でも、感謝もしている。


 蓮見さんの家族がいたおかげで、お母様を亡くした静流はひとりにならずにすんだ。引っ越しや転校をすることもなく、わたしもこうして以前と変わらず静流と並んで歩いていられるのだから。

 

 

 

【お知らせ】

 

次回の更新は21日(月)、18時の予定です。

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