第6話

 蓮見邸に帰ると、玄関の鍵はあいていた。


 これはいつも通り。

 だけど、中に這入れば、そこに蓮見先輩の姿はどこにもなかった。


 散歩かコンビニにでも行ったのだろうか。僕が帰ってくることを考えての措置とは言え、開けっ放しとは不用心な――そう思って待っていたのだが、いっこうに彼女が帰ってくる様子はない。


 そうこうしているうちにおじさんが先に帰ってきてしまい、状況を説明せざるを得なくなった。


 僕の話を聞いた彼は、すぐに娘のスマートフォンに電話をかけた。が、出ない。おそらく電源を切っているか、無視を決め込んでいるのだろう。


 おじさんは諦めて端末を置くと、横で様子を見守っていた僕を見た。


「どう思う?」

「言いにくいことですが、蓮見先輩は家出をしたのではないかと」


 原因は明らかに僕にあるだろう。家に愛人の子がいる状況に耐えられなくなって家出をしたにちがいない。今朝のようにうっかり心ない嫌味を口走ってしまうくらいに、彼女は苛立っていたのだ。


「家出、か……」


 おじさんはつぶやく。


「とりあえず今夜ひと晩様子を見て、明日学校に相談しよう」


 そうして彼はようやく帰宅後初めてソファに腰を下ろした。予想だにしていなかった娘の行動にショックを受けたのか、心底疲れたような座り方だった。


「なかなか難しいものだな、美沙都……」

「……」


 頭を抱えながら口にしたのは彼の妻――蓮見先輩のお母さんの名前だろうか。


 僕はその姿を、立ったまま見下ろす。


 蓮見先輩が家を飛び出したきっかけは僕だ。その僕をつれてきた蓮見氏にも遠因はあるかもしれないが、直接的には僕だろう。ならば、ここは僕が何とかしなければ。


「学校への連絡は少し待ってください。あまり騒ぐと蓮見先輩が帰り辛くなります。ここは僕に任せてもらえませんか」


 この件、実は解決するだけなら呆れるほど簡単だ。蓮見先輩にただひと言告げればいい。僕はここに長居するつもりはありません、と。彼女が望むなら、今すぐにでも出ていっていい。そもそも僕の中ではとっくに決めていたことなのだから、蓮見先輩にだけは先にそれを伝えておけばよかったのだ。期限付きであれば、まだ我慢できたにちがいない。


「何かあてがあるのか?」

「彼女に学校以外の交友関係がないなら、おそらく学校の友達のところではないかと」


 大学入試のために予備校に通っていれば学校の外に友達もできるだろうが、僕が見るかぎり蓮見先輩にそういうのはなさそうだった。


 ただ、問題はどうやって蓮見先輩を見つけ出し、会うかだ。




                  §§§




 翌日の昼休み、僕は瀧浪先輩を図書室に呼び出した。


 鍵は、休み時間中に乱れた書架を片づけたいから、と言って貸してもらった。僕はカウンターにいちばん近い閲覧席のテーブルに軽く尻を乗せ、立ったまま瀧浪先輩がくるのを待つ。


 程なくしてやってきた彼女は一度室内を見回し、僕しかいないことを確認すると、ようやく口を開いた。


「どうしたの、静流。急に呼び出して」

「ちょっと瀧浪先輩に聞きたいことがあって」


 誰もいないからだろう。彼女は最初から素のままで、対する僕もそれ相応の受け答えをする。


「その様子だと今までの行いを悔い改めて、やっぱりわたしと交際したいって感じじゃなさそうね」


 冗談めかせて言うが、顔は笑っていなかった。今がどういう場面かわかっているのだ。だから僕も彼女の冗談には触れず、話を進めさせてもらう。


「蓮見先輩といちばん仲がいい友達が誰かわかるだろうか?」


 瀧浪先輩は蓮見先輩とはちがうクラスで、一年、二年とも一緒になったことはないらしい。だから、瀧浪先輩に聞いてわかるか定かではないが、現状、僕が頼れるのは彼女だけだった。


