番外編

その1 姉弟のルール

 とあるカフェにて。


「貴理華さん、わたし、そんなに魅力ないですか?」


 テーブル席の向かいに座る瀧浪泪華が、この店の店長夫人である貴理華さんに向かって、縋りつくような声を発した。


 どうやらまた静流に色仕掛けで迫って、見事にスルーされたのだろう。それで凹んで、あたしを誘ってここにきたというわけだ。……それは別にいいのだけど――瀧浪さんはわかっているのだろうか。その静流はあたしの異母弟だということを。


「そんなことありませんよ。これくらいでめげててどうするんですか。静流くんがそういう子だってわかってたじゃないですか」


 対する貴理華さんは、恋する乙女の味方を自称するだけあって、こんな毎度のことに聞き流すわけでもなく真剣に返事をする。


 貴理華さんは美人だ。今のあたしたちと同じ現役高校生のころは、それはもう人目を引く美少女だっただろうことは想像に難くない。時々びっくりするくらい幼い表情を見せて、正直年齢不詳。いったい今いくつなのだろう。子どもがいないことだけは確かなようだ。


「静流って、そもそもまだ女に興味がないんじゃない?」


 と、あたしは思ったことを口にする。


 本人も言っていた。『僕は恋愛に向いていない』と。実際、男子を見ていれば人それぞれだ。本気か悪ノリかはわからないけど、ことあるごとに女オンナ言ってるのもいれば、自分にはまだ早いとばかりにまったく興味のない素振りのもいる。そこに陰キャ陽キャは関係なさそうだ。


 かく言うあたしも興味がない、というか、興味のもてないほうだ。恋だとか愛だとか、男とつき合うだとか、さっぱりピンとこない。


「そうかしら?」


 瀧浪さんは首を傾げる。


「だって、うち、お父さんが仕事の関係で帰ってこないことが多くて、よくふたりきりになるけど、まったく見向きもしない感じよ?」

「そりゃあ、蓮見さんとは姉弟だし。それにスタイルはよくても、ガサツだもの。お姉さんというよりお兄さんに見えてるんじゃない?」

「あんたね……」


 あたし自身、女らしい性格とは思ってないけど、そこまで言われるほどではないと思う。


「あら、そんなことありませんよね?」


 と、今度は貴理華さん。


「紫苑ちゃんは美人さんで、ナイスバディだし、こんな女の子そうそういませんよ。自信を持ってください」

「いや、それはそれで逆に……」


 持ち上げすぎのようで照れる。


「静流くんだって、そんな紫苑ちゃんが気にならないはずがありません。でも、変なところを見せられないと思って、できるだけ気にしないようにしてるんですよ」

「え? そ、そうなのかな……?」


 あんまりそんな感じには見えないんだけど、少しは女として意識してるのだったら悪い気はしないような……。


「紫苑ちゃんはどう思ってるんですか? 静流くんのこと、男の子として」

「え? あ、あたし、ですか?」


 問われて、あたしはたどたどしく答える。


「えっと……ま、まぁ、顔は悪くない、かな? 学校じゃそこそこ優等生みたいだし、ひとりで図書委員をやっててすごいなぁって。体を張ってあたしを庇ってくれたから、男らしいところもあるし……」


 少女漫画に出てきそうな、わかりやすいイケメンやかわいい弟ってわけではないけど、イイ男ではある気がする。だから、あたしも弟として受け入れられたのかも。


 と、思ったときだった。貴理華さんと瀧浪さんがひそひそと囁き合う。


「これは禁断の恋の予感ですね」

「普段は『蓮見先輩』って呼ばれてるのに、ふたりきりでイチャイチャするときはむしろ『姉さん』って呼ばせるタイプね」

「あ、いいですね。禁忌っぽい感じが際立ちます」

「お、弟だからッ!」


 あたしはテーブルを叩きながら立ち上がり、叫んだ。


 ふたりはそんなあたしを見て、にやにやしている。


「あ、危うく変なことを考えるところだったわ……」


 再び腰を下ろすと、あたしはアイスコーヒーのストローに口をつけ、乱暴に飲んだ。


「でも、本当――」


 と、瀧浪さんがこちらにじとっとした目を向ける。




「静流を過激な恰好で誘惑するのはやめてね」

「瀧浪さんがどの口でそれを言うわけ?」




 あたしもまた彼女に視線を返した。

 弟を色仕掛けで誑かす話を、姉の前で堂々とする人に言われたくはない。


「ひとりの男の子を巡って、ふたりの年上の女の子が火花を散らす。……素敵です!」


 と、これは貴理華さん。


 この人は本当に恋する乙女の味方なのだろうか。




          §§§




 家に帰ると、今日もお父さんはおらず、静流とふたりきりの夕食だった。……最近こういうことが増えている気がする。何の都合だろうか?


