第5話(2)
ふらふらと見て回っているうちに昼どきになり、僕たちはセンタープラザビルの地下にあるレストラン街へと場所を移した。そこでテキトーな洋食屋に入る。
僕は、瀧浪先輩の手前少し恰好つけて、高校生が食べるにはちょっとお高いステーキのプレートを、瀧浪先輩はオムライスとチキングリルのプレートを注文した。僕のほうには、プレートとは別に二個のパンがついている。
「こんなときに何だけど、改めて言っておく。夏休みに入ったら蓮見先輩の家を出て、祖父母のところへ行くよ」
注文したものがそろい、ひと通り味わったタイミングで、僕はそう切り出した。
「え……?」
それを聞いた瀧浪先輩が動きを止める。
初耳ではないはずなのに、やけに慌てたように次句を継いだ。
「え? ちょっと待って。蓮見さんの家のことは解決したのよね? 静流だって彼女からきらわれてるわけじゃないんでしょう?」
「そうだね」
今では普通に話をしているし、毎日弁当も作ってくれている。誰かさんが煽ったせいで、心配になって尾行だってしているくらいだ。十分に良好な関係だと言える。
「じゃあ、どうして?」
解せないとばかりに、瀧浪先輩は問う。
「言っただろ。健全ではないって」
「わたしはてっきりあの家に残るものだと思っていたわ」
「やっぱりそうもいかないよ」
今はまだ意識的に気にしないようにしているが、近所の住民だって僕が出入りしていることに気づいているはずだ。事情を説明してもしなくても、いずれは何らかのかたちで後ろ指をさされることになる。今ならまだ誤魔化しが利くだろう。
「そう。静流がそう決めたのなら仕方ないわね」
瀧浪先輩はため息を吐く。
「どうした?」
ただそこに苦笑のようなものが交っている気がして、僕は尋ねる。
「わたしも人に気を利かせてる場合じゃないと思っただけ」
「うん?」
「静流は気にしなくていいわ」
しかし、返ってきたのは意味深な言葉だけ。
「そのこと、蓮見さんには?」
「言ってある。納得ずみだよ」
「ふうん。思ってた以上にドライなのね。もう少し静流のことを気にかけてると思ってたんだけど」
普通はこんなものではないだろうか。歪なかたちを修正して、あるべき姿に戻ろうとすることは、水が上から下に流れるくらいに自然だ。それに蓮見先輩は今でも十分に気にかけてくれている。
「我が身に置き換えて考えてみればいい。自分とそう歳の変わらない男が、ある日突然居候にきたらどう思う?」
「あら、わたしなら大歓迎よ」
瀧浪先輩は喜色満面で答える。
「それは僕だからだろ。……初対面の男だったら?」
「まぁ、確かに……」
しかし、今度は神妙な面持ちになる。
「それが蓮見先輩の立場だよ」
「でも、彼女と静流はちがうわ。ほとんど初対面かもしれないけど、半分血がつながってる」
「それはよくもあり、悪くもある。実際、今回蓮見先輩の怒りは父親に向いたけど、僕に向けられていた可能性だっておおいにあった」
ただ生まれてきただけのお前に罪はない、と言い切った蓮見先輩は実に理性的だったと言える。普通ならそれが理不尽やお門違いの類と気づくことすらなく、憎しみをこちらにまで向けてきてもおかしくない。
おかげで「じゃあ、お元気で」と笑顔で別れることができる。破格のグッドエンディングだ。
「だったら、もとの家に戻るっていうのはどう?」
瀧浪先輩はそう提案してくる。
「それも考えたんだが――」
「今ならわたしが週七で世話しに通ってあげるわ」
「たった今、選択肢から跡形もなく消えたよ」
毎日かよ。
実際、一度はあの家に残る手も考えたのだ。だけど、あそこには母との思い出が多すぎた。そこにひとりというのは、正直辛い。
改めて瀧浪先輩を見る。
「なに?」
「別に」
それに気づき、問うてくる彼女に、僕はそう答えた。
前に僕は、母の死後すぐに家を離れて蓮見家に行ったおかげで、深い悲しみに沈み込まずにすんだと、己の気持ちを分析した。
(そういう点では彼女の存在も救いのひとつだったのかもしれないな……)
僕のことを気遣いつつも、そればかりにならず前と同じように言い寄ってきて――一方の僕も、やはり前と同じようにテキトーにあしらいながらも、そんな彼女の態度にどこか心安らいでいた。
母の死を経ても尚、変わらぬ日常だ。
「この後、もし何かほしいものがあったら買うよ」
ならばいい機会だ。ここで何かお礼をしておくべきか。
「本当!? 嬉しいわ。じゃあ、うんと高いものを買ってもらおうかしら」
「……善処する」
僕は思わずうめくように声を絞り出した。そんな僕を見て、瀧浪先輩は楽しげに笑う。
だけど、彼女のことだからきっと程よい値段のものを選ぶだろうし、それでいてお礼がしたい僕の気持ちを察して、断ることまではしないにちがいない。
§§§
食後、僕らは神戸マルイへと場所を移した。
ここではレディスフロアを見て回る。当然、ブランドショップばかりなのだが、瀧浪泪華にかかれば高校生にも拘らずむりなく似合いそうなのがすごい。ちょっとでも立ち止まって見ようものなら、こんな良素材を逃してなるものかと、すぐさま店員が飛んでくるのだ。
