第1話(2)

 ついに昼休みとなった。


「仕方ない。行くか」


 周りに聞こえないようにしつつも、あえて発音する。


 と、そのときだった。


「真壁、今日も学食だろ。一緒に行こう」


 直井恭兵だ。


 まさか向こうから声をかけてくるとは思わなくて、少々面喰らった。


「悪い。今日は約束があるんだ」

「そ、そうか」


 僕が答えると、彼はわずかに戸惑いの表情を見せた。


「なぁ、真壁――」

「なんだよー。真壁がいたらまた瀧浪さんたちと話ができると思ったのに」


 何か言いかけた直井を押しのけ、別のやつが言葉を割り込ませてくる。


「嘘をつくなよ。もう知らない仲じゃないんだから、僕がいなくても話しかけるだろ」

「まーな。これも真壁のおかげだぜ」


 そう言って、そいつは笑う。


 もっと言えば、先日の件がなくても、このグループなら小さなきっかけを見つけて声をかけたにちがいない。コミュニケーション能力の高いやつらなのだ。


「ほら、行こうよ。恭兵君」


 教室の入口から苛立ったように、また別のメンバーが急かす。先日、僕を睨みつけていたやつだ。その苛立ちの原因はなかなか学食へ行こうとしない直井ではなく、おそらく僕にもあるのだろう。


「あ、ああ、そうだな」


 直井は一度振り返り、仲間の姿を確認する。


「真壁、また今度な」


 そうして待っていたメンバーと合流。いつものグループを引き攣れて学食へと歩いていった。きっと目的地に着くころにはもう二、三人増えているにちがいない。




 僕も行き先は同じ学食。


 すぐ後を追うのも何となく恰好が悪いので、直井たちから距離をあけて歩く。やがて到着した学食の入口脇に立ち、まずは中を見回した。


 ぱっと見、瀧浪先輩はいない模様。


 まぁ、先にきて食べはじめていたら、それはそれで誘った側としてはおかしな行動になるのだが。


「ごめんなさい、真壁くん。待った?」


 そう思っていたら、声。


 振り返れば瀧浪泪華が立っていた。


「大丈夫ですよ。僕も今きましたから」


 そう答えつつ僕は、素早く彼女の周りに目を向ける。


 どうやらひとりのようだ。もしかしたらチャットの言葉に反して集団できたりするのかとも思ったが、それはなかったようだ。


 先日同様、瀧浪泪華の登場に学食の空気が変わる。


 瀧浪先輩はどうやら昼食は学食ですませているようだから、彼女がここに現れるのは毎日のことだろうに。それでも注目を集めるのは普段接点がなく、ここでしかお目にかかれない生徒もいるからにちがいない。


 そして、今日にかぎってはざわつきが交っていた。瀧浪先輩が学食に入ってくるなり真っ先に僕に話しかけたからだ。「誰だ、あいつ?」「なんであいつに?」といったところか。……こうなるのは、まぁ、当然のことだろう、


「ところで、さっきのチャット。あれ、本当に瀧浪先輩ですか?」


 外野の様子には気づかない振りをして僕がそう問うと、彼女は目を丸くした。


「あら、鋭い。ええ、わたしじゃないわ。よくわかったわね」

「ま、何となくですよ」


 送られてくるテキストがどことなく瀧浪先輩らしくないと思っただけだ。


「あれ、鷹匠さんがやったの」

「鷹匠? ああ、あの妙に色気のある先輩ですか」


 以前まさしくこの場所で会った、しっとりしな垂れかかってくるような声と雰囲気の女性のことを思い出す。


「真壁くん、ああいう感じが好みなの? ……たぶんわたしもできるわよ。今度やってあげましょうか?」

「けっこうですよ」


 後半部分は声を抑えつつそんなことを言う瀧浪先輩に、僕は慌ててご遠慮願う。


 さすが周囲の期待を体現してきた瀧浪泪華である。とは言え、彼女にあんな雰囲気を撒き散らされたらひとたまりもない。


「残念」


 僕の慌てぶりがおかしかったのか、彼女はくすりと笑う。


「行きましょ」


 瀧浪先輩に促され、僕たちは列に並ぶ。


「あれね、鷹匠さんが授業中にわたしのスマホを鞄から抜き取って、勝手に送ったの」

「……何をやってるんですか」


 呆れてものも言えない。


 思えば授業中というタイミングでメッセージが送られてきたことも、優等生である彼女らしくないと感じた理由のひとつだ。


「ロックはしてないんですか?」

「面倒だからしてないわ。どうせ見られて困るようなものはないもの。……そうね。真壁くんとデートに行ってツーショット写真でも撮ったら設定するわ」

「人が聞いたら誤解しますよ」


 実際、彼女の真後ろに並んでいて、それを聞いてしまった女子生徒がぎょっとしていた。そして、誤解も何も、そもそも瀧浪先輩は本気である。たぶん。


「勝手に送られたのなら訂正すればよかったのでは?」

「別にいいかと思ったの。真壁くんと一緒に食事をするきっかけができたのだから、不都合はないわ。……それにしても、あんな短い文章だけでわたしじゃないとわかったのね。嬉しい」


