第20話 家族

 夏休みを満喫できる学生は幸せだ。

 長い休みの間に目標に向かって邁進する人、ただただ時間を浪費する人、娯楽に時間を割いて人生を謳歌する人。

 いろんな人がいる。

 地域医療に貢献するクリニックを経営する娘である栗江くりえあんは友達と遊ぶことに夏休みの時間を割く。

 親友の飯野いいの真惚まほ、親友の兄の真守まさもり、実の兄の草太そうた。計4人で夏休み前半を楽しんだ。

 後半はなにをして遊ぶのか楽しみにしている。

 夏祭りに行ってもいい、花火大会を行ってもいい、線香花火をしてもいい、どこか旅行に行ってもいい。

 なにをするのも自由。もちろん、勉学に勤しんでもいい。

 自身で選択できることはすばらしい。

「次はどこに行くつもりなのかな?」

「さぁ~、気になるなら聞いてみれば?」

 リビングで杏と草太が勉強している。リビングは夏の暑さを阻害した空間を生成する現代兵器であるところの冷房で冷やされている。

 それぞれの部屋で勉強してもよいがずっとだと飽きてしまう。そのため、ふたりとも場所を変えて集中力を持続させようとしている。

「兄さんはどこか行きたいところないの? なんなら、まーちゃんに提案してもいいよ」

「特にないな。どこであっても楽しめればいいや」

 杏は次はどこへ遊びに行くのかと楽しみにしている。真惚から連絡が来るのを待っていられないといった感じだ。

「まーちゃんに電話するけど本当にない?」

「ない」

 スマホを操作しながら杏は草太に再度確認する。草太の答えは変わらなかった。

 時刻はすでに昼を過ぎている。朝に弱い真惚でも流石に起きてる時間のはずだ。そのはずなのに電話は繋がらなかった。

『お掛けになった電話番号は電波の届かないところにあるか。電源が入っていないため掛かりません。どうしても御用の方はこのスマホの持ち主の兄である真守にお掛けください。』

「……?」

「なんだ? その独特な音声メッセージは」

「……さぁ? とりあえず、メッセージに従って真守さんに電話するね」

「従うのか」

『もしもし?』

「スピーカーか?」

「遊びに行くってなったら兄さんも行くでしょ?」

「まぁな」

「なら会話が聞こえてた方がいいでしょ?」

 真守に電話を掛けるとすぐにでた。まるで電話が来ることを待っていたかのようだ。

『もしもし?』

「もしもし、真守さん。杏です」

『杏ちゃん? 珍しいね。電話なんて』

「まーちゃんに電話を掛けたら真守さんに電話するようにというメッセージが流れたので電話してみました」

『なんだそれ?』

「それでまーちゃんはいますか?」

『いるのにはいるんだが……この前、水族館に行ったときから元気がなくてな……部屋にこもってる』

「え⁉ どうして?」

『さぁな。帰りは元気だったんだが、翌日から元気をなくしててな。どうしたものか。なにか知らないか?』

「そういえば、その日の夜に浦吉中央公園にいるのを見たぞ」

「そうなの⁉」

「ああ、昼間に勉強できなかった分を夜中にしててな。気分転換に飲み物を買うついでに散歩をしてたら公園で神迫と話してるのを見かけた。真面目な話をしてるようだったから声はかけられなかったが」

「ということは奈々先輩ならなにか知ってるかもしれないわね」

『神迫は学校で野球部の練習に出てるはずだ。俺も行くぞ』

「俺は行かないぞ。外は暑いからな」

「そう。なら鍵は開けとくから留守番してて。真守さん、現地で会いましょう」

『おう』

 杏の声は力強かった。それはまるでまーちゃんのこと心配じゃないの⁉ とでも言いたげだ。

 それをわかってか草太は釣られて力強くうなずいて返事をした。


 浦吉東高校へと向かう途中で真守と杏が合流する。

 知り合いが突然の意識障害でもあったかのような神妙な面持ちでふたりは目的地へと向かう。

 杏の「まーちゃんは大丈夫ですよね?」という問いに真守が無言で返すことで事態を重く感じさせられた。

 浦吉東高校野球部は夏休みに練習に励む。高校三年生の真守や草太が抜けてもそれは変わらない。

 校内を案内するかのように真守が杏を先導する。

 校門を通り昇降口前を抜けると芝生が敷かれた下り坂がある。その坂は校舎とグラウンドの境目となっている。それはまるで勉学という現実とスポーツという理想をはっきりと分けたがっているようだ。

