第2話(1)

 その日の放課後、いつものように僕が図書室のカウンターに座っていると、図書室を利用しにきたにしては賑やかな一団が入ってきた。


 四人ほどのグループ。


 それを見て僕はぎょっとする。その中に蓮見先輩がいたのだ。本日二度目の邂逅。


「ちょっとぉ、何であたしまで――」

「いいじゃない、つき合い悪いなぁ。それにもうここまできたんだから、今さら駄々をこねない」


 蓮見先輩は図書室に入るのがいやらしく、文句たらたらの様子。その彼女の手を引っ張っているのは小柄な女の子だ。と言っても、三年の先輩なのだろうけど。そして、残りふたりはというと――ひとりは蓮見先輩の背を押し、もうひとりはいやがる彼女の姿が面白いらしく、にやにや笑っている。


「あの、先輩方? 図書室では静かにお願いできますか」


 利用者が少ないとは言え、それでも図書室なのだ。さすがにこんなふうに騒がれては注意せざるを得ない。


「あ、ごめんね」


 蓮見先輩の手を引っ張っていた人が、先頭に立っていたせいか、ばつが悪そうに苦笑いをした。


 一方、蓮見先輩はむっとする。もちろん注意されたからではなく、僕と会ってしまったからだろう。そもそもここに入りたくなかったのも、僕がいるとわかっていたからにちがいない。


「ほらぁ、怒られたじゃない。……もぅ、本一冊探すだけなんだから。手伝ってくれたらすぐに終わるって」

「あー、はいはい」


 蓮見先輩の一団はカウンターの前を通って、書架のほうへと消えていった。


「……」


 それを僕は黙って見送る。


 大丈夫だろうか。ちゃんとどこを探すかわかっているのだろうな。少し心配になったが、ひとまずはほうっておくことにした。


 そうしてしばらく後、


「ぜんぜん見つからないじゃないの」

「おっかしいなぁ。すぐに見つかると思ったんだけどな。……後でもう一回先生に聞いてみるかな」


 案の定だったようだ。配架場所も確認せずに書架へ行って、当然のように目当ての本は見つからなかったのだ。


 ここで黙っていては何のための図書委員か、である。


「本を探してるんでしたら、そこの検索機でわかりますよ」


 僕はカウンターの前を通り過ぎようとしている彼女たちに声をかけ、そばにある蔵書検索用のパソコンを指し示した。


「あ、そうなんだ」

「ええ、それでどこを探せばいいかわかります」


 と、ここまで利用案内ができれば、図書委員としてはひとまず合格点。そして、ここでもう一歩踏み込むのがいい司書、らしい。


「というか、万葉集ですよね?」

「ッ!?」


 僕の助言に従って検索機へ向かおうとしていた先輩たちが、続く僕の言葉にいっせいに振り返った。


「国語の田中先生の」

「そう! 田中だい!」


 ひとりが嬉しそうに笑いながら言う。


 我が校には国語教師の田中先生がふたりいるのだ。ひとりは、田中まさる先生。名は体を表すと言わんばかりに大柄で、生徒の間ではふたりの田中先生を区別するために田中だいと呼ばれている。


「え、何でわかったの!?」


 図書室に入ってきたとき蓮見先輩の手を引っ張っていた先輩が、目を輝かせながらカウンターに駆け寄ってきた。


「このところよく万葉集が借りられるので」


 それで生徒をひとり捕まえて聞いてみたら、どうやら件の田中大(まさる)先生が授業で元号の話をした上、今の元号と絡めて万葉集を薦めたらしい。それで興味を持った生徒が立て続けに借りにきていたというわけだ。


