第4話

 もうひとり、僕と奏多先輩とのことを心配している、というか、気になっている人物がいる。


 言うまでもなく、瀧浪泪華だ。


「静流、昨日ずいぶんと壬生さんと仲がよさそうだったけど」


 翌日の放課後、瀧浪先輩はよほど気になるのか、まだそれなりに利用者がいる時間帯だというのに図書室のカウンターにきて、僕に問う。状況が状況だけに周囲を警戒しつつ、声のトーンは落とし気味。


「知ってるの? 彼女――」

「知ってるよ。中学生のときは女だてらに喧嘩の毎日だったって噂だろ」


 昨日の蓮見先輩みたいな心配をしようとする彼女の言葉を遮り、僕は先回りをして答えた。……どいつもこいつも勝手なイメージと、その目で見たわけでもない噂話で知った気になって。


「え? ええ、そう。知ってるんだったら――」

「でもさ、」


 僕はまたしても発音をかぶせた。


「あの通り、今は毎日図書室に通う文学少女だ」


 瀧浪先輩の向こうに目をやれば、奏多先輩がいつもの席に座り、いつものようにノートにペンを滑らせていた。


 尤も、『少女』というには雰囲気が超然としすぎてはいる。


「それに、昨日わかっただろ。実に愉快な性格でもある」


 はた迷惑とも言うが。


「瀧浪泪華ともあろうものが伝聞でしかない昔ばなしにばかり耳を傾けるんじゃなくて、ちゃんと今の姿を見たらどうだろう」

「……確かに、そうね」


 言われて思うところがあったのか、瀧浪先輩は少しばかり沈んだ声音で反省する。


「わかってくれたのならいいよ」


 僕は素っ気なく言うと、閲覧システムを操作して本日の延滞者を検索する。が、未返却図書はなし。そもそも昨日が返却期限だった図書自体がなかったようだ。本当にこの図書室は利用者が少ない。


 そうやって淡々と業務をこなす僕を瀧浪先輩はじっと見ていたが、おもむろにその口を開いた。


「もしかして静流、怒ってる?」

「……別に」


 画面に目を向けたまま、僕は答える。


「そうは見えないけど。……あなたと壬生さんってどういう関係?」

「ただの図書委員と、図書室を利用する生徒」


 実にシンプル。


「そのわりには名前で呼んでるわ」

「たまたまそういう流れになっただけだよ」

「ふうん、そう」


 と、瀧浪先輩。


「まぁ、いいわ。今は『隠していること』ではなくて、『言っていないこと』のフォルダに入れておくことにする。……そう言えば、静流には貸しがあったわね」

「貸し?」


 不意に出てきた思いがけない単語に、僕は画面を見ていた顔を上げ、瀧浪先輩へと向き直った。


「あぁ」


 すぐに何のことか思い至る。

 先日、蓮見先輩が家出をしたときに協力してもらった件だろう。


「蓮見さんとのことも落ち着いたみたいだし、そろそろ返してもらうことにするわ。今週末、わたしとデートして頂戴。もちろん、いやとは言わせないわ」

「……」


 確かに蓮見家を巡るゴタゴタは決着がついたし、そこに至るまでに瀧浪先輩の助力があったことは間違いない。そういう意味では、僕は彼女に借りがある。


「……まぁ、別にいいけど」

「とっても消極的な返事をありがとう。もう少し嬉しそうにしたらどうなの? わたしとのデートよ?」


 瀧浪先輩は実に不服そうだった。


 選択肢を奪われた決断に喜びなどあろうはずがない。


「ちょっと思うところがあってね。女性からこういうふうに強引に誘われるのは、男としてどうなんだろうなと」

「それだけ情熱的な女からアプローチを受けてると思いなさい。それがいやなら静流から誘ってよ。『いやとは言わせない』なんて言われたら、どこにだってついていくわ」

「考えとくよ」


 恋愛に向かない人間にそんなことを求められてもな。


「じゃあ、後で詳しいことを決めましょ」

「わかった」


 瀧浪先輩がひとまず締めくくり、僕がそう答えると、彼女は弾むような足取りで閲覧席へと向かった。勉強か読書でもして閉室まで過ごすのかと思いきや、今日は珍しくスマートフォンを操作しはじめた。……別に周りに迷惑をかけないかぎり、何をしていても注意はしないが。


「詳しいこと、ね……」


 僕はあえて発音する。


 詳しいことも何も、このあたりだとテーマパークでも行かないかぎりは、三宮かハーバーランドのモザイクあたりが定番になる。目的もなくふらふらする分には、たいていのものはそろっているのだ。それならどっちも三宮の待ち合わせで十分。さほど決めることはない。


 メリケンパークにある西日本最大級にスタバにでも行くか?