「静流さ――」


 あたしは夕食の後片づけを終え、キッチンからリビングに移動する。そのリビングでは静流がソファに身を沈め、リラックスした様子でテレビを見ていた。


 静流はいつもこうだ。あたしに片づけを押しつけたまま部屋に戻ったりはしない。そうするときは理由があるし、必ずひと言断る。気を遣っているのか、性格なのか。


「前から聞きたかったんだけど」


 そう前置きをして、あたしも斜め前のソファに腰を下ろした。静流がこちらに顔を向ける。


「ひとつ屋根の下に、こんなにスタイル抜群のお姉様がいるのに、何とも思わないわけ?」

「えっと、それを自分で言いますか……?」


 呆気にとられる静流。


「う、うるさいはね。そこを否定したら話がはじまんないのよ」


 いや、まぁ、あたしのことをまったく女として意識していないふうの静流に逆ギレ気味になって、高飛車な言い方をしている自覚はあるし、自分でもそこそこ自慢できるスタイルだと思っているのも事実だ。


「そうですね……」


 と、静流はしばし考える。


「蓮見先輩がそう思っているなら成功ですね」

「ん?」


 どういう意味だろうか。


「だって、蓮見先輩、家じゃ制服でもスカートを押さえず階段を上り下りするし――」

「えっ?」


 あたしは思わず足をぎゅっと閉じ、太ももの間に重ねた両手を置いた。……今はスカートではなく、ショートパンツなので何の意味もないけど。


「夏ものの薄手のパジャマを着ているときは色気があって、やっぱり胸がすごいなぁって思いますし――」

「ふぁっ!?」


 今度は咄嗟に胸を押さえる。


「ほら、この前のお風呂上がりのときなんか、いいものを見せてもらったと今でも目に焼きついてます」

「えええぇぇぇ~~~!?!?!?」


 そして、ついにはできるだけ静流から距離をとろうとソファの端まで下がり、体を隠すように身を丸めた。


 し、知らなかった。静流がそんなことをして、そんなことを思っていたなんて。振り返ってみれば、学校じゃないんだからと、家では何も考えずトントン階段を駆け上がっていた。夜に着ている白のシルクのパジャマは薄くて透け感があって、あたしもブラはつけない派だ(いちおう透けてないのは確認したから大丈夫なはず……?)。お風呂上がりのバスタオル姿にいたっては言うまでもない。やっぱり刺激が強すぎて、しっかり覚えているのだろう。


 今さらながら、自分の無防備さを呪う。


 その無防備さにつけ込んで、静流はあたしの体を好きなように見ていたのだろうか?


 あたしと静流は間違いなく姉弟だ。だけど、生まれたときからそうだったわけではない。だとすれば、弟である前にひとりの男として見るべきだったのかもしれない。


 あたしは改めて目の前の少年に目をやった。


「……」


 静流は笑っていた。


 あたしはこの顔を知っている。男子どもが殊更大きな声で女オンナ言っているときや、グラビアアイドルの写真を見てかわいいだの胸が大きいだの言っているときの顔だ。――要するに、仲間がいるからこそやっている悪ノリや悪ふざけ。


 あたしはゆっくりと体を戻し、ソファに座り直した。

 そうしてから静流に向かって手を伸ばし、その額を指で弾く。


「痛っ」

「あたし、あんたのそのヘラヘラ顔、きらいよ」


 額を押さえて仰け反る静流に、あたしはそう告げる。


「なにエロい冗談でうまく話を誤魔化そうとしてるのよ。本当はそんなことやってないんでしょ?」

「いや、まぁ……」


 静流は言葉を濁す。


「そりゃあ僕はこの家に厄介になっている身ですからね。そんな素振りを誤解でも見せるわけにはいきませんよ。だからって、スタイル抜群のお姉様に興味がないって言っても信じてもらえそうにないし」

「……そこ、繰り返さなくていいから」


 改めて人から言われると恥ずかしい。


 静流はお父さんが半ば強引にこの家につれてきた。性格的に追い出されることを怖れたわけではないだろうが、ひとつ屋根の下に暮らす同世代の男女として欠片でも誤解が生まれてはいけないと、自分を厳しく律してきたにちがいない。


