第6話(1)
引き続きマルイの中を見て回り、瀧浪先輩に手ごろなアクセサリーを買ってプレゼントしたところで、彼女がおもむろに腕時計に目をやった。
「そろそろいい時間ね」
つられて僕も自分の時計を見た。
時刻はまだ午後四時。
「そうか?」
今から帰れば五時前には家に着くだろう。小学生でもこんなに早くは帰らない。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、後の時間、静流は蓮見さんと過ごしなさい」
「は? 蓮見先輩と?」
いまいち意図が読めない。
「静流はもうすぐ蓮見さんの家を出て、ここを離れるのでしょう? なら、その前に少しくらい姉弟らしいことをしておいてもいいんじゃない?」
「……まぁ」
僕としてはきらわれたり憎まれたりしていないのであれば、最後にそういう時間がもてたらとは思う。ただ、蓮見先輩がそんなものを求めているかどうか……。
そこではたと気づく。
「まさかこのつもりで蓮見先輩を引っ張り出したのか?」
散々煽るようなことを言っておいて、尾行までさせた理由がこれなのか?
「だって、こうでもしないと彼女、素直に出てこないじゃない。最初はあなたたち姉弟が距離を縮めるきっかけ作りのつもりだったけど、まさか思い出作りになるなんて思わなかったわ」
瀧浪先輩は苦笑。
「だけど、それは瀧浪先輩も同じだ」
金輪際会えなくなるわけではないが、緩やかに疎遠になるにちがいない。
「どうしたの、今日は。ずいぶんと嬉しいことばかり言ってくれるのね。今までの素っ気ない態度が嘘みたい」
目を丸くする瀧浪先輩。
「まぁ、わたしは夏休み前にもう一回くらいデートしてもらうことにするわ。……静流はここにいて」
彼女は僕にそう言いつけると、躊躇うことなく真っ直ぐ歩き出し――やがてフロアを行き交う人混みの中へと消えていった。
瀧浪先輩の意図はわかった。だが、そもそも蓮見先輩はまだいるのか? 瀧浪先輩の相手をしないといけないこともあって、途中から姿を見失ってしまったのだが。下手をしたら、もう飽きて帰っているのではないだろうか。とは言え、瀧浪先輩の様子を見るに、何やら確信があるようではある。
「ちょ、ちょっと何よ!?」
「いいからいいから」
と、そこに声。
見れば瀧浪先輩が蓮見先輩の背中を押して戻ってくるところだった。しかも、どういうわけか最初に彼女が歩いていった方向とは百八〇度逆から帰ってきた。
そうしてついに僕の目の前に蓮見先輩をつれてきたのだった。
「な、何あんた、いたの?」
蓮見先輩は腕を組み、そっぽを向きながらせいいっぱい高飛車に言う。
「……」
「……」
「……えっと、もしかして最初からバレてた……?」
「蓮見先輩は目立ちますから」
意外とこの人、抜けているな。さすがおじさんの娘というところか。その華やかな容姿に、時折ちらりと脇腹が見えるような健康的な色気を感じるファッションとくれば、人目を引かないはずがないというのに。
「悪いけど、蓮見さん、後のことお願いできる? 今から急に家に帰らなくてはいけなくなったの」
「え? いや、あたしは……」
「そう、ありがとう。助かるわ。……じゃあ、お願いね」
瀧浪先輩は相手の返事も聞かず、というか完全に無視し、僕を蓮見先輩に押しつけて帰っていった。
残ったのは、僕と蓮見先輩。
「何、あれ……」
蓮見先輩は唖然として瀧浪先輩を見送った。
「僕たちも少しのへんをぶらぶらしてから帰りましょうか」
「そうね。あんたたちを追っかけてばっかで、ろくに見てないわ」
せっかくの週末をくだらないことに費やしているから。自業自得というものだ。
蓮見先輩は、とにかく何でもいいからそれらしいものを食べたかったのか、真っ先に目についたソフトクリーム屋で、バニラとチョコのミックスのソフトクリームを買った。僕もオーソドックスなバニラ味を買う。