 境目を通って奥へ進むと野球部が練習するグラウンドがある。

 ちょうど練習を終えて片づけを始めるところだった。

「奈々先輩!」

 練習記録を活動日誌につけている奈々に杏が声をかけた。奈々がいる方へ近づいていく。

「杏ちゃん⁉ どうしたの? こんなところに来て」

「聞きたいことがあるんです」

「聞きたいこと? あら? 飯野先輩までどうしたんですか? 受験勉強しなくて大丈夫なんですか?」

「そんなことはどうでもいいんです」

「そんなことって……」

 真守は自身の将来の一大事をそんなこと呼ばわりされたことにショックを受けつつも真惚の現在の状態を思えばそうなるかと妙に納得する。そんなことで結構。

「まーちゃんの元気がないんです」

「まーちゃんって。飯野先輩の妹さんで、杏ちゃんの友達の」

 真惚と今目の前にいるふたりがどういった関係なのかを確認するかのようだ。

 言語と視線を用いて間違いないこと確認する。奈々は視線を真守に向けて、次に杏に向けた。

「そうです! そのまーちゃんです! なにか知ってることはないですか?」

 真惚が元気を失くす前に奈々と会っていたことを杏は知っている。兄の草太に聞いていたからだ。

 奈々がなにかしたんだと決めつけている杏は「なにかしたんですよね!」といわんばかりに口調が強くなる。

 ところが、奈々の答えは思いがけないものだった。

「ごめんなさい。わからないわ」

「神迫! お願いだ! 教えてくれ!」

 嘘をついてると感じた杏が続く言葉を吐こうとしたところを遮るように真守が奈々に懇願した。

 奈々は学園のアイドルでふんわりと柔らかい雰囲気を持つ。空気中に漂うふんわりオーラで戦意消失させられそうなものだが、そんなものに気圧される真守ではない。

 大切な者を守る戦士のごとく立ち向かう。

「お願いされてもわからないものはわからないわ。そもそもなんで私が知っていると思ったのかしら?」

「見たんです! 私の兄が! 夜中の公園で奈々先輩がまーちゃんと話をしているのを!」

「そう。見られていたのね。ただ、その時は他愛ない話しかしてないわ」

「その他愛のない話の内容を知りたいんです」

「他愛のない話よ。もう憶えてないわ」

「なんで憶えてないんですか! 知っているんでしょ!」

「……杏ちゃん」

 殴りかからんとばかりに熱くなっている杏を真守が止める。

 それは火事でもっとも重要な初期消火を行なうがごとく冷静かつ俊敏で的確だった。

 野球部員はおろか、隣のグラウンドで練習するサッカー部員、たまたま通りかかった生徒、神迫奈々を見に来たファン、部活動の監督で出勤している教師など多くの人の注目の的となっていた。