 瀧浪先輩は無邪気に笑う。


 やがて僕らはランチメニューをかき集め、トレイに載せると、それを持って空いていたテーブルについた。


 またも周囲がざわつく。僕と瀧浪先輩がそのまま同じテーブルについたからだろう。「何であいつと一緒に?」「どういう関係?」という声が聞こえてくるようで、僕は小さくため息を吐いた。


「もう少し我慢しなさい」

「はいはい」


 それを見咎めた瀧浪先輩が声のトーンを落として言い、僕は投げやりに返事をする。


 周りが何を言おうが、一度首を縦に振った以上責任をもって最後までつき合え、ということらしい。




「あら、瀧浪さん」




 不意に声が降ってきた。


 このしっとりした声音には聞き覚えがある。見上げればそこに立っていたのは、思った通り、鷹匠先輩だった。


「今日はそちらの方とお食事?」

「ええ。図書委員の真壁くんよ。いつもお世話になっているけど、たまには図書室の外で会ってみたいと思ってたの。日ごろのお礼も兼ねてね」

「つまり『お礼はわたしとのお食事』権?」


 からかうように言う鷹匠先輩。


「もぅ、ちがいます」


 瀧浪先輩も恥ずかしそうに笑いながら返す。


「じゃあ、ごゆっくり。……図書委員さん、わたし、鷹匠雅たかじょうみやびです。今度図書室に寄ってみますね」

「どうぞ。お待ちしてます」


 僕が愛想のいい返事をすると、鷹匠先輩は相変わらず変に色気のある笑みを浮かべ、その場を離れていく――と思いきや、テーブルに手をつき、ぐっとその顔をこちらに寄せてきた。


「真壁クン、またからかって遊んであげますね?」

「とか言って、どうせ僕を釣り針にするつもりでしょう?」


 さすがに二度も惑わされない。


「あ、バレました?」


 鷹匠先輩は舌を出した。

 要はまた瀧浪泪華という大物を釣り上げたいのだ。


「でも、真壁クンが望むなら瀧浪さんのいないところで、瀧浪さんに内緒で遊んであげてもいいですよ? それともSNSのアカウントのほうがいいですか? もちろん、私の趣味のアカウントです」

「鷹匠さん」


 すかさず窘めるような瀧浪先輩の声が飛んでくる。


「さっそく釣れてしまいました。……じゃあ、改めて――ごゆっくり」


 鷹匠先輩は今度こそテーブルを離れていった。


 僕は瀧浪先輩へと向き直る。


「何ですか、今の」


 そして、やや小声で問うた。


 いろいろとおかしなことがあった。鷹匠先輩は僕のことを知っているはずだから、わざわざ瀧浪先輩が他己紹介する必要がない。それにこの場がセッティングされたそもそもの原因は彼女にある。


「言ってみれば、アリバイ工作といったところね。わたしと真壁くんが一緒にいる理由を周りに知らせるための」

「ああ、なるほど」


 押さえるべきポイントは僕が図書委員で、瀧浪先輩が図書室の外でも話してみたかったという点で、それを伝えたかったのは鷹匠先輩ではなく周りの人間だったわけだ。実際、今の会話を聞いていた周りの生徒には「ああ、それでか」といった雰囲気が広がっている。


 遡ってみれば、どうやら先ほどの『もう少し我慢しろ』はこのことだったようだ。


「勝手なことをしたから、彼女に手伝ってもらったの」


 瀧浪先輩はいたずらっぽく笑う。


「それにしても、真壁くんとはいつもカウンター越しに話すか、たまに一緒に帰るくらいだから、こういうのも新鮮ね」


 気を取り直すように、瀧浪先輩がそう口にする。


 言われてみたら、確かにそうだ。しかも、彼女はたいてい閉室の少し前の利用者が少なくなったころにくるので、こんなふうにお互い外面のいい表の顔で長々と話したことがなかった。


