第3話


夏にしてはちょっと冷えているけど、こんな日の楽しみだから、と焚き火をすることになった。

月が明るい夜だった。焚き火をしたら月の光が薄くなってしまうかなと残念に思っていたら、まるで天と地で呼応するようにそれぞれが光っていて幻想的だった。

「どうしてこんなところに。何にも無いところだろう?」

斜向かいに座るお爺さんが薪をくべながら尋ねてくる。

「そんな。星も綺麗だし、外灯も要らないくらい月が明るくて。すごく、良いところだと思います」

 私がそう言うと、

「そう言ってもらえると嬉しいなあ。うちらには当たり前の景色じゃき」

 おじいさんは本当に嬉しそうに笑った。

「旅の人にはいつも、うちらが気付かない良いところを教えてもらえる」

 その言葉には、この土地が様々な旅人を受け入れて来た歴史を感じさせるものがあった。

 私もつられて微笑む。何だか、お爺さんの素直な言葉を聞いている内に、私の曲がりくねっていた心も真っ直ぐに近付くようで心地良かった。

「お嬢さんはどうして、旅に出たと?」

「…私は、人を傷付けてしまうんです」

 焚き火の炎に、私の脳内でずっと流れてしまう映像が重なる。傷付いた人々の表情。

「私は、人の感情に、色がついて見える子供だったんです」

 怒っているから赤、という単純なものではなくて、ただ、感情の変化に合わせて色も変化するのだ。でも、正確な思いがわかるわけではないから、幼い私は理由を聞いたものだった。

「ねえ、今何を考えてたの?」

 人々がどこまで、意識的に感情を表出しているのかわからなかったから、応える案配を間違えて疎まれることが多かった。

 他人には隠しておきたい感情。恐れや尊厳から、隠していたいと思っていたのに。

 まるでガラス張りの部屋であるのを知らずに、入浴されているのを見られたような屈辱感なのだろう。

「わかるなら、どうして、」

 何もしてくれないの。

 そう言われたのは、高校生の時のような気がする。いや、中学生だったか。そのどちらもだったかもしれない。

 それくらい、わからないくらいの回数、私に向かって放たれた言葉。

 私はいつだって、わかるだけで、何も出来なかった。

 わからないよりも余計に酷かった。

 何かが出来る様になりたかった。

「それで私は、人の心を見える形にする仕事に就いたんです」

 言葉が止め処なく溢れてくるようだった。今までそんなこと、無かった気がするのに。

 お爺さんは静かに頷きながら、私の拙い話を聞いてくれている。

 私はその時初めて、他人の反応を気にせずに喋ることが出来ていることに気が付いた。

 怒らせるんじゃないか、悲しませるんじゃないか、どうやったら喜んでくれるか。

 そんなことばかりを考えていたなと思う。

 だけど今はただ、聞いて欲しかった。

「でも、」

 言葉はそこで止まってしまう。頭の中で繰り返し流れる映像を相手にわかる形で言葉にしようとするのは、どうしてこんなに難しいのだろう。お爺さんを見る。ただ静かに待ってくれているのが分かった。この人になら伝わる、と思った。私は息を吸って、伝える為に言葉を探した。

「その仕事で、私は失敗してしまったんです」


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