「……いいんだ。もう……」

「だけど……!」

 真守の言葉で冷静になった杏は注目されていることに気づきなにも言えなかった。

「悪いな。神迫。邪魔した」

「いえ」

「杏ちゃん。行こう」

 情報を得られないことを知ったふたりは法を犯して刑務所に収容されたばかりの囚人のようにとぼとぼとグラウンドを去り校内から出て行った。


 まっすぐ家に帰る気になれない真守と杏は帰り際に通りかかった浦吉中央公園で一休みする。

 その公園は真惚が初めて魔物と戦った場所だ。

 夜中には暗闇に包まれて静寂が漂う空間だが、今は午後の夕方ともつかない時間であるため、夏休みを満喫する小学生がはち切れんばかりの笑顔を撒き散らしている。

 機嫌が悪い時に近くで騒がれると笑顔ではないモノが切れてしまいそうだが、高校生ともなると騒いでるのは気にしない。

「なんなの! あいつ! なんで話してくれないの!」

 公園のなにもない広いスペースにあるベンチ前でハルマゲドンを起こしかねない怒号を撒き散らす。その声は元気あふれる小学生に負けてない。虫一匹たりとも近づかせない。

 罪のない地面を蹴り、口を割らない奈々の代わりに、地面を割れないか試しているようだ。そんなことをしたって地面は割れないし、奈々の口も割れない。

 そんな怒り狂っている妹の親友が隣にいるため、真守は冷静でいられている。

「まあまあ、杏ちゃん。とにかく座ってさっき買ったフルーツジュースでも飲んで」

 年上として感情的にならないよう努める真守は公園に着く前に買っておいた飲み物を杏に渡す。真守自身はブドウ味の炭酸飲料を手に持っている。

 ステイオンタブで缶ジュースの蓋を開ける音は休息の時を知らせる音色のように感じられる。

 一口、また一口と口をつけるにつれて内で燃える炎を消化して杏は落ち着いた。

「……おいしい。いつの間にこんなの買ってたんですか?」

「ここに着く前に自販機が目に付いてな。おいしそうだから買ってみた」

「ふ~ん。それで? どうするんですか? 奈々先輩が知らないとなると……他に手掛かりはあるんですか?」

「ない。まぁ、いいじゃないか」

「いいってこのままでいいって言うんですか⁉」

「時間が解決してくれることだってあるだろ?」

「……!」

 なにかないか。なにかないかと考えてた杏がそもそもこんな回りくどいことしなくてもいいのではないかと思い立った。

「まーちゃんに直接きくことはできないんですか?」

「聞いても答えは返って来なかった。ご飯は食べてるし、風呂にも入ってる。歯も磨いてトイレも使ってる。元気がなく外出しないこと以外は問題ない。急がなくてもいいんじゃないか?」

「そうですね。子育ては待つことも大切だというようにまーちゃん自身で立ち直るのを待ってもいいかもしれませんね」

「子育てって……」

 真守が飲み物を口に含む。息を整えて神妙な面持ちで語りだす。

「真惚は本当の妹じゃないんだ」

「……? なんの話ですか?」

 杏の疑問には答えずに真守は話を続ける。

「真惚は俺の父の弟の娘で。つまりは従妹いとこなんだ。直接的な血縁はないがまったく繋がりがないわけではない」

「だから、なんの話を……」

「父とおじさんは仲が良かった。結婚して子供ができたあともよく一緒に旅行に行ってた」

 止めても聞かないことを悟った杏が今の真惚になにか関係があるのかと耳を傾ける。

「そんなある日、おじさんは交通事故で亡くなったんだ。おばさんと一緒に。たまたま真惚はおじさんたちと一緒にはいなくて、俺や父と母と一緒にいた」

 なんとなく話の方向性が見えてきた杏はもう真守を止めようとしない。

「おじさんたちは共働きで真惚の面倒が見れないときには俺の家に預けることがあった。その時もそうだ。旅行先で合流する予定だったが、それはもう叶わない。おじさんは看護師の仕事をしてて夜勤明けで激務で疲れてたんだと思う。ガードレールに突っ込んでそのまま……。父は悔しかっただろうな。その日じゃないと予定が合わないからっておじさんに無理言ってたらしいから。真惚はまだ小さかったから憶えてないかもしれないが……といっても俺も小学校に上がる前だったからはっきりと覚えてないんだけどな。父がひどく落ち込んで哀しんでたことは憶えてる。おじさんが亡くなったことも理解できた」

「まーちゃんはそのことを知っているんですか?」

 真守はベンチから立ち上がってこの話はもうお終いだと示すようだ。

「さぁな! ただ可能性としてはあるってだけだ。今までは知らなかったけど真実を知って落ち込むようになった」

 固い決意だが、守り切れていない脆い決意を再度構築しようと試みるように話す。

「実の両親を亡くした真惚に寂しい思いをさせないよう将来はプロ野球選手になって夢を見させてやろうとしてたけど不思議とプロになろうという気持ちが薄れていったんだ。俺にはそれぐらいしかしてやれることがないんだけどな。なんとか気持ちを奮い立たせようとするんだけど、なにかに吸い取られるようでどうにもならない」

「それこそなんの話かわかりません。吸い取られるってなんですか?」

「俺にもわからん」

 具体的な解決策がなにも浮かばないままだ。

 無邪気に遊んでいた小学生が徐々に消えていくのに釣られるようにその場は解散となった。


 家に帰り食事を摂って、お風呂に入り歯を磨いて、自室の布団に入り眠りにつく。自室には当然のように杏だけがいる。

 家に帰った際に草太が杏に向けて「飯は?」なんて家事全般を任せて手伝おうともしない夫のようにソファで寝そべっていた。

 そんなことはいつものことで気に留めるようなことではない。

 杏が気にしてるのは真惚のことだ