第7話 魔法が解ける瞬間

 陽菜子は暗鬱な気分で、昼休みに屋上への階段を上っていた。


(もう、深幸さんはいないんだ……)


 昨日投稿した小説も、もうどうでもよくなってきた。


(全部、偽物だった。憧れた人も、もらったアドバイスも、褒めてくれた言葉も)


 やけに重々しく見える屋上への鉄扉。

 この学校って屋上への階段、施錠されてないのかな。


「あ」


 鍵が、かかっている。

 さっきの「あ」は陽菜子が発したものではない。


 後ろから来た、松代が発した声だ。


「そういえば、屋上に入れるかどうかも知らなかったね。ごめん」


 普段の屈託の無い感じはなりを潜めている。申し訳なさそうに、している。

 それはそうだろう。


 早い話が「ネカマやってあなたのこと騙してました」って言いに来たのだから。

 場所が場所だけに、周りに誰もいないので陽菜子は相手がまず何を言うかを待った。


「まず『早志深幸』として河原さんと話してたのは僕だ。女の振りして話したりして、悪かったと思ってる」

「聞きたくない」


「昨日アップされた河原さんの小説、あれからちゃんと読ませてもらったよ。すごく大胆に変えたんだね」

「聞きたくない!」


「そういえばいつも小説、読んでくれてありがとう。とても励みになるよ」

「聞きたくないってばっ!」


 そこで、陽菜子は激昂する。


「河原さん?」


「……してよ」

「え?」

「深幸さんを返してよ! 私、深幸さんとチャットしてるときが楽しかった! 小説の話してるときが嬉しかった!」

「そ、そんなに……」

「騙すなら、騙し続けてほしかった。嘘でもいいから、ネット上だけでもいいから、私深幸さんと話してたかった!」

「そっか、そんなに想ってくれてたのか」


「だから、これからも騙し続けて! これがギリギリの妥協点。これからもずっと、ネットの上でだけは深幸さんでいて! クラスでは他人でいて! 馴れ馴れしくしないで!」

「か、かわは……」

「そうでないと、私、もう小説書けなくなっちゃう。ずっと夢だった、小説家にだって、なりたくなくなっちゃうよ。嫌な思い出だけになっちゃうよ」

「僕個人は、そんなに嫌われてたのか……」

「そうよ! 私は小説を書いてる深幸さんなら好き! あの魔王の息子が主人公の小説の続きも、楽しく読めなくなる。そんなの、そんなの……やだ」


「あ、あれは……あの小説は、実は……」

「だからお願い! 深幸さんを演じ続けて! 松代くん、私を騙し続けて!」

「そうか」


 感情に任せてまくし立てた陽菜子だったが、ふっと、松代は表情をなくした。

 全てを諦めたような、そんな顔だった。


 その顔を見て、一瞬だけ陽菜子の胸に罪悪感が灯る。


「わかった」

 

 松代はそういい、スマホを操作した。


 ぴこん。

 

 陽菜子のスマホが通知音を鳴らす。


『早志深幸:分かったわ。これからもよろしくね。ヒナさん』


 きゅうん。

 陽菜子は目頭が熱くなった。例え画面の中だけであっても、深幸さんはここにいる。


『川原ヒナ:はい。いつもありがとうございます』


『早志深幸:そういえば、昨日投稿したヒナさんの小説の感想、もう少し詳しく話したいわ。

今夜、またチャットしてくれる?』


『川原ヒナ:はい! ぜひ! あ、でも、深幸さんの最新話、自分の小説にかまけてまだ読めてないんです、ごめんなさい』


『早志深幸:いいのよ、時間があるときにでもまとめて読んでくれたら』


 ああ、やっぱり深幸さんは優しいな。目の前でスマホを操作されて、チャットしてる人間がすぐ近くにいても、やっぱり深幸さんとチャットできるのは嬉しいや。

 陽菜子はそんな風に想ってしまい、いっそ死のうかとさえ思っていた気持ちがやっとほぐれるのを感じた。


「これで、いい?」


 松代が訊いてくる。


「うん」


 笑顔は向けられなかったけど、それでも、陽菜子は彼を許した。そして、話しかける。


「そういえば、ひとつだけ、訊いてみてもいい?」

「なに?」

「どうして、女の人の振りをして小説を書いてるの? 作家でもみゆきってペンネームで活動してる男の人がいるわけだし、名前にこだわりがあっても、別に男だって言っちゃえばよかったのに」


