第2話(2)
その夜のこと。
「あんた、瀧浪さんと仲いいの?」
リビングに僕と蓮見先輩だけになると、不意に彼女が聞いてきた。
少し前まで蓮見氏を含めた三人で夕食を食べていた。それが終わると、おじさんは何やら調べものがあるとかで、自分の書斎に這入っていったのだ。
蓮見先輩は食器を洗いはじめたのだが、当然、僕は手伝わせてもらえず、かと言って自分の部屋に戻るのも後片づけを押しつけているみたいで――仕方なく所在ない感じでソファに座り、面白くもないテレビを見ていた。……これはこれでえらそうではあるのだけど。
やがて蓮見先輩の洗いものが終わり――リビングに戻ってきながら、先のような問いを口にしたのだった。
「よく図書室にくるので、カウンター越しに話す程度ですよ」
「ふうん」
蓮見先輩はどこか疑わしげな相づちを打つと、自分もソファに座った。
やわらかそうな素材のゆったりとしたロングパンツにTシャツ姿で、ソファに上であぐらをかく。女の子としてははしたなくあるのだが、蓮見先輩がやると妙に様になる。こう言うと怒られるかもしれないけど……男前だ。
「じゃあ、今日のあれは何?」
蓮見先輩はさらに質問を重ねる。
「あれ?」
「昼休み、瀧浪さんと一緒に食べてたじゃない」
「ああ、そのあれですか」
あのとき僕の顔を見てそっぽ向いたように見えたけど、誰がそばにいたかちゃんと見ていたようだ。
「普段図書室の中でしか話したことがないから、と誘われたんですよ。僕も学食で食べるようになりましたからね。それにいつも本を薦めたり探すのを手伝ったりしてるから、そのお礼とも言ってました」
「へぇ、瀧浪さんにはそんなことまでしてあげてるんだ」
「何を言ってるんですか。それも図書委員の仕事ですよ。椎葉先輩にも同じことを聞かれて答えたじゃないですか」
「……あっそ。女の子なら誰でもいいわけね」
「……」
何やらひどい誤解を受けている気がする。
さすがにちょっと反論したくなった。
「僕が誰彼かまわず声をかけたところで、女の子が引っかかるわけないでしょう。そもそも黙ってて人並み、下手な愛想を振りまいてると並以下と言ったのは蓮見先輩ですよ」
「あ、あんなの真に受けるんじゃないわよ。冗談に決まってるでしょうが」
蓮見先輩がぎょっとして言い返してくる。
「え? あ、そうだったんですか……」
突然の前言撤回に、僕は面喰らう
そうか。冗談だったのか。……とは言え、これはどっち方向に軌道修正すればいいのだろうか? いちおう僕自身の客観的評価として、見た目は悪くないと思っている。蓮見先輩も同じことを思っていると考えていいのだろうか。
「あの……」
「うるさい、黙れ」
僕が口を開くと、間髪容れず蓮見先輩がぴしゃりとそれを封じた。
「これだから男は」
そして、不貞腐れたように、ふんと鼻を鳴らす。
「……早く持ってきなさいよね」
「はい?」
「弁当箱よ。いつまでも学食ってわけにもいかないでしょ」
「……」
いや、別にいかない理由はないと思うのだが――だけど、今は反論するのはやめておいた。
それきり僕たちは黙り込む。
まるで逃げ出すみたいになるので、まさかこのタイミングで部屋に戻るわけにもいかず――結局、僕はもうしばらく居心地の悪い思いをしたのだった。
§§§
さらに夜は更け――時刻は二十二時。
空いていれば風呂に入って、そろそろ寝る準備に入ろうかと、自室で飲んでいたコーヒーのマグカップを持って階下に降りてきたときだった。
「あのさ――、」
声が聞こえた。蓮見先輩のものだ。
でも、僕に投げかけられたものではなさそうだし、それどころか彼女の姿すらそこにはなかった。
おじさんと話をしているのだろうか? しかし、彼は少し前、「先に休ませてもらうよ」と律義に僕に声をかけて、寝室の中に消えていった。
では、誰だ?
僕は気になって蓮見先輩をさがした。広い邸と言っても所詮は一般家庭の域を出ない。彼女はすぐに見つかった。
和室。そこにある仏壇の前に、蓮見先輩はあぐらをかいて座っていた。
「お母さん、お父さんの浮気のこと、知ってた?」
声をかけようとして、僕は咄嗟に隠れる。
「案外知ってたのかもねー。お母さん、菩薩みたいに優しかったから」
彼女は亡くなった母親に向かって話しかけていたのだ。
以前僕たちの間で話題に上った、蓮見先輩のお母さんはおじさんの浮気のことを知っていたかという話。そのとき僕はおじさんに直接聞くしかないと答えたが、どうやら蓮見先輩は母親に聞くことにしたようだ。
当然答えてくれるはずがなく――これは彼女の独り言だ。ならば、これ以上聞くべきではない。そう思って音を立てずに引き返そうとしたときだった。
「でさ、あたしに弟ができたのよ」
僕の足がぴたりと止まる。
「小さいときは、弟がほしいとか妹がほしいとか言ってお母さんを困らせた気がするけど、まさかこんなかたちで叶うとは思わなかったわ」
蓮見先輩は呆れたように言う。
「これがまたかわいくないのって。黙ってりゃそこそこいい男なのに、なんかヘラヘラしちゃってさ」
ほっといてもらいたい。誰とでもうまくやれる自分を、僕はけっこう気に入っているのだ。
「でも――」
と、蓮見先輩。
「……本当にかわいくないのは、あたしのほう」
彼女はぽつりとこぼす。
「頭ではわかってるんだけどね。だけど、どうしても、さ」
「……」
この後どんな言葉が続くかなんて、火を見るよりも明らかだ。
幅広くフレンドリーに接することのできる彼女にとって、僕の登場は苦痛でしかないにちがいない。
何せ憎む以外に選択肢がないのだから。
学校ではいつも楽しそうに笑っている蓮見先輩の顔を曇らせていることに申し訳なく思う。蓮見氏の気がすむならと思ってここにきたけど、やはり長居するべきではないのだろう。
夏休みに入ったら出ていこう、と改めて僕は心を決め――そうして今度こそこの場を後にした。
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