                  §§§




 そうして閉室間際、六時五分前の予鈴が鳴って、残っている生徒が奏多先輩だけになると、それを待っていたように瀧浪先輩が再びカウンターにやってきた。


「静流、どうする、週末」


 さっそく本題が切り出される。


「僕は特に。そっちは? どこか行きたいところはないのか?」

「わたしは静流と一日過ごせたら十分」

「だったら、無難に三宮か。それなら僕は途中で本屋に寄らせてもらうことにする。ほしい本があってね」


 残念ながら、目当ての本は学園都市の書店には置いていなかったのだ。


「じゃあ、後は時間ね」


 そう瀧浪先輩が言ったところで、図書室の扉が開いた。

 駆け込みでの貸出か返却か。どちらにせよもう五分とたたずに閉室だ。急いでもらわないと。


 と、思ったらそれは蓮見先輩だった。わずかに息を切らせている。




「デ、デートって本当!?」




「……」


 貸出でも返却でもなかった。


 僕は説明を求めるべく、瀧浪先輩を見る。ついさっき決めたばかりの件が蓮見先輩に伝わっているとしたら、犯人は彼女しかあり得ない。


「だって、わたしの初デートだもの。誰かに言いたくなって思わず、ね」

「よりによってなんで蓮見先輩に……」


 話したいなら鷹匠先輩だっているだろうに。あの人なら僕と瀧浪先輩の関係を誤解しつつ、その実、正しく理解している。


「そんなに大慌てで飛んできて。……気になる?」


 瀧浪先輩はやけに挑戦的な口調で蓮見先輩に言い放つ。


 どうやら先ほどの閲覧席でのスマートフォンの操作は、蓮見先輩へのチャットの送信だったようだ。


「ハァ!? 何であたしが気にしないといけないのよ。そうじゃなくて! 高校生らしいデートをしなさいって言いにきたの」


 僕は再び瀧浪先輩を見た。どうにも話が飲み込めない。高校生らしいらしくないとは何のことだろう。


「もしかしたらその日は静流が帰らないかもしれないじゃない?」

「どうしてそういうことを書く!?」


 いったい何を書いてくれているのか。


「お姉さんには断っておいたほうがいいと思って」

「あり得ないことを書くなと言っている」

「あたしだってそんなこと断られても困るわよ……」


 僕の横で呆れたようにつぶやく蓮見先輩。そりゃそうだ。


「いや、まー、条例なのか道徳なのか、何がダメの理由かって聞かれたら、うまく答えられないんだけどさ……」


 と、彼女は頭を掻く。


 僕だって同じことを思うだろう。もしかしたらそれを禁じる理由は探せばあるのかもしれないし、探してもないのかもしれない。だけど、自分の身の周りの友人たちには高校生らしい交際をしてほしいと思う。


「あら、あり得なくはないんじゃない。わたしは正しい知識を持ってるつもりだし、ここは勝負どころかと思ってるわ」

「しょ、勝負って……」

「もちろん上も下も、外も中も勝負仕様のスタイルよ」


 次の瞬間、蓮見先輩が僕の胸ぐらを掴んでいた。


「ぼ、僕じゃなくて瀧浪先輩に言ってくださいよ」


 なぜ僕がキレられなくてはいけないのか。それに瀧浪先輩も、さっきから何でこんなに蓮見先輩を煽るようなことを言うのだろう。


 と、そこでかすかに忍び笑いが聞こえた。


 瀧浪先輩でもなければ、蓮見先輩でもなく――振り返れば奏多先輩だった。


「壬生さん?」

「ごめんなさい。やけに楽しそうだったから。……静流、今度こそ修羅場?」

「……そう見えますか?」


 この人は修羅場に何か特別な期待でも持っているのだろうか。仮に修羅場だったとして、それを楽しそうってどういう感覚だ。


「瀧浪が毎日のように通っているのは見ていたけど、蓮見もとは思わなかったわ」

「あたしもって、何が?」


 首を傾げる蓮見先輩。


 しかし、その彼女を横目に、奏多先輩は僕のほうへと目を向ける。


「お前、意外と女に好かれるたちだったようね」

「ちがいますよっ」

「冗談! 何であたしがこんなのを!?」


 直後、奏多先輩が言わんとしていたことを理解した僕と蓮見先輩は、同時に叫んでいた。蓮見先輩に至っては僕を指さしている。


 そして、さらに一拍おいた後、


「『こんなの』扱いは、さすがの僕も傷つきますが?」

「あんたこそ、なに全力で否定してくれてるのよ。あたしに好かれるのがそんなにいやなわけ?」


 僕たちは、今度は互いを真顔で見合う。


「せっかくだから私もデートとやらをしてもらおうかしら。ああ、瀧浪や蓮見の後でいいわ」

「そりゃあ、まぁ、喜んで……ぐえっ」


 今度は瀧浪先輩に胸ぐらを掴まれた。


「あなたねぇ……」

「あたしの前で二股とはいい度胸ね」


 しかも、蓮見先輩まで詰め寄ってきた。僕はふたりの上級生に詰問される。状況は本当に修羅場の様相を呈しつつあった。


 瀧浪先輩と蓮見先輩の間から奏多先輩を見れば、彼女は拳を口もとにあて、声もなく笑っていた。……いい性格をしている。そもそもこの人は僕と蓮見先輩の関係を知っているのだ。蓮見先輩が僕に好意を寄せているなどと勘違いするはずがない。


 と、そこで午後六時の本鈴が鳴った。


「……」


 どういうわけか、場が静止する。誰も口を開こうとせず、瀧浪先輩も僕の胸ぐらを掴んだまま。


「さて、私は先に帰らせもらうわ」


 そうしてチャイムが鳴り終わるのを待ち――最初に切り出したのは奏多先輩だった。ありったけの燃料を注ぎ込んで、真っ先に図書室を出ていく。


「よし、じゃあ、僕は閉室作業をするので、ふたりとも出ていってくれないか」

「え、あ……」

「ちょ、ちょっと……」


 僕は颯爽と帰っていく奏多先輩を見送って茫然としていたふたりの隙を衝き――まずは瀧浪先輩の手から逃れると、ふたりの背を押して強引に図書室から追い出した。


 扉を中から施錠。


「こら、開けなさいっ」

「そうよ。話は終わってないわ!」


 そして、籠城。


 どうやら今日は、普段やらない書架整理をしてから帰ることになりそうだった。

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