第3話(2)

 職員室に図書室の鍵を返しにいくと、そこで奏多先輩とばったり出くわした。


「あら、お前、生きてたの。五体満足で解放するなんて、瀧浪も存外甘いわね」


 好き勝手言ってくれる。


「洗いざらい白状して、土下座でもして許してもらったの?」

「しませんよ、浮気がばれた男じゃあるまいし。そもそも誰のせいであんなことになったと思ってるんですか。奏多先輩がよけいなこと言ったからですよ。他人事みたいに言わないでください」


 半眼で睨んでみるが、奏多先輩には蚊に刺されたほどにも効いていないようだった。放火犯のくせに、今はまるで火事を見にくる野次馬だ。まぁ、放火犯はたいてい現場に戻ってくると聞くので、ごく当然の行動か。


「もしかしてわざと瀧浪先輩を煽ってネタにでもするつもりですか?」

「あいにくと現代ものは趣味ではないわ」


 いや、放火魔や野次馬ではなく、むしろ下々のものの生死など気にも留めない女帝か。奏多先輩は欠片も興味がなさそうにあっさりとそう言った。


 瀧浪先輩には釈明などしていない。誰だも何もそもそもが奏多先輩の冗談だと言って、とっととお帰り願った。もちろん彼女が不服そうだったのは言うまでもない。


「冗談、ね」


 僕がそう説明すると、奏多先輩はひと言つぶやいて鼻で笑う。


「ところで、奏多先輩はなぜここに? 帰ったのでは?」


 僕はこれ以上何も言われないように話題を変えることにした。


「教室に忘れものをしたのよ」


 と、奏多先輩。


 それで職員室で鍵を借りて、忘れものを回収。借りた鍵を返しにきて今に至る、というところか。女帝も意外と人間らしいところがある。


 このまま奏多先輩と一緒に帰ることになった。


 昇降口へ降り、それぞれの下駄箱で学校指定の革靴とローファーに履き替える。そうして校門を出ると、並んで駅へと向かった。


「こういうの久しぶりですね」

「そうね」


 短い言葉を交わす。


「何となく言いそびれてますが――僕、夏休みに入ったら蓮見先輩の家を出て、祖父母のところへ行くことにしました」


 並んで歩きながら、僕は奏多先輩にそう切り出した。


「その言い方だと、ただ単に夏休みに田舎に遊びにいく、というわけではなさそうね」

「そうですね。母が亡くなって、祖父母がうちにこないかと声をかけてくれたんです。その厚意に甘えようと思っています」


 僕に与えられている数少ない選択肢のひとつだ。これが最も現実的な落としどころだろう。


「蓮見の家を出るのは、静流がいることが健全でないから?」

「はい」


 僕は首肯する。


「そう。お前がそう決めたのなら、私が口を出す筋合いではないわ」


 奏多先輩は実にあっさりしたものだった。


「瀧浪が寂しがりそうね」

「奏多先輩は寂しがってくれないんですか?」


 僕は少しだけ不貞腐れながら聞いた。


「……お前、私に何を求めているの?」

「いや、まぁ……」


 逆に奏多先輩に問われ、僕は少しだけ恥ずかしくなる。


「瀧浪と駆け引きをしているわりには、意外と子どもっぽいわね」

「ほっといてください」


 僕がさらに不貞腐れると、奏多先輩は小さく肩をすくめた。


「静流が何か夢中になるものを見つけるか、女とでもつき合うようになれば、私が何を思っているかなんて気にならなくなるわ」

「無茶を言いますね」


 ほとんどの生徒は超然とした態度の壬生奏多に畏怖し、いないものとして扱う。だけど、それはある意味強すぎる存在感の裏返しであり、それを気にするなというのは土台むりな話である。