今もまたつかまっている。仕方なく僕は、彼女がテキトーに店員の相手をし、あしらうまで待つことに。
ふとあたりに目をやると、そばにはランジェリーショップがあった。男としては目のやり場に困る。
「あら、いやらしい。まじまじと見て」
と、そこに瀧浪先輩が帰ってきた。くすくすと笑っている。
「終わったのか?」
「ええ。……もしかして買ってくれるの? どんなのを選んでくれるのかしら。楽しみだわ」
「……」
そんな高校生の男女がいてたまるか、と言いたいところではあるが。
「何を勝手に期待している。残念ながら、そんな予定はないよ」
「もう。彼氏らしくそれくらい選んでみせたらどう? 照れ屋で奥手なのもいいけど、たまには男らしいところも見たいわ」
「そもそも彼氏じゃない」
実に挑戦的な瀧浪先輩の物言いに、僕は思わずむっとしてしまう。
「じゃあ、行こうか」
言って足を踏み出した。
そうして向かった先は――、
「ちょ、ちょっと静流、どこに行くつもり!?」
瀧浪先輩が慌てて呼び止めようとする。
彼女が慌てるのもむりはない。僕が踏み入ったのは件のランジェリーショップなのだから。
「選んでみせろと言ったのはそっちだろ」
「確かに言ったけど……」
僕は戸惑う彼女を無視して店舗の中を巡る。
ひと廻りした後、僕は目をつけていたアイテム――どれもブラとショーツのセット、をいくつか手に取ると、それを瀧浪先輩に押しつけた。
「これとこれとこれ。サイズは知らない」
「え、本当に選んだの!? って、あら、意外と悪くないわね」
彼女は驚いたのも束の間、すぐに関心したように手渡されたそれをしげしげと見る。
僕が選んだのは、高校生が身につけるにしては大人っぽいデザインのものだが、たぶん瀧浪先輩ならそれほど背伸びした感じにはならないだろう。色はどれも清潔な感じの白。うまく気に入るものを選べていたなら何よりだ。
「というか、どうして選べるのよ……」
しかし、瀧浪先輩は、今度はわずかに戦慄の色を見せる。
「企業秘密だ」
いったいどこの企業の秘密だろうな。
「あ、わかった」
「うん?」
何やら閃いたらしい瀧浪先輩。
「わたしに着てほしいものを選んだのね」
「断じてちがう。……じゃあ、僕は外に出てるから、買うかどうかは瀧浪先輩の好きにしてくれ」
僕は踵を返し、店舗の外に体を向けた。
「あら、買ってくれないの? プレゼント、これでいいわよ」
「何か買うのは吝かではないよ。でも、別のにしてくれ。それを僕が買うと話が一段階ややこしくなりそうだ」
彼女を残して店舗から出る。
と、そこで僕は深々とため息を吐いた。瀧浪先輩の目には、まるで僕がすんなりと選んだようかに映ったかもしれない。しかし、実のところ、多くの男子生徒がそうであるように、僕とてこういうのは苦手だ。むしろ得意なやつなんていやしないだろう。当然、場数を踏めば慣れるというものでもない。どっと疲れた。
しばらくすると瀧浪先輩が出てきた。手にはひとつ、店のロゴが印刷された袋が増えている。
「お待たせ、静流」
「買ったのか?」
「ええ」
と、笑顔で彼女。
「ただ、少しサイズがちがってたわ。やっぱりスリーサイズをおしえておいたほうがいいのかしら。あと、好きなデザインも。今後のために」
「いらないよ、そんなの。今日は勢いで選んだけど、こんなこと二度とやるものか」
僕が言い返せば、瀧浪先輩はくすくすと笑う。
「それにしても意外ね。静流にこういうセンスがあったなんて」
しかし、そこで急に目を泳がせはじめた。
「それでね、静流……」
「うん?」
言葉も不明瞭になり、顔が少し赤い。
「これを選ぶとき……その、想像した?」
「……」
つまりモデルがそれを身につけたところをイメージした上で選んだのか、ということだろう。
「……」
だけど、僕はその問いに返答をするわけにはいかなかった。無論、人に服を贈るとき、それが似合うかどうかを考えるのは当然だし、頭の中でシミュレーションもする。言うまでもない。
「これも企業秘密?」
「そういうことになるかな」
だからいったいどこの企業かと。
「ふうん、そう」
瀧浪先輩は僕が口をつぐんだことで、正しい回答を察したようだった。先ほどとは一転、意地の悪そうな笑みを見せる。……おい、企業とやら。機密情報の管理が少し甘くないか。
「ねぇ、静流? せっかく選んでもらったんだから、これを着たときは言ったほうがいい? それとも言うだけじゃなくて、ちゃんと見せたほうがいいのかしら?」
「言わなくていいし、見せなくてけっこうだ。そういうのは間に合ってる」
きっぱりと断る。
「じゃあ……わたし、サイドで紐を結ぶデザインのが好きなんだけど、もう一度選んでくれない?」
「ッ!? 絶対にいやだ」
ここが攻勢に出る好機と見てまとわりついてくる瀧浪先輩を振り切って、僕は歩き出した。
今度は、行き先は決めていない。
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