第4話(2)
時計の針は午後十時を指している。
僕はリビングのソファに腰を下ろしていた。
この蓮見邸にきてから、僕は時々こうしてリビングに出てくることにしている。蓮見先輩に気を遣い、顔を合わせないようにと部屋に閉じこもっていたら不気味だからだ。かと言って、邸の中心であるここにいつもいたら、それはそれでやはり鬱陶しいだろうから加減が必要だが。
「騒がしい一日だったな……」
僕はため息交じりにつぶやく。
では、ここで何をやっているかというと、本や教科書を読んでいることもあれば、スマートフォンをいじっていることもある。図々しくもテレビを観せてもらっていることもある。
そして、今は――今日という一日を振り返っていた。
そもそも一日がこの邸ではじまり、この邸で終わること自体からして大きな変化なのに、学校では直井恭兵のグループと昼食を食べるようにしたせいで、瀧浪泪華の取り巻きとも接する機会ができてしまった。
今までの僕の平均値を大きく外れる一日だ。もしかしてこれからはこれが普通になっていくのだろうか。
「ねぇ」
怖ろしい未来予想図を思い描いていると、そこに蓮見先輩の声が飛んできた。
ソファに座ったまま体をひねり、振り返る。
「っ!?」
その瞬間、思わず心臓が止まるかと思った。
そこにいた彼女は――風呂上りなのだろう。あろうことか裸身にバスタオル一枚巻いただけの姿だった。
体を隠すバスタオルはさほど大判ではないのか、すらりとした健康的な足がつけ根まで見えている。にも拘らず、上端も胸の半分近くがはみ出していて、タオルを強く巻いたせいか深い谷間ができていた。普段からスタイルがいいと思っていたが、それをまざまざと見せつけられたかたちだ。
「な、なんて恰好をしてるんですか!?」
「お父さんがいないからと思って油断してたわ。あんたがいたんだった」
僕が慌てて背を向けると、蓮見先輩はあっさりとそう言った。
油断したというのなら黙って僕の後ろを通り抜けて、とっとと自分の部屋に戻ればよさそうなものを。どうしてわざわざ声をかけるのか。しかし、実際、あられもない姿を見られても気にする様子は皆無。どうやら僕は、男どころか赤の他人とすら思われていないのかもしれない。
「あんたさ、」
僕があっちを向いている間に二階に上がってくれるかと思いきや、彼女は何か用でもあるのか、話しかけてきた。
「さっきにみたいに黙って考えごとでもしてりゃそこそこイイ男じゃない。前に廊下ですれちがったけど、あんなふうにヘラヘラしてるよりいいわ」
「そ、そうですか?」
奇しくも今日、放課後の図書室で似たようなことを瀧浪先輩に言われたばかりだ。尤も、彼女の場合は以前からだけど。これがその瀧浪先輩なら、少しばかり自信過剰なことを言ってみせるところだ。
「うん、そう。三割ましね」
「三割増し、ですか?」
「じゃなくて、三割マシ。ようやくそこそこ見れた顔になるってこと」
「何ですか、それ!? ひどくないですか」
心外とばかりに抗議をすれば、蓮見先輩はくつくつと笑う。風呂に入ったからか、いやに上機嫌だ。夕食のときがあれで、今はこれ。つくづく態度に波がある。僕は戸惑うばかりだ。
「ほら、いつまでもそんな恰好してないで、部屋に戻って服を着てください。風邪をひきますよ」
僕は彼女を追い立てる。
「元アスリート舐めんじゃないわよ。これくらいで風邪ひくほどヤワじゃないわ」
「こっちが目の毒なんですよ」
「男なんだからこれくらい雑誌やネットで見慣れてるでしょーが」
確かに漫画雑誌のグラビアページにはアイドルの水着写真が躍っているし、ネットを漁ればもっと過激なものがいくらでも掘り出せるだろう。
「ページやディスプレィの中と生身の人間じゃ、ぜんぜんちがいますよ」
「はいはい、わかったわよ、青少年」
蓮見先輩は肩でもすくめそうな言い方をすると、パタパタとスリッパの足音を鳴らして二階へと上がっていった。
やがて彼女の部屋のドアが開いて、再び閉まる音が聞こえると、僕は深々とため息を吐いた。力を抜いて、ソファに身を沈める。
「一日の終わりですらこれか……」
平均からかけ離れた生活を嘆くように、僕はソファの背もたれに頭を載せて、天を仰いだ。
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