「あんたってさ、本当に瀧浪さんと仲いいのね」
ソフトクリームを店の前で立って食べながら、蓮見先輩はしみじみと言う。歩は進めない。ここで食べてしまおうという算段なのだろう。
「そうですね」
「瀧浪さんってあんな顔もするんだ。いつもお淑やかに微笑んでるんだとばかり思ってたけど、あたしを挑発したり、あんたに向かって無邪気に笑ったり。裏表がはっきりしてるっていうの? あたしには真似できないかな」
「人それぞれ向き不向きがありますから。蓮見先輩は逆に裏表のなさが魅力なんだと思いますよ」
「は、恥ずかしいこと言わないでくれる!?」
蓮見先輩が僕を睨む。しかし、照れているのか、顔が赤いせいでイマイチ迫力に欠けていた。
「あんたはどうなのよ。瀧浪さんのこと、好きなの?」
そうして話を逸らすようにして続ける。
「たぶん」
「たぶん? はっきりしないわね」
「向いてないんですよ。真壁静流という人間は、恋愛に」
確かに瀧浪泪華を好きだという気持ちはある。だけど、果たしてこれは僕の本当の感情なのだろうか? 彼女の望みに合わせて作り上げた感情ではないと、自信をもって断言できるのだろうか……。
「ふうん」
蓮見先輩は何やら納得したように相づちを打つ。
「まー、あたしも恋愛はよくわかんないわね。好きとか恋とか。周りの子らがよくそんなんで騒いでるけど、あたしは苦手」
そうしてはっきりと言った。
どうやら蓮見先輩は、僕の先の言葉を色恋沙汰がピンとこないという意味にとらえたようだ。
「さて、帰りますか」
ひとまずソフトクリームを食べたことで満足したのか、コーンについていた紙を丸めて店の前のゴミ箱に捨てると、あっさりとそう言うのだった。
「……」
「なに? どうしたの?」
「……いえ、何でもありません」
そう、何でもない。
ただもう少し蓮見先輩とぶらぶら歩きたいと思っただけ。もう少しこの時間が続けばいいのにと思った、ただそれだけの何でもないこと。
でも、そんなことは言えるはずがなく。言える関係であればよかったのにと思うだけ。
(ほら、見ろ。蓮見先輩は最後に僕との思い出を作ろうなどと微塵も考えていないじゃないか)
内心で自嘲しつつも、やはりそれは寂しくて。
それでようやくわかった。
きっと僕は、この人に家族として受け入れられたかったのだろうな。
たったひとりの肉親を失った僕が、仮に引き取られた先で出会った義理の姉。
彼女は初めて見る人ではなくて、学校では男子生徒からの人気も高い先輩だった。
その人は、父親の裏切りの証である僕に言う。――お前はただ生まれてきただけ、お前に罪はない、と。
それで僕は救われた。
母を亡くした上に憎まれ、自身の生まれをも否定されるのだと思っていた僕は、その言葉で救われたのだ。
そうしていつしか欲をかいていた。――この人に家族として受け入れられたいと。
だけど、甘かった。淡い夢だった。やはりそれは自分でも言ったように健全な状態ではなく、彼女にもそんな気は欠片もないのだ。
「そう。何でもないなら帰るわよ」
「わかりました。……危ない。前っ」
次の瞬間、僕は咄嗟に声を発していた。
「え? うっぷ……」
駅へ向かうべく踵を返した蓮見先輩の前に人が立っていて、彼女はその人物に激突してしまったのだ。
これが事故ならいい。だが、僕の目にはその男がまるで蓮見先輩の行く手を阻むように立っていたかに見えた。
「あ、ゴメン。前、見てなかった」
ぶつけた鼻を押さえながら、とりあえず謝る蓮見先輩。
「あっれー? 朝の子じゃん」
「え?」
そして、その声に改めて相手を見る。
僕も見た。あのときは遠目でしかなかったが、派手でガラの悪そうな見た目とジャラついたアクセサリーは朝のナンパ男の片割れによく似ている。
