第8話 幻と嘘

しばらく、深幸さんからのおかしなチャットは続いた。


 そして、あるとき突然まともになった。


『早志深幸:ごめんなさい、キーボードの上で猫が暴れてたの』


 そういう狂い方だったか? あれ。


『川原ヒナ:いえ、大丈夫ならいいんです』


 釈然としないものはあったが、陽菜子は気を取り直し、深幸さんから自分がアップした小説の感想をチャットでもらった。


 ちなみに、第1話は同じ乙女ゲーで仲良くなった男子が実は女子、というかそういうことをさせる家のお嬢様だと判明するところで終わっている。

 だから主人公はあくまで男子を相手にしているつもりで話が進むのだ。よって、序盤は前に深幸さんに送った小説の内容と大差ない。


 ただ、ところどころに、例えばトイレなどで違和感を持たせ、読者に「まさか」と匂わせる演出を入れているのだ。


『早志深幸:まずタイトルでの惹き付けはネタバレにもなっちゃうけど、読者に読んでみようかなと思わせるにはばっちりね。私の小説も人のことは言えないわけだし』


 なるほど。

 深幸さんの小説も主人公が親に逆らうことはあらかじめ読者に提示されていて、その過程を楽しませる1話となっていた。


『川原ヒナ:実は半陰陽って設定にしてガチのTSものにしようかとも考えたんですけど、若干いやらしい方向に行きそうだったのと、私自身があまり詳しくないからやめました』


 こんなことも、相手が松代だと思うとキーボードを机に叩きつけてもいえない。あくまで深幸さんだと思うから話せるのだ。


 そう考えると、松代に深幸さんを演じてもらってこれからも関係を続けていく、っていうのは何とかなりそうだ。

 思ったより抵抗感も少なくて済んでいる。


『早志深幸:そうね、デリケートな部分はぼかすか書かないのも小説の手法の一つよ』


『早志深幸:私も、自分が詳しくないことに関してはなるべく小説に出さないようにしてるの』


 深幸さんが詳しくないことか……。

 って、正体は高校1年生の男子なんだからあんまり小難しい理屈とか物理法則とかについて書いても冗長になるだけよね。

 

 そのためのファンタジーなんだもの。


『川原ヒナ:あはは……、実は私、恋とかも前に言われた通り、自分ではほとんどしたことないっていうか、詳しくないんですけどね』


 一瞬、相手を松代だと思い出しかけたけど、すぐに「深幸さん」とのチャットに戻る陽菜子。


『早志深幸:それはいいのよ、私もあの後、自分のアドバイスが的確だったか、よく考えてみたの。たとえば殺人ミステリー小説の作家が毎回実体験に基づいて書いてるわけがないってね』


 なるほど、さすが深幸さん。

 言う通り、殺人犯の気持ちが分からないとミステリーが書けないとか、男には女の気持ちを書けないとか言い出したら小説界そのものがめちゃくちゃになる。

 想像力だけで文章を紡ぎ出すのは何も悪いことじゃないんだ。


 そう考えると、松代も想像力だけで幼い子供がいる主婦を演じてるわけよね。

 おまけに、実際に父親と戦ってるわけでもないわけでもないだろうに、幼馴染を殺せと命じる父親及び、その部下をなぎ倒していく主人公を描いているんだ。

 なかなか大した奴だ。


 いやいや、それは松代が凄いんじゃなくて、深幸さんが凄いんだ。そう考えようと誓った後、それでも陽菜子は少し気になって訊いてみた。


『川原ヒナ:そういえば、いくら想像力で補うと言っても、深幸さんの小説の主人公の父親への反発心はやっぱり実生活の元ネタがあるんですか?』


 すると、優しい返事が返ってきた。


『早志深幸:今はヒナさんの小説の感想チャットなんだから、私のはそのときに、ね。そういえば、前に読ませてもらった小説が元になっているということは、今回の男装物も同じくらいの長さになるのかしら?』