「僕はそういう普段とはちがう動きがあると、何があったか把握するようにしているんです」


 例の講演会の彼も言っていた。世の中の動きを見て、それに合わせて本や情報を提供できるようにしておくのも司書の務めだと。


「へぇ、すごいね」


 その先輩は感嘆の声を上げる。


「でも、万葉集と言ってもいろいろありますよ?」

「あ、そうなんだ。オススメはある?」

「あるにはありますが、今ちょうど借りられてますね」

「あらら、残念」


 彼女はコミカルな動きでがっくりと肩を落とした。


「確か返ってくるのはもう少し先だったと思います。予約をしておいてくれたら、返却されたときに取り置いておきますよ」

「うん、わかった。予約しとく」


 そして、今度はがばっと顔を上げる。


「じゃあ、この紙に――」


 と、僕がカウンターに置いてある予約票に手を伸ばしたときだった。




「ねぇ――」




 声が割って入ってきた。


 蓮見先輩だ。


「面倒だわ。いま誰が借りてるかおしえて」


 彼女は不機嫌そうに、そう要求する。


 たぶん僕の助言が自分の友人にすんなり聞き入れられているのが気に喰わないのだろう。それが悪いことではないとわかっていても、何かしら口をはさみたいのだ。


「茜だってちょっと見てから借りるって言ってたじゃない。いま借りてる子に少し見せてもらってからでも遅くないわ」

「言ったけど……」


 茜と呼ばれた先輩が困ったように答える。


「すみません、蓮見先輩。それはできないことになってるんです。いわゆる個人情報というやつになるので」


 図書の貸出履歴は趣味につながるので、十分に個人情報だ。


「融通が利かないわね。誰にも言いやしないわよ」

「そういう問題じゃありませんし、先輩たちにおしえる時点でダメなんです」


 蓮見先輩はむっとして言い返してきて、僕はその視線を真っ正面から受けつつも、でも、要求はきっぱりと突っ撥ねる。


 まるで睨み合い。


 ほかの生徒たちはこんな蓮見先輩を見たことがないらしく、おろおろしている。




「あら、みんな、何かあったの?」




 そこにまた別の人間の声。


 僕は声だけでそれが誰かわかってしまい、内心でため息を吐いた。……またややこしいタイミングで登場してくれたな、と。


 その場にいた僕以外の全員が振り返る。


「あ、瀧浪さん」


 そう。そこに立っていたのは、もちろん瀧浪泪華だ。妙な空気を感じ取ったのか、彼女は怪訝な表情で首を傾げている。


「別に、何でもないわ」


 蓮見先輩が不機嫌の余韻を残したまま答えた。


「そう? ならいいのだけど」


 皆の視線を集めたままカウンターまで歩いてくる瀧浪先輩。


 きっと彼女のことだ。この場の空気を読んだ上で、空気が読めていないような浮いた行動をしているのだろう。


「はい、期限はもう少し先だけど、読み終わったから返しにきたわ。真壁くんのお薦めだけあって、確かに読みやすかったわね」


 そうして図書を一冊カウンターに置いた。


 今度はその本に視線が集まる。


「あ、それ……」


 誰かが小さく声をもらした。


 瀧浪先輩が返却した本――それは万葉集だった。


「この本がどうかしたの?」

「今、僕がこちらの先輩たちにも薦めていたところなんです」


 問う瀧浪先輩に、僕が答える。


「そう。じゃあ、ちょうどよかったのね」


 万事解決とばかりに微笑む瀧浪先輩。


「いま誰が借りてるかおしえてって言ってるのに、その子、ぜんぜん取り合ってくれないの。融通が利かないったらないわ」


 これで一件落着するはずだったのに、そこに水を差すように再び蓮見先輩が悪態をつきはじめた。


 それを聞いた瀧浪先輩がしばし考える。


「確かに融通が利かないように見えるかもしれないけど、でも、それって図書員としては絶対にやっちゃいけないことらしいから」

「そういうものなの?」


 先ほど茜と呼ばれた先輩が聞き返す。


「古いドラマで司書のヒロインが、気になる男の人の貸出履歴を調べるシーンがあったんだけど、業界から抗議がきたらしいわ。図書館の司書はそんなことしない、誤解されるって」

「へぇ、そうなんだ。瀧浪さん、もの知り」

「真壁くんから聞いた話よ。……つまりそれくらいしっかり管理しないといけないってことだから、蓮見さんも真壁くんの立場をわかってあげて? 真面目なのよ」

「まぁ、瀧浪さんがそう言うなら……」


 瀧浪先輩が言い聞かせるように理解を求めると、蓮見先輩はばつが悪そうに首肯するのだった。


「ありがとう。……じゃあ、真壁くん、さっそく貸してあげて」

「わかりました」


 まずは瀧浪先輩から返ってきたその万葉集を返却処理する。


「先輩、ライブラリーカードは持ってますか?」

「えっと、確か一年のときに作ったはず」


 この学校では希望する生徒にのみ、図書の貸し出しに必要なライブラリーカードを作成している。図書館に縁のない生徒は卒業まで作らないまま、ということもさほど珍しくない。


 もしこの先輩がまだ作っていなかったら、そこからはじめなくてはいけなかったのだが、どうやらそうではなさそうだ。


「あ、あったあった」


 そう言って先の先輩は生徒手帳の間からライブラリーカードを引っ張り出してきた。受け取ると氏名欄には『椎葉茜』と記されていた。


 僕はカードのバーコードを読み込み、続けて図書のバーコードを読み取った。これで貸出完了だ。


「お待たせしました、先輩。返却期限は二週間後です」

「ありがと。……あたし、椎葉茜しいばあかね。またくるからよろしくね」


 彼女はカードの表面をこちらに見せながらお礼と自己紹介を述べると、蓮見先輩らとともに満足げに帰っていく。


「これでこの寂しい図書室にも、またひとり利用者が増えたかしら」

「どうでしょうね」


 だといいけど、いかんせん不意打ちで休室するのがネックだ。


「でも、真壁くん目当ての子が増えるかと思うと、少し複雑ね」

「安心してください。僕は図書委員として誰にでも平等に接しますよ。瀧浪先輩を含めてね」


 と、彼女の言葉を受け流しながら、ふと出入り口のほうに目をやると、蓮見先輩がこちらを見ていた。ちょうどドアを閉めるところだったのだろう。僕が自分に気づいたとわかると、すぐに扉を閉ざした。




「ねぇ、静流」


 閉室間際、例の如く奏多先輩以外の生徒が退室すると、瀧浪先輩がカウンターにきて、素の態度で僕の名前を呼んだ。


「さっきの蓮見さん、何か変じゃなかった? 彼女があんな刺々しい態度をとるなんて初めて見たわ」

「……」


 だろうな。蓮見紫苑はよほどの相手でもないかぎり、あんな態度はとらない。


「……きらわれてるんだよ」


 そのよほどの相手が僕である。


「何かやったの?」

「これと言って」


 そう。特に何かしたわけではない。


「うまく立ち回るのは得意でしょうに」


 何をやっているのよ、とでも言わんばかりに、瀧浪先輩は呆れたように聞えよがしのため息を吐く。


「まぁね」


 確かに僕は自分の立ち位置を客観視できて、どういう表情を作れば相手が不快にならないか、どういう発言をすれば会話がスムーズに進むか、その時どきの最適解がわかってしまう。


 だけど、彼女の場合はちがう。

 蓮見先輩は僕の存在自体が許せないのだ。何せ自分の父親が母親を裏切った証なのだから。


 要は、存在の否定。


 僕が何かしたどうこうではない以上、こればかりはうまく立ち回って解決できるものでもない。

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