 だけど、それをバカ正直に伝え、自分はいやらしいことなど考えもしない白馬の王子様ですと訴えたところで信じてもらえないと思い、一度下手な冗談をはさんだのだ。


「信じるわよ。あんたの性格も何となくわかってきたし、弟だし」

「すみません……」


 いや、下手などではなく、むしろ上手すぎるのだろう。あたしの目に静流のヘラヘラ顔がいたずらっぽくて人当たりのいい笑みに見えていたなら、きっと静流が「冗談ですよ」と言い、あたしが「あんたねぇ……!」とクッションのひとつも投げつけて終わっていたはずだ。


「でも、ひとつ信じてないことがあるわ」

「え?」


 静流が短い声を発する。


「……何回見たの?」


 その静流に、あたしは意を決して聞いた。


 さっきあたしが「本当はそんなことやってないんでしょ?」と問うたとき、「いや、まぁ……」と、わずかに挙動不審になった。それでピンときてしまったのだ。これも姉弟だからだろうか。


 やがて静流は申し訳なさそうに口を開いた。


「えっと、一回だけ……」

「もう、バカッ」


 あたしはクッションを投げつけた。


「いや、声をかけたときにはもう蓮見先輩が階段を上りはじめてて――」

「わかってるわよ! 誰もあんたが見たくて覗き込んだなんて思ってないわよ!」


 静流は私服のミニスカか、制服のときのあたしに用があって呼びかけたのだろう。だけど、あたしが疾風の如くリビングを横切ったので慌てて追いかけたら、もう階段を上りはじめていて……といったところか。


「ああ、もう! 恥ずかしいったらないわ……」


 あたしは静流の手に渡っていたクッションをひったくると、それを体に抱え込んだ。顔を半分うずめ、「うー」と恨めしそうに静流を見る。静流はばつが悪そうに顔を背けていた。


 もうこうなったら、家ではミニスカは穿かない。制服のときは学校並みの鉄壁ガード。パジャマの上には必ずカーデを羽織って、家の中ではバスタオル一枚でウロウロしない。……最後のは女として当たり前だけど。


 と、そこまで考えて、あたしはため息を吐いた。


「って、ザルなのもあれだけど、ガッチガチにガードしてるのもどうなのよ? 赤の他人と暮らしてんじゃあるまいし」


 鋼鉄の鎧を身にまとうのは簡単だ。だけど、そうやって身構えられた静流は何を思うだろう? 少なからず傷つくだろうか? それとも、これが当たり前の反応だと思う?


「? なんですか?」


 独り言みたいなあたしのぼやきに、静流が首を傾げる。

 あたしはまたも座り直した。


「……あたしもはしたない真似はしないように気をつけるから、静流は紳士としてマナーを守りなさい。いい? これはあたしたち姉弟のルールよ」

「あ、はい……」


 圧され気味に返事をする静流。


 無闇やたらと警戒レベルを上げるのではなく、お互いにマナーを守る。それがいちばん妥当な落としどころだろう。


「でも、それって結局、蓮見先輩の――」

「い、言われなくたってわかってるわよ!」


 静流が言わんとしていることを、あたしは先回りして制する。


 静流はずっと紳士的に振る舞っていた。できるだけ見ないように、意識しないように。思わぬ事故が起きた後は、二度とないように気をつけていただろう。無防備、且つ、奔放に振る舞っていたのはあたしだけ。


「あー、もー、あたし部屋に戻るから! 食洗器が止まったら食器を片づけといて!」


 あたしは恥ずかしさにいても立ってもいられなくなり――勢いよく立ち上がると、踵を返した。


 階段を上る。


 気まぐれに振り返ると、静流は目を瞑り、「慣れない冗談を言った……」みたいな疲れた顔をして、ソファの背もたれに頭を載せていた。……だったらやんなきゃいいのに。


「気を遣わなくていいわよ」と、口で言うのは簡単なことだ。でも、そのためには状況が整っていないと。あたしが裸でウロウロしていたら、気を遣うなもへったくれもない。


 慎みとマナー。

 昨日今日そうなったばかりの姉弟がうまく暮らすには――そのあたりだろうか、大事なのは。


 あと、いちおう静流はあたしのことを女として見て、気にはしてくれているらしい。

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