『川原ヒナ:はい、なるべく深幸さんにも驚いてもらうつもりですので、性別変更の部分はともかく、大筋は変えないです。だから、同じくらいの長さになる予定ですね』


『早志深幸:あらもったいない。せっかく話を膨らませるネタを新規導入したんだから、もっと長く続けてみたら? 私、もっと長くヒナさんの作品読んでいたいわ。例えば、男装がバレて、もう一人近づいてくるキャラを増やしてみるとか』


 なるほど。

 主人公に惚れさせる男子じゃなく、男装をバラシて、それでお嬢様に近づいてくる男を作るわけか。

 あるいはお嬢様設定を活かして、親が勝手な許嫁を見つけてくるとか。


 うん。

 悪くない気がしてきた。


『川原ヒナ:ありがとうございます。なんだか想像の翼が広がってきました。もっと話を広げられる気がします』


『早志深幸:それはよかったわ。どんなアイデアを思い付いたかは、ここではきかないでおくわね。私も、ヒナさんの作品楽しみだもの』


『川原ヒナ:ありがとうございます!』


 男子って百合ものがやっぱり好きなんだろうか?

 松代ってその辺の性癖はどうなんだろ?

 陽菜子は「今話している相手は深幸さん!」と強く思いながらも、自分の作品が大衆受けするように、百合ものというジャンルそのものの受けが気になった。


 そのあたりを聞いてみると、深幸さんは教えてくれた。


『早志深幸:ひとはね、「ないもの」を見たくなるものなの。事実は小説よりも奇なり、なんていうから、事実より奇な小説を書きたがるのよ。ヒナさんも男装するお嬢様なんて設定を書いていて楽しかったでしょ?』


『川原ヒナ:はい。こんなことあるはずがないっていう話を書くのって、なんだか快感です』


 さすが深幸さん、深いところを突いてくる。

 突飛なジャンルが受けるのは、現実では決してそんなことは起こりえないからだ。


 つい最近、現実ではほぼ起こりえないようなとんでもない体験をした陽菜子だったが、なるほどうんうんと頷いてしまった。


 それで、つい気になって訊いてしまった。陽菜子は決して松代に興味が湧いたわけではない。好奇心に負けたのだ。


『川原ヒナ:そういえば、私が今日した経験も、なかなかできる体験じゃないと思いますけど。

深幸さんがどうして、性別も年齢も立場も偽って小説サイトに投稿してチャットしているかは教えてもらえないんですか?』


それから、チャットに少し間があった。

自分からした約束を破ってしまった、けど、陽菜子はやっぱり知りたかった。


 ややあって、深幸さんから返信があった。


『早志深幸:知りたい?』


 ほんの短い一文。

 だけど、それが逆に事の深刻さをかきたてているようで、陽菜子の好奇心は否が応でも膨らんでいった。


『川原ヒナ:知りたいです! 私、深幸さんが居なかったら、きっとここまで小説を書けなかったと思うんです。その人に、隠し事されているのは嫌なんです』


 また、返信まで間が空いた。

 松代は、深幸さんは悩んでいるんだろう。


 性質の悪い、女ネットストーカーに狙われたとか?

 しつこく付きまとわれて、女の振りをする方が安心だと思ったとか。


 それにしては、書く作風が随分男っぽい気がする。


『早志深幸:教えれば、ヒナさんは私を、きっと軽蔑するわ。私はそれが怖いの』


『川原ヒナ:しません! 深幸さんのことはずっと尊敬して、感謝しています』


『早志深幸:周りに、特にネット上で吹聴したりしないって約束してくれる?』


 なんだろう、知られてしまうと読者が離れてしまうような案件なのだろうか?


『川原ヒナ:しません! 深幸さんには迷惑はかけません』


『早志深幸:じゃあ、信用します。あなたを、本物の早志深幸に会わせてあげます』


 え?

 陽菜子は自分の目を疑った。


 ネット作家、早志深幸の正体は、うちのクラスの松代で、女性の、子持ち主婦の振りをしているけど、実は男子高校生で……。


 それ以上に何があるというの?


 混乱の中、一通のメールが陽菜子のパソコンに届いた。

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