第5話(1)
そうして土曜日になった。
瀧浪先輩との待ち合わせは、市営地下鉄三宮駅の東改札。ここからならだいたいどこにでも行ける。
新築予定のマンションの広告の前で待っていると、待ち合わせの時間を五分ほど過ぎたころに瀧浪先輩が現れた。
「おはよう、静流」
「おはよう」
本日の彼女は、肩出しのトップスにワイドパンツ、頭にはワークキャップというスタイル。先日は勝負勝負と威勢のいいことを言っていたが、とりあえず見た目には初夏という季節を踏まえた大人しいファッションだ。
四月に瀧浪泪華と出会って、何だかんだと積極的に言い寄られてはいるが、僕にその気がないせいか、学校の外で会うのはこれが初めて。彼女の私服姿も初めて目にする。
「早いわね」
「待たせるわけにはいかないからね」
そういうそっちは遅れてきたな、と思わず言いかけて、言葉を飲み込む。いつもの軽口のつもりなのだが、狭量な男だと思われたくはない。
と、そこで瀧浪先輩は、一度あたりに視線を巡らせた。
「あぁ、やっぱりいるわね」
そして、見つける。
そう。どうもこちらの様子を窺う、見知った顔がひとつあるようなのだ。僕の見間違いでなければ、あれは蓮見先輩だ。片方のウェストあたりで結んだようなデザインをした左右非対称のキャミソールにローライズのスキニーデニムを穿いている。
「そりゃいるだろ。あんだけ煽ったんだから」
「あら、何のことかしら?」
瀧浪先輩は白々しくしらばっくれる。
あれだけデートだ何だとアピールすれば、蓮見先輩だって気になるし、様子を見にきたくもなるというものだろう。
かと言って、気になりはしてもこちらの邪魔までしたいわけではないらしく、僕がここでひとり瀧浪先輩を待っている間も接触はしてこなかった。
だが、悲しいかな、彼女はその人目を引く容姿故に、隠密行動には致命的に向いていなかった。僕はすぐに気がついてしまったし、今もうちの学校の生徒なのかナンパなのか、二人組の男に声をかけられている。派手でガラの悪そうな見た目とジャラついたアクセサリーの類はうちの生徒っぽくないので、おそらく後者だろう。
「しつこそうな連中だな。……ちょっと行ってくる」
「待ちなさい」
助けに入ったほうがいいかと思い、蓮見先輩のもとへ向かおうとしたら、瀧浪先輩に二の腕を掴まれ、引き留められた。
「大丈夫。わたしや彼女くらいになれば男に声をかけられるのは日常茶飯事だから、あの程度の連中をあしらうのなんてお手のものよ」
「そういうものなのか……?」
何やら自意識過剰なことを言っているようにも聞こえるが、実際そうなのだろう。そして、蓮見先輩も男どもとは目を合わせず、掌をひらひら振って、まったく相手にしていない様子だった。
「じゃ、行きましょうか」
「あ、ああ……」
瀧浪先輩がセンター街のほうへと歩き出す。僕も、多少後ろ髪引かれる思いで、官女の後を追った。
§§§
まず向かったのは、僕の希望により書店だった。
センタープラザビルの二階から、センター街の上に架けられた連絡通路を通って大型書店へと入る。
「静流、蓮見さんの家での生活はどうなの?」
新刊の平台を見て回っていると、蓮見先輩が聞いてくる。
「おじさんは僕にできるだけのことをしようと気を遣ってくれてるよ。蓮見先輩とも今はうまくやってる。なので、表面上は平穏。ただ――」
「ただ?」
少し言葉を詰まらせた僕に、瀧浪先輩が先を促す。
「健全な家族形態とは言い難い」
いくら父親から見れば実子とは言え、父子家庭のところに愛人の子が身を寄せるのは決定的に歪だ。長く続けるべきではないし、長く続ければいずれ破綻するだろう。だから、僕は夏休みになったら蓮見邸を出ることにしたのだ。
「でしょうね」
彼女はくすりと笑う。
「だけど、わたしが聞きたいのはそういうことじゃなくてね?」
「なに?」
今度は僕が続きを促す。
「蓮見さんとひとつ屋根の下で暮らしてるわけでしょう? だったら、制服以外の姿も目にするんじゃない? それとか、ほら、マンガみたいな展開とか……」
「……」
そう言われて僕が思い出したのは、バスタオル一枚巻いただけの姿でバスルームから出てきたときのことだった。
「ちょっと待ちなさい、静流。何なの、その沈黙。何かあったの? あったのね!? 何を見たの。言いなさい」
「そっちこそ待て。誤解だ」
いきなり胸ぐらを掴んできた瀧浪先輩に、僕は暴力よくない、話し合おうとばかりに両手を上げた。このところこのパターンが多くないだろうか。僕もできれば掴まれ慣れたくない。
いきなりはじまった女が男に掴みかかり詰め寄るという展開に、「なんだなんだ、修羅場か?」「とりあえず男が土下座だな。それで頭踏まれろ」「男死ね」と、周囲が騒然となる。
「知っての通り蓮見先輩はおおらかだから、部屋着もあの調子なんだよ。正直目のやり場に困る。そういう意味では瀧浪先輩が危惧している展開ではある」
「ああ、そういうことね」
どうやら瀧浪先輩も納得するところがあったらしい。あっさりとそう言い、僕の胸ぐらから手を離す。……過少申告ではあるが、嘘は言っていない。
「そんなに見たいならわたしを見なさい、と言いたいところだけど、わたしが蓮見さんと同じ恰好をしても似合わないわね」
「まぁ、タイプは正反対だな」
唯一真似て似合うものがあるとすれば、裸にバスタオルというファッションだろう。やってほしくないが。
「おっと、発見」
再び平台に目を戻せば、ようやく目当てのものが見つかった。さっそく手に取る。
「探してたのはそれ?」
「そう」
それは時代小説作家、
「時代小説? 意外。静流がこういうのを読むなんて」
瀧浪先輩も山から一冊手に取り、表紙と裏表紙を交互に見る。
「こういうのが趣味だったの?」
「いや。その作家だけだよ」
「これだけ? じゃあ、そんなに面白いの?」
読書傾向がそちらに偏っているわけでもないのに読むのだから、よほど面白いのだろうという連想のようだ。僕がこれを読む理由はひとつ。彼女が書いたものだからだ。いわゆる作者買い。
「僕はそう思ってる」
ただ、残念ながら、新進気鋭の時代小説作家と評価はされても、販売部数にまではつながっていないようだ。
実際問題、士総一郎に関しては売るのは簡単だ。多少ひいき目もあるかもしれないが、内容は文句なくいいので、後は注目される機会の問題。なので、軽めの文芸雑誌で、顔出しで特集を組んでもらえばいい。最近ならカラーページの多い総合文芸誌『ミケランジェロ』あたりがいいかもしれない。何ならグラビアの一枚も載せれば、飛ぶように売れることだろう。
尤も、そんな売り方で売り上げを伸ばしても嬉しくはないと、作者本人は言うのだろうけれど。
「ふうん」
興味が出たのか、瀧浪先輩は裏表紙のあっらすじを読みはじめた。
「気になるんなら読んでみたらいい。全巻持ってるから、いつでも貸すよ。……ちょっと買ってくる」
僕は彼女をその場に残し――雑誌コーナーで顔を隠すようにして立ち読みをしている女の子の横を抜けて、レジへと向かった。
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