手紙
ひみ
手紙
日々激しい戦地に赴く私の唯一の宝物は、娘のテーゼだ。
テーゼは毎日、私に手紙を送ってくれる。配達屋が頻繁に来られるような場所ではないので軍人への手紙は一週間程度の分がまとめて送られてくる。だから私にとって手紙を読む日は一週間に一度の幸せな時なのだ。
今日も前線基地から作戦本部に戻るとすぐに、届いている大量の手紙の中から自分宛のものを探しだした。大きな字で「パパへ」と書かれた手紙は、その一つ一つがテーゼの絵で飾られている。
自然と口角が持ち上がる。はやる気持ちを押さえつけて自室へ戻ると、しっかりと鍵をかけた。
テーゼの手紙を読む時間は誰にも邪魔されたくないのだ。軍の者たちもそれはわきまえていて、よっぽどのことがない限りこの時間に私を訪ねてはこない。
一息ついてから、手紙の一通目を手に取った。封筒に散りばめられた緑のハートたちはクローバーだろうか。中央で一つだけ桃の色に塗りつぶされたクローバーは四つ葉で、それを見るだけで胸の奥が温かくなる。
便箋を開くと、相変わらず元気でコロコロとした文字が一面に並んでいた。
少し読みにくいその文章は、私の脳内で勝手にテーゼのあどけない声で再生される。
『パパ、げんきですか』
ああ、テーゼのお陰で元気もりもりだぞ。
『きょう、りりあちゃんが、くっきいをくれたんだけどね』
おお、よかったじゃないか。おいしかったかい。
『おいしかったけど、ママとつくったっていってたの』
.........。
『わたしもママとくっきいづくりしたいな』
こんどおうちに帰ったら、パパが一緒に作ってあげるから。
『またあしたもおてがみかくね』
手紙の最後には、クリーム色の丸がたくさん描いてある。きっとクッキーのつもりなのだろう。
料理なんてからっきしだが、後に練習しようと思いながら二通目、三通目と読み進めていく。
『ママはなにがすきなのかな』『わたしのママってやさしい?』『ママのごはんたべてみたいな』『ねえ、ママってどこにいるの?』『ママにあいたい』
私の胸は、締め付けられたように痛かった。この無垢で愛らしい少女は母と一生会えないのだ。
私の妻は体が弱く、テーゼを産むとすぐに死んでしまった。テーゼの中に母との思い出はひとつも残されていない。
妻は、東部戦線のすぐ近くで眠っている。戦前はアイリスが一面に咲き誇る美しい地だった。花が透きな妻のために私が選んだのだ。
東部戦線は落ち着いているとはいえ、最近は墓参りには行けていない。今度、戦争が終わったらテーゼを連れて顔を見せに行こうか。テーゼはまだ幼いけれど、妻が死んでしまったことも説明しよう。嘘をつくよりはいいはずだ。
そう考えながら、七通目、最後の手紙に手を伸ばしたとき、コンコン、と扉をノックする音が響いた。
至福の時間を邪魔されたことに少し苛立ちながら返事をすると、息を切らした兵士の声が告げた。
「准将殿、大変です。東部戦線が突破されました」
「東部戦線が......?」
一瞬、身体中に電流が流れた気がした。その痺れはだんだんと予感に形を変えていく。
東部戦線が突破されたと聞いただけなのに、関係ない筈なのに、テーゼの姿が目蓋の裏から離れない。つむじから爪先まで全身が「大変なことがおきた」と叫んでいる。
手紙を読むのが怖くなった。何か決定的なことが書いてある気がした。脳が必死で「読むな」と命令して、しかし私の手はのろのろと手紙を開き、目は文字を追い。
テーゼの言葉を、捉えた。
『おとなりにすんでるおばさんがおうちにかえるんだって』
『おうち、どこにあるのってきいたらね、テーゼちゃんのおかあさんがいるところのちかくだよっておしえてくれたの』
『だからね、わたしたのんだんだよ』
『いっしょにつれていってって』
『おばさんはあぶないっていったけど、わたしはへいきだよ』
『せんそうなんてこわくないもん。パパもそこにいるんだから』
『それでね、ママにあいにいくから、しばらくてがみかけないよ』
『ママにあったら、すぐもどってくるからね』
テーゼから、二度と手紙は来なかった。
手紙 ひみ @harapekoshirayuki
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