第4話(2)
成り行きで瀧浪先輩と一緒に帰る。
一を聞いてすべてを理解した彼女には今さらだが、ほかに話題もなかったので、道々、真壁家と蓮見家を巡る人間関係を改めて説明した。
「なるほどね」
それを聞いてさらに理解を深めたようで、彼女は神妙にうなずいた。
電車の吊り革に掴まって並んで立ちながら話す僕らは、内容が内容だけに小声。こんな混んだ電車の中では、誰が耳を欹てているかわからない。
「ねぇ、もしかして静流、今、彼女の家にいるの?」
「……」
そこは伏せていたのだが、聡い彼女は会話の端々にある情報をかき集め、鋭く察したようだ。
「前に一緒に帰ったときいつもとちがう駅で降りてたし、彼女も『先に帰る』って」
「お察しの通りだよ。僕は今、あの人の家に厄介になってる」
小声であるが、それでも決定的な人物名を口にすることは避ける。おかげで僕たちの会話は『彼女』や『あの人』ばかりになっていた。
「母が死んだ後、彼女のお父さんに提案されたんだ。うちにこないかってね。僕は、それでおじさんの気がすむならと思った」
「静流らしいわね」
瀧浪先輩が小さく笑う。
よく言えば、相手の気持ちを慮った。僕たちらしい言い方をするなら、空気を読んだ、である。
「だけど、彼女は僕を受け入れられなかった。まぁ、当然と言えば当然だろうな。だから、一学期が終わって夏休みに入ったら出ていくよ」
「出ていくって、あてはあるの?」
「幸いにして、祖父母が声をかけてくれてる」
決して景気がいいとは言えないこのご時世だ。家族をひとり増やすなんて簡単ではないだろうから、本心半分義務感半分といったところだろう。しかし、僕ももう頼るところはそこしかないので、ここはあえて言葉の裏を読まないことにする。
「近いの?」
「いや、遠い」
実際、祖父母は新幹線に乗って駆けつけてきて、通夜祭と葬場祭の両方に参列するために葬儀場の宿泊施設で一泊している。
「待って。それじゃあ、転校ということ?」
「ああ、そういうことになるのか」
瀧浪先輩に悲愴じみた声で問われ、遅まきながら僕もようやくそのことに気づいた。
祖父母のもとに行けば、今の学校を退学することになるのは確実だ。だが、新しい高校に通うことになるかは定かではないので、果たして正しい意味で『転校』と言えるかどうか。
「それは、困るわ」
「困る? なぜ?」
僕が問うと、瀧浪先輩は呆れたようにため息を吐いた。
「あのね、静流。あなたはわたしのことを単にしつこい女だと思っているかもしれないけど、わたしは静流のことを恋愛対象の異性である前に仲のいいお友達だと思っているのよ?」
彼女は諭すように告げる。
「そのお友達が遠くに行ってしまう。何とかできるものならしたいと思うのが普通じゃない?」
「……悪かった」
まぁ、僕とて恋愛には向かいない性格故交際する気はさらさらないが、彼女のことは気の合う先輩だとは思っている。
「気持ちはわかったけど、バカな真似はやめてくれよ」
「バカな真似?」
瀧浪先輩が問い返してくる。
「あの人を説得するとか」
それを受けて僕が返すと、彼女は合点がいったととばかりに、「あぁ」と小さく声を発した。
「説得は必要ないわね」
「どうして? あの人は僕をきらってる」
そこを説得して僕を受け入れるようにさせるのが、目下のところ現状打破へのいちばんの近道のはずだ。
「きらってはいないわ。彼女、自分でもそう言っていたじゃない」
「そこが解せない。僕はきらわれて然るべきだ」
実際、それは態度に現れている。
蓮見先輩は僕が気に喰わないし、僕が誰かと――特に自分と仲のいい友達と、楽しげにしているのも気に喰わない。だから、図書委員として僕をすっかり信頼しきった椎葉先輩と僕の間に介入してきたし、瀧浪先輩には姉だと名乗り出てまで突っかかっていってしまった。
「言ったでしょ。彼女も心中複雑だって」
「……」
そうなのだろうか?