 ただ単に三年生というだけなら奏多先輩もいるにはいるが、あの人は世間に興味がない世捨て人の文筆家だ。


「だったら、静流もこの前見た椎葉さんかしらね。そうじゃなかったとしても、あのグループの誰かだとは思うわ」

「そうか……」


 となると、まずは椎葉先輩に接触だな。万葉集の件でそれなりに信頼を得ているので、比較的話を切り出しやすい相手だ。


「蓮見さんがどうかしたの?」

「……」


 一瞬、言うべきか迷う。だが、聞きたいことだけを引き出しておいて、こちらからは何も言わないというのも誠実ではない。


 僕は意を決して口を開く。


「蓮見先輩がいなくなった」

「いなくなった?」


 瀧浪先輩は鸚鵡返しに発音した。そうしてからかたちのよい顎を指でつまみ、思案顔で「そう言えば、風邪で休んでるって話が流れてきてたわね」と、独り言のようにつぶやく。


「外で事故に遭ったという可能性は?」

「ひと晩たっても特に何の連絡もなかったから、それはないと思う」


 その可能性は最初に排除した。


「まず間違いなく家出だよ」

「家出? おうちで何かあったの?」

「そんなの決まってる。僕のせいだ」


 それ以外に何があるというのか。


「僕が! 僕がのこのこあの家に行かなければ、蓮見先輩が出ていくこともなかった!あの人にあんな心ない言葉を吐かせることもなかった! ぜんぶ僕のせいだ!」


 僕は口にしたことで改めて己の許しがたい浅慮さを痛感してしまい、拳でテーブルを二度、三度と打ちつける。


「落ち着きなさい、静流」


 その僕を瀧浪先輩が静かに一喝した。


「大丈夫よ、静流。蓮見さんが出ていったのは、あなたのせいじゃないわ」

「いったい何を根拠に――」

「それよりも」


 彼女は反論しようとする僕の言葉を遮った。


「さがすんでしょ、彼女を」

「あ、ああ」


 そうだ。今やるべきことは責任の所在や、いかに僕が愚かであるかを論じることではない。蓮見先輩を見つけ出すことだ。


「蓮見さんの居場所を突きとめるよりも手っ取り早い方法があるわ」

「なに?」


 瀧浪先輩の口から発せられた意外なひと言。果たして、僕が知らないだけで、同学年であり、我が校の双璧と称される彼女には何か策があるのだろうか。


「呼び出せばいいのよ」

「できれば苦労はしない」


 僕はむっとして言い返す。

 何かと思えば、代案とも言えないような代案だった。


「彼女がいなくなってから、電話は?」

「おじさんがかけたけど出なかった」

「でしょうね」


 そこで瀧浪先輩は小さくため息。


「でも、静流なら出るわ」


 そして、はっきりと断言する。


「まさか」

「いいからかけてみて」

「番号を知らない」


 いったいどんな勝算があって彼女がそれを言っているのかわからないが、そもそもそれ以前に僕には蓮見先輩と連絡を取る手段がなかった。一度そんな話も出たので、こんなことなら本当に聞いておくのだった。


「あなたたち、姉弟でしょ?」


 呆れた調子の瀧浪先輩。


「昨日今日できたような姉と弟だよ」


 初めまして。じゃあさっそく連絡先を交換しましょう、となるはずがない。そんなやり取りがすぐにできるくらいなら、こんな事態にはなっていないだろう。


「仕方がないわね。確か彼女のテキチャも登録してあったはずだから」


 そう言うと瀧浪先輩はスマートフォンを操作しはじめた。どうやらテキストチャットのIDは交換しているらしい。


「『静流が電話するから』、と……」


 さっそくメッセージを送信する。


『電話に出て』といった趣旨の文章は加えなかったようだ。そうしなかったのは、そこは蓮見先輩の判断に任せたかったのか、僕がかければ出るということを瀧浪先輩が証明したかったのかもしれない。


「もう少ししたらかけてみましょ」


 そう言うと瀧浪先輩は手近なイスを引き、座った。僕も最初にしていたように、テーブルに軽く腰かける。


「ねぇ、静流。あなた、本当に自分のせいで蓮見さんが出ていったと思ってる?」


 不意に瀧浪先輩が問いかけてきた。


「それ以外にないだろ」

「自分でも無理解のままはよくないって言ってなかった? 話はしたの?」

「邪魔が入ったんだよ」


 あの日の夕食後、蓮見先輩と話す絶好の機会があったのだが、僕がそちらの話題を振れずにもたもたしているうちにおじさんが乱入してきて、それもあえなく潰えてしまった。そうして機会を逸したまま昨日の朝の件だ。いったい僕は何をたらたらやっているのだろうな。


 おもむろに瀧浪先輩が小さく笑った。


「静流、不貞腐れてると子どもみたいね。かわいいわ」

「うるさいな」


 こんなときに何を言い出すか。


「いい機会だから、そのこと一度蓮見さんと話をしなさい」


 瀧浪先輩は年上らしく、まるで姉が弟に言い聞かせるように、そう言った。


「はい、これが彼女の番号よ」


 頃合いだと思ったのか、彼女は自分の端末の画面をこちらに見せてきた。そこには蓮見先輩の名前があり、電話やメールアドレスといった連絡先が表示されていた。


 僕はそれを見ながら、半信半疑でキーパッドをタップしていく。


 こんな面倒な過程を経ているのは、いきなり僕が電話をしても見知らぬ番号として無視される可能性が高いからだろう。


 そうして数回のコールの後、


『……なに?』


 不機嫌そうな蓮見先輩の声。

 本当に出た。


「……」


 まさか本当に出ると思わなくて、僕は言葉を失う。


『あんたさぁ、何か用があったからかけてきたんじゃないの?』

「すみません。……その、帰ってきたほうがいいです。おじさんも心配してますから」

『……』


 しかし、蓮見先輩から返事はない。


 程なくして、


『ま、そりゃ親だものね』


 苦笑。


 わかっていながらなぜ、こういうことをするのだろうか。僕の脳裏に、頭を抱えるようにして項垂れる蓮見氏の姿がよぎった。


「一度会って話せますか?」


 そんな文句よりも、今は話をすることだ。


『別にいいけど。いつ、どこに行けばいい?』

「今日の午後六時に、学校の図書室で」


 渋々承諾し問うてくる蓮見先輩に、僕はそう答えた。


 午後六時には図書室は閉室だ。よっぽどの長話にならないかぎり、閉室作業に時間がかかりましたで誤魔化すことができるだろう。


『……わかった』


 蓮見先輩は短くそう答えると、話はこれまでと通話を切った。


「どうやら会う約束はついたみたいね」


 と、瀧浪先輩。隣で僕の言葉を聞いているだけでも、話の流れのおおよその見当はついたにちがいない。


「貸しひとつね。今度デートしてもらうから」

「どうして蓮見先輩が出ると?」


 僕は彼女の言葉にうなずくことも文句を言うこともなく、素直に感じた疑問を投げかける。


「静流が思ってるほど蓮見さんも短絡的ではないってことよ」


 返ってきた答えはそれ。瀧浪先輩はわかっていないのはお前だけだとばかりに、笑いながら言う。


 僕だってそんなことは思っていないのだけれど。

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