「もしかしてひとり? 実は俺も今はひとりなんだよね。……ぶつかったこと? いいのいいの。その代わりさ、ちょっとつき合ってよ」
「……」
蓮見先輩は思わず言葉を失う。
そして、それは僕も同じだった。……こいつ、蓮見先輩を再び見つけたのを勿怪の幸いとばかりに、それを目的にわざとぶつかるような位置に立っていたな。
「あー、悪いけどさ、そこにウチのツレがいるんだわ」
彼女は顎で僕を指し示す。
「へぇ……」
と、僕を見る男。
「友達? いいじゃん、こんな冴えないやつよりさ、俺と遊ぼうよ」
「……」
悪かったな、冴えない男で。何せ中の上なものでね。でも、ガラの悪さが隠しきれていない雰囲気イケメンのなりそこないよりはいくらかましだと思っている。
「うっわ、ダッサ……」
「ああ?」
蓮見先輩が心底驚いたように目を丸くし、男が威嚇するような声を出した。
「断られたら大人しく引き下がるのがナンパのマナーってもんでしょうが。それなのに二度断られて、なお喰い下がるとかマジなくない? 呆れるのを通り越して感心するとこなのかもしれないけど、やっぱ一周回って呆れるわ」
蓮見先輩は捲し立てるように言葉を並べる。
男の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていった。
(これはマズいな……)
その状況を僕は冷静に見ていた。
蓮見先輩の好き嫌いがはっきりした性格が見事に出てしまっている。この場合、ストレートな物言いは相手を怒らせる役にしか立たなかった。
「ぶっ殺すぞ、お前!」
男が腰に手をやったと思ったら、次の瞬間にはその手にナイフが握られていた。……くそ、雰囲気イケメンのなりそこないどころか、単なるヤンキーの類だったか。しかも、将来犯罪を犯して、昔の知り合いに「当時からよくキレるやつでした」と証言される種類の。お前、いつの時代の人間だよ。今どき刃物持ち歩いてイキってるとか。
物怖じしない性格の蓮見先輩も、さすがにこれには顔を引き攣らせた。
男が蓮見先輩に向かっていく。
僕も同時に地を蹴っていた。
「蓮見先輩!」
彼女を突き飛ばすようにして庇う。
そして、激痛。
思わずうずくまる。
それもそのはず、見れば僕の左腕にはナイフが刺さっていた。よく焼きゴテを突っ込まれたような痛みと表現されるが、まさしくこれがそうなのだろう。そのくせなぜか妙な冷たさもあった。歯の根が鳴りそうだ。
「静流!」
蓮見先輩が駆け寄ってきて、僕の顔と刺さったナイフを交互に見る。
「だ、大丈夫!?」
そう問うてくるが、何せナイフが腕に深々と刺さっているのだ。大丈夫であるはずがない。
ない、が……、
「それが、どうした……!」
僕はナイフの柄を握ると、それを力任せに引き抜いた。
「がっ!」
身の毛もよだつような感触が体を走り、また別の激痛が僕を襲う。しかし、それを振り切って僕はふらふらと立ち上がった。
男の前に血のついたナイフを放る。
「ひっ」
すでに男は青い顔をしていた。
バカにされた怒りに任せて刃物を振るったはいいが、人を傷つけた時点で大変なことをしてしまったと我に返ったのだろう。
だからと言って許せるはずがない。
「よくも僕の、家族に……! これ以上大事な家族を奪われてたまるか……ッ!」
僕は渾身の力で男を殴りつける。
男は吹き飛ぶと、そのまま動かなくなった。昏倒したのか、それともナイフで人を刺してしまったショックで立ち上がれないでいるのか。
そして、僕も再び膝をついた。
「静流! 静流!」
痛みと出血で気を失いそうな中、蓮見先輩の声が遠くに聞こえる。
(あぁ、その声が僕の名を紡ぐのを初めて聞いたな……)
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