父親の隠し子でございと登場し、招かれるままほいほい家にまでやってくるような輩は、わかりやすい侮蔑と憎悪の対象だと思うのだが。
「でも、どうにかするのは静流に任せたほうがよさそうね」
「僕に任せるも何も、僕はそもそもどうにかするつもりはないよ」
端から受け入れられるはずのない存在なのだから。
「でも、お姉さんなんでしょ、彼女。このままでいいの?」
「……」
互いに理解のない姉弟なんて、よくある話だと思うのだが。腹違いで、ついこの間までいることすら知らされていなかったのなら尚更だ。
でも、彼女の言葉にはどこか僕の気持ちを揺さぶるものがあり、そのせいで黙っていると、
「それにわたしも静流がいなくなるのは寂しいわ」
つぶやくようにそんなことを言う瀧浪先輩を横目で見てみれば、彼女は顔を真っ直ぐ前に向け、車窓の外を流れる景色に目を向けていた。
「まぁ、瀧浪先輩がどう思っているかはさておき、半分とは言え血のつながった姉と無理解のままというのは健全ではないな」
僕がそう返事をすると、ちょうど車内アナウンスが流れた。
次が最近少し近くなった僕の最寄り駅だった。
§§§
「僕には話すなと言っておきながら、なんで自分からばらしたんです?」
「うるさいわね」
僕が問えば、蓮見先輩は不貞腐れたように答えた。
場所はリビング。
今は夕食後。
今日はおじさんが早く帰ってきたので、食事は三人そろってだった。
父子家庭プラス愛人の子という不可思議な構成での食事が盛り上がろうはずがなく、会話はぽつぽつとしかなかった。
それでも蓮見氏はしきりに僕に声をかけてきて、どうにか僕をこの家にいやすいようにしようという思いが伝わってきた。
そのおじさんは、現在キッチンで食器洗いの真っ最中だ。彼自らやると言い出し、蓮見先輩は特に何も言わずに任せた。娘だから、女の子だから彼女の仕事というわけではないようだ。
蓮見先輩は、今日もロングパンツにTシャツ姿。露出度の高低は父親がいるかどうかにかかっているのかもしれない。
ソファの上で行儀悪く体ごとそっぽを向いて、背もたれに肘をついていた蓮見先輩が、不意にこちらへと向き直った。
「ね、瀧浪さん、言いふらしたりするかな? あたし、けっこうからみにいっちゃったんだけど」
身を乗り出すようにして聞いてくる。
ここにきて心配になるくらいなら、最初から突っかかったり勢いに任せてカミングアウトしたりしなければいいのに。
「大丈夫ですよ。彼女はそんな人じゃない」
「そうなの? よかったぁ」
ほっと胸を撫で下ろしつつソファに身を沈める。
「むしろ危なかったのは、彼女以外の人間ですね」
「う……」
どうやらそちらは今この瞬間僕に言われるまで気にも留めていなかったようで、蓮見先輩の顔が青くなる。
「まぁ、幸いなことに、誰もこちらに気づいていなかったみたですけどね」
「そ、それはよかったわ……」
声が引き攣っている。
この人は自分が有名人である自覚がないのだろうか。こんな幸運、そうそう続くとも思えない。一歩間違えれば大惨事だ。
「あ、そうだ。思い出したわ」
彼女が身を起こす。
「あんたこそ何が『カウンター越しに話す程度ですよ』よ。めちゃくちゃ仲いいじゃないのよ」
「本当のこと言って信じたんですか?」
「ないわね」
即答だったが、僕が蓮見先輩の立場でも、いや、それどころか当事者としてでもそう思うので、特に言い返す気は起きない。
「え、なに? あんたたちつき合ってるの?」
「いいえ、そんなんじゃないです」
言い寄られてはいるが、突っ撥ねているのが現状だ。
「つき合えばいいじゃない。いろいろ中の上って感じのあんたには一生に一度あるかないかの幸運でしょうに」
「ひどいことを言いますね」
その通りだから、またも反論の余地はない。
「今のところその気はありませんよ」
「なんでよ?」
蓮見先輩が不思議そうに聞き返してくる。それこそ一生に一度あるかないかの幸運なので、それをつかもうとしないのが理解できないのだろう。
実際問題として、僕と同じ立場になった男子生徒の何人が首を縦に振るだろうか。自分に自信満々の自他ともに認めるイケメンでもなければ、瀧浪泪華のような美人が隣にいても気後れするだけだ。
尤も、僕の場合はもっと別な理由なのだが。
「僕は――」
「ずいぶんと楽しそうに話をしているな。何の話かな?」
意図せず割り込むかたちで声を発したのは蓮見氏だった。キッチンからリビングへと歩いてくる。洗いものは機械に任せたようで、彼の向こうでは食洗器が音を立てて稼働していた。
蓮見先輩がはっとした直後、その顔からすっと表情が消えた。
「別に楽しくなんてないわ。お父さんには関係のないことよ」
そう言うと、彼女はソファから立ち上がる。
「洗いもの、ありがと。あたし、部屋に戻るから」
そうしておじさんの横をすり抜け、二階へと続く階段を上がっていった。
「何だろうか、あれは」
おじさんは消えていく娘の背中を見送りながらつぶやく。
何だろう? そんなもの決まっている。僕が何ものかを思い出したのだ。
蓮見先輩は持ち前のフレンドリーさでたいていの人間と気軽に話せて、盛り上がれてしまう。そう。僕が相手でも。だけど、ある瞬間我に返るのだ。あぁ、こいつとはそんな関係ではなかった、と。
うっかりすると憎むべき相手とも親しげに話せてしまうのだから、それこそ心中複雑だろうな。
「静流君とは年も近いし、仲よくできると思ったのだがな」
「……」
蓮見氏は医者になったくらいだから頭はいいのだろうが、残念ながらその部分は考えが甘いと言わざるを得ない。それとも男親の娘に対する認識はどこもこんなものなのだろうか。
普通に考えて、高校生の女の子の家に年の近い異性が居候として転がり込んできたらいい顔をするはずがないと思うのだが。
蓮見氏は父親としてちゃんとやっていけているのか心配になった。
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