「うーん、僕と河原さんはここでは他人だから、まだ答えられないかな」

「そう。じゃあ『深幸さん』の方に聞いたら答えてくれるわけ?」

「いや、それも嫌かな」


 どうやら、よっぽど言いたくない事情があるらしい。


「じゃあ、別々に教室に戻りましょうか。ただのクラスメイトの松代くん」

「分かったよ。スマホゲーでもして時間つぶしてる」


 精一杯の皮肉を言ってくる松代。

 これは、あれだろうか。

「川原ヒナ」の小説にあやかって、同じスマホゲーをプレイして仲良くなりたいというアピールだろうか?

 ラノベ読むのが趣味って言ってたし、女同士なら、いい友達になれたかもしれないね。


 教室に戻ると、クラスの友達、牧村由衣――通称ユイが心配して声をかけてくれた。


「ヒナ、どうしたの? 今日朝から死にそうな顔してたから。お昼も学食行かないでどっか行っちゃうし」

「ああ、ユイ。大丈夫よ。ちょっと体調が悪かっただけ」

「そういえば、ヒナが出てったのを見計らったように松代くんが後を着けたのよね。なんか関係ある?」


 あーのーおーとーこーはー。

 アホかあいつは。

 

 そんなに分かり易く傍目に分かるくらい堂々と後ろについてくる馬鹿がどこにいる。


「な、なんで、松代……くんなんかが出てくるのよ。関係ナッシングよ」

「そっかぁ、なんか、とか言っちゃうかぁ。私、結構いいと思うんだけどな」


 は?

 ユイってば、男の趣味悪ーい。


「あんな地味で目立たないひょろひょろした男のどこがいいのよ」

「話してみたら、結構明るくていい感じだったわよ? 1回しか話したことないけど」

「あ、そ」


 そんなことを話していたら昼休み終了の予鈴がなった。

 やばい、腹に何も入れてないや。


 まあいいか。

 陽菜子は元々少食なのである。



 深幸さんの正体が松代だったのは残念だけど。もうどうあっても、憧れのお姉さん深幸さんと直接会ったりすることはできないわけだけれども。

 それでも、それでも、チャットを通じてなら深幸さんと話せる。向こうに松代がいると思わなければ、これまで通り。

「ヒナは最近時々トリップしてて危ない」といって帰り道についてきたユイとも別れ、家路についた陽菜子はまずパソコンの前に座った。

 そういえば色々ありすぎて投稿した小説のPV数のチェックなどを忘れていたのだ。

 いきなり感想をもらえたりブックマークしてもらえたりはしないだろうが、やっぱり気になる。

 確認してみたら、思ったよりも反応が着ていた。

 百合というジャンル選定がよかったのだろうか。

 そういえば、このサイトはスマホでもこういった読者からの反応が確認できる。しようと思えば学校でもできたはずなのに、本当に今日はそれどころではなかった。

 

「そうだ、毎日更新にするために今日は2話を投稿しようっと」


 そう思い立ち、少しは慣れた投稿を予約で行った。

 あと、深幸さんの小説の更新確認を見てみたら、珍しく昨日は投稿されていなかった。


「うーん、確かにお互い色々あったしなあ」


 と、思っていたら、更新の通知が来た。


 やった。早速読もう。


 と、思った瞬間、深幸さんからチャットが来た。いつもは深幸さんの小説への感想欄にチャットが伸びていく形式なのだが、今度のは自分の小説第1話に対する感想チャットだった。


『早志深幸:hなさnへしょーせつよませてもらいま』


 ん、なんか深幸さんの様子がおかしい。


『川原ヒナ:ありがとうございます。早速感想いただけて嬉しいです』


『早志深幸:とても面白勝ったです。由里喪のに鳴るなんてびくりでs』


『早志深幸:』


 あれ、ひょっとして松代の奴、正体がばれたからって、おちょくりにかかってる?

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