「女の子とつき合うとか、僕には向いてませんから」

「真壁静流は恋愛に向いていない――お前の口癖だったわね」


 僕は自分の感情が自然発生したものか、それとも作ったものかわからない。計算で感情を作るようになった僕には、恋愛は向いていないのだ。


「断言するわ。それもいずれ解決する。真夏の通り雨のように、ある日突然にね」


 奏多先輩は珍しく日常会話にまで文学的な表現を使った。


「そのときそばにいるのは瀧浪か、それとも蓮見か」

「蓮見先輩とは半分ですが血がつながっていますので。まぁ、いろんな意味でキーパーソンは瀧浪先輩か」


 僕は瀧浪泪華に好意をもっている。それが偽りない己の感情だと断言できるようになれば一歩前に進むことができるのかもしれない。




                  §§§




 奏多先輩とは、僕が先に電車を降りるかたちで別れた。


 名谷の改札口を出て――須磨パティオがある南側に背を向け、住宅地と高層マンションが並ぶ北側へ歩を進める。


「ねぇ」


 と、そこでぶすっとした声で話しかけられた。


 振り返ると蓮見先輩だった。制服姿のところを見るに、今まさに学校帰りのようだ。今日はいろんな人が遅く帰っているな。


「ああ、蓮見先輩」

「あんた今、壬生さんと一緒にいなかった?」


 どうやら蓮見先輩も同じ車両に乗っていて、こちらに気づいていたらしい。僕たちは並んで蓮見邸へと歩く。


「ええ、いましたよ」

「やっぱり……」


 と、蓮見先輩。


「大丈夫なの? もしかしたらあんたはまだ知らないのかもしれないけど、あの人、うちの学校じゃ敬遠されてんのよ。何でも中学のときなんて、女なのに喧嘩にめっぽう強かったって話」


 蓮見先輩は純粋に僕のことを心配してくれているのだろう。それこそ学校で敬遠されている壬生奏多に、そうとは知らず近づいてしまっているのではないかと。


「知ってますよ、それくらい」


 ただ、それでもちょっとむっとしてしまった。


 蓮見先輩の話は概ね本当だ。相手が年上だろうが男だろうが負けなしだったし、今でもうっかり口を滑らせて機嫌を損ねようものなら、気がついたときには投げ飛ばされているのだ。


「でも、今じゃ放課後は図書室にいますよ」

「ウソ! そうなの!?」


 過去に二度、奏多先輩がいるところに居合わせているはずなのだが、僕に突っかかったり瀧浪先輩にからんだりで、見えていなかったのだろう。


「え、なに? あの人、本読んでるの? 勉強?」

「さぁ? 僕は利用者が何をしているかまでは気にしないので」


 もちろん、半分は嘘で半分は本当だ。借りる本のタイトルを注視しないようにしているのと一緒で、席で何をしているかも気にしない。本を読むなり勉強をするなり、図書室は好きに使えばいい。周りに迷惑になるようなことをしていれば注意をするだけだ。


 だけど、奏多先輩が何のために図書室にきてるか、僕はよく知っていた。


「まぁ、見た感じ、本を読むか調べものをしているかですね」


 普通の高校生が図書室を利用する理由なんてそのあたりでしかない。蓮見先輩も「ま、それもそうか」と納得したようだった。


「もしかして心配してくれたんですか?」

「べ、別に心配なんて――」


 しかし、蓮見先輩の言葉が中途半端なところで途切れる。


「ま、まぁ、よけいなお世話かと思ったんだけどさ。でも、いちおう、ね」


 彼女は頭を掻きながら、そうたどたどしく言い直した。


 要は心配してくれていたらしい。


「ありがとうございます。でも、心配はいりませんよ。昔はどうであれ、今は文学の人ですから」

「そ。だったらいいんだけど」


 蓮見先輩は途端に興味が失せたように、短くそう言った。


 そのまま僕たちは蓮見邸へと並んで歩く。

 間、たいした会話はなく――そして、一緒に歩くことに文句も言われなかった。

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