第2話(2)

「あ……」


 と、言ったのは蓮見紫苑だった。


 刈部と学食の隅にある自販機コーナーに行ったところ、そこで蓮見先輩のグループと遭遇したのだ。彼女も当然弁当を持ってきているので、ここへは食後の飲みものでも買いにきたのだろう。


 蓮見先輩は、僕と会うとは思っていなかったのか、立ち尽くしている。


 直井のグループなら盛り上がって、ここぞとばかりに話しかけたのだろうが、僕と刈部ではそうもいかない。刈部景光は四六時中テンションが変わらない恒温動物だし、僕は話題を円滑に進行させることに長けはしても、自分自身は他愛もないことで気持ちが高揚する人間ではない。


 ここは無視……は、さすがにできない。


「あ、図書委員くんじゃーん」


 そう思っていたら、ちょうどいいところに割り込まれた。椎葉先輩だ。


「こんにちは、椎葉先輩」

「うん、こんちゃ。ね、聞いて聞いて。あの本、ちゃんと読んでるよ」


 椎葉先輩は子犬を思わせる仕草で見上げてくる。


「図書委員くんのお薦めだけあって読みやすいね」

「最初のお薦めは放り投げられましたけどね」

「うわーん、紫苑ちゃん、図書委員くんが意地悪言うー」


 蓮見先輩に縋りつく椎葉先輩。


「知らないわよ。実際読めなくて別のを紹介してもらったのは事実でしょうが」

「ぐぬぬ……、周りは敵ばかりか……」


 しかし、口をへの字に曲げていたのはそこまでで、彼女は一転して笑顔を見せる。


「てことで、またいい本があったら教えてね」

「わかりました。……じゃあ、また」


 そうして僕は蓮見先輩を無事やり過ごし、彼女らの脇を抜けた。


 自販機前で財布から百円硬貨一枚と十円硬貨一枚を取り出し、生協価格のカフェオレを買おうとして――、


「ちょっと、あんた」


 そこでお金を放り込むべく投入口に伸ばした手をいきなり掴まれた。二枚の硬貨が僕の手から落ちる。


 蓮見先輩だった。


「こっちきて」

「え? あ、ちょっと……」


 僕は蓮見先輩に手を引っ張られ、つれていかれる。落とした硬貨が床に散らばったままなのだが……まぁ、事態を無表情で見送っている刈部が拾ってくれることだろう。気が利く彼のことだ、いつものカフェオレを買っておいてくれるかもしれない。


 僕がつれていかれたのは、学食の出入り口の脇だった。


 学食は校舎の端にある。つまり僕らがいるのは廊下の突きあたりだ。学食に出入りする生徒が、いったい僕たちが何を話しているのだろうかと気にしながらも立ち止まるわけにもいかず、横目にこちらを見ながら通りすぎていく。


 蓮見先輩はそこに僕をつれてきて、何か言いたそうに難しい顔をしていた。


「すみません。ここで会ってしまったのは、さすがに不可抗力だと思っていただきたいのですが」


 僕も極力学校では顔を合わせないよう努力するつもりだが、こういう生徒の誰もが利用する場所でばったり遭遇してしまうのは許容してもらいたいところだ。


「そんなことは別にいいわよ」

「あ、いいんですね……」


 では、ともすれば怒っているようにも見えるその顔は何なのだろう。


「それよりもさ、」

「はい」


 いよいよ本題を切り出してくるであろうその言葉に、僕は思わず神妙に返事をする。


「弁当、どうだった……?」

「はい?」


 しかし、彼女の口から飛び出したのは予想だにしない問いで、今度は我知らず間の抜けた声を発していた。


「えっと、普通に美味しかったですけど?」

「ほんとに?」


 なぜか疑わしげな蓮見先輩。


「いや、だって、半分は冷食……」

「残り半分はあたしが作ってるでしょうがっ」


 そして、吠える。


「卵焼きみたいなしょうもないものだけど、あんたの口に合わなけりゃ意味ないんだからさ」

「多少好みに合わないくらい我慢しますよ」

「我慢して食べられるくらいなら、注文をつけてもらったほうがマシよ。……ほら、遠慮しないで言いなさい」


 つまるところ作る以上は作るし、作るなら相手が満足するものを作りたい、ということなのだろう。


「いえ、今のは作ってもらう身で文句は言わないという覚悟の話で、最初に言った通りちゃんと美味しかったですよ」


「あっそ。ならよかったわ」


 僕が改めて感想を告げると、蓮見先輩は普段通りのぶっきらぼうな態度に戻った。


 これが恋人とか好意を寄せる男子とか、美味しいと言ってもらいたい相手なら喜びもするのだろうが、僕程度では「問題がないならそれでいい」くらいの気持ちにしかならないようだ。


「まぁ、そもそも家で食べてる食事からして美味しいので、何も心配はしてませんでしたけど」

「き、聞いてないことにまで答えなくていいのよ」


 べしっ、と二の腕を叩かれた。


 蓮見先輩の顔が赤い。もしかして照れているんだろうか。口に合ったか気になるくせに、気に入って褒めたら照れるというのもたいがい難儀な性格だな。


「ほら、戻るわよ」

「はい」


 逃げるように踵を返し、学食のほうへ戻っていく蓮見先輩に、僕はついていく。


「やっぱり仲よさそう。もしかしてデートの約束?」


 椎葉茜先輩だった。僕たちふたりがこそこそと内緒話をしていたのが面白かったのか、意地が悪そうににやにやしている。


「そんなわけないでしょ。ていうか、仲よさそうに見える?」

「見える見える」


 椎葉先輩は楽しそうに何度もうなずく。


 それを受けて蓮見先輩は振り返り、こちらを見た。何も言わないが、目が僕に意見を求めている。


「さぁ?」


 僕は首を傾げるしかなかった。


「図書委員くん、図書委員くん」


 椎葉先輩は、今度は僕を呼び、こちらの腕に自分の腕をからめると、ぐっと僕を引き寄せる。


「そういうことにしておいてあげるから、後でデートのときの紫苑ちゃんがどんな様子だったかおしえてね」

「茜、バカなこと言ってないで行くわよ」

 数歩しか離れていないので、当然蓮見先輩には聞こえているし、おそらく椎葉先輩もわざと聞こえるように言ったのだろう。


 彼女は舌を出すと、ぱっと僕から離れた。


 そうして蓮見先輩のグループは去っていき、僕はそれを見送る。


 と、ふいに何かが視界の横から差し出された。見れば缶コーヒーで、その手は刈部のものだった。


「いつものやつだ」

「ありがとう」


 さすが刈部だ。気が利いている。彼もすでにいつもの微糖のコーヒーを買っていて、待っている間にプルタブを開けたようだ。


 僕もさっそく飲むことにした。

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