「鷹匠さんに感謝しないと」

「その鷹匠先輩、向こうから手を振ってますよ」


 瀧浪先輩の背中の向こう、鷹匠先輩は僕と目が合うと、誰にもわからないように胸の前で小さく手を振ってきたのだった。ついでにピースサインも。


「もぅ。後でちゃんと言っておくわ」


 呆れたような、怒ったような調子の瀧浪先輩。


「鷹匠先輩と仲がいいんですか?」

「ええ。……気になる? 彼女、色気があるものね」


 彼女は意地の悪そうな笑みを浮かべて言う。


「そういうのじゃないですよ」

「よかったら紹介してあげましょうか? ……ただ、わたしも負けてられないと思って、そういう攻め方するかもしれないけど」

「……今でもとっくにやってますよね」


 誰だったか、先日貸出カウンターの上に腰かけたのは。


「そうだったかしら?」


 うふふ、と瀧浪先輩はとてもいい笑顔を見せる。ひどい話だ。でも、これも端から見たら楽しそうに笑っているように見えるにちがいない。


 とは言え、お互い素の顔を知っていながらする会話は、白々しくもそこそこ面白くあ

る。何度も言うようだが、僕は表裏のある瀧浪泪華がきらいではないのだ。


「ところで、その、この前も鷹匠先輩が言ってたけど、SNSのアカウントって……」

「あー……」


 僕が問うと、瀧浪先輩は途端にばつが悪そうな声を発した。


「頭の痛いことに、本当なのよ。わたしを含めて数人しか知らないけど」

「……」


 僕は言葉を失う。


 鷹匠先輩の趣味のアカウントとは、つまりはちょっとアレな自撮り写真を公開しているアカウントらしく――どうやら本当に存在しているらしい。


「身バレしたりしないんですか?」

「そこはちゃんと顔は隠しているから。制服もかわいいことで評判の、海外のを取り寄せていて、学校すら特定できないみたい」


 たぶん瀧浪先輩も知っているだけでなく見たこともあるのだろう。その声にはある種の感心の響きが含まれていた。


 お金がかかっていそうで、確かに感心する。おっとりした見た目とお嬢様っぽい和風の名前をして、いったい何をやっているのだろうな。いや、ある意味あの色気のある雰囲気にはぴったりなのか。逆に興味が出てきてしまう。


 そんな僕の心の動きを察したのか、瀧浪先輩がむっとした顔で言ってきた。


「変な気は起こさないようにね。それくらいわたしがやってあげるから」

「そっちこそ変な気を起こさないでくれ」


 間髪容れず、素で言い返す。何せ前述の通り前科があるので、本気になられたらシャレではすまない。


 それから微妙な空気をむりやりもとに戻して呑気に話をしていると、何人かの生徒が寄ってきた。それは瀧浪先輩の友達であったり、図書委員としての僕の知り合いだったり。そして、その都度、瀧浪先輩は先ほど周りに聞かせたような説明をするのだった。


 当然、中には僕よりもひと足早くここにきた直井たちもいて、その直井には「それならそうと言ってくれたらよかったのに」と、爽やかなイケメン笑顔を見せつけられ、ほかの連中から裏切りもの扱いされた。


 また、鷹匠先輩も帰り際に再びこちらに寄り、「ごゆっくり」と育ちのよさを窺わせる上品な笑み投げかけていった。


 そうして昼休みも終盤に差しかかったころ。


「あ……」


 僕はそれを見て思わず声を出した。


 蓮見先輩だった。彼女は友達数人と一緒に学食に入ってくると、入り口の脇にある自販機コーナーへと足を向けた。


 僕の不審な発音に、瀧浪先輩が首を傾げる。


「なに?」

「あ、いえ……」


 しかし、こうして返事を曖昧にしたのが悪かった。彼女は腰をひねり、僕が目を向けたほうへと自分も体を向ける。そして、見つけた。


「蓮見さん?」

「ええ、まぁ……」

「ふうん」


 と、何かに納得したように、瀧浪先輩はうなずく。


「彼女、鷹匠さんみたいな色っぽさはないけど、スタイルはいいものね。真壁くんが好きそう」

「勝手にそういう人間に仕立て上げないでくれますか」


 僕がむっとして言い返せば、彼女はくすくすと笑う。


「わかってるわ。真壁くんがそんな男の子なら、もっと話は早かったもの」

「……」


 つまり色仕掛けで篭絡できるくらいなら、もうとっくに墜とせている、ということだろうか。


 僕は何となく蓮見先輩を目で追う。


 彼女は自販機で飲みものを買うと、それを取り出し口から取り上げ――振り返ったところで僕に気がついた。


 一瞬驚いて、だが、すぐに何ごともなかったかのように無視を決め込んだ。


(相変わらずだな……)


 僕は心の中だけで苦笑する。


 と、そのとき、どこか近いところで電子音が鳴った。

 反応したのは瀧浪先輩。彼女は自分のスマートフォンを取り出すと、それを指先で操作した。


「もぅ……」


 やがて呆れたような声を発する。


「どうかしたんですか?」

「鷹匠さんからのチャットよ。『いつまでも楽しくおしゃべりしてないで、いいかげん帰ってきなさい』だって。お母さんじゃあるまいし」


 そう言って頬をふくらませながらも、瀧浪先輩は短いテキストを打つ。


「でも、早く帰らないといけないのは本当。次の授業、教室移動なの。気がついたらこんな時間だし、そろそろ戻りましょうか」

「そうですね」


 僕たちは同時にイスから立ち上がる。


 こうしていつもとちがう昼休みは幕を下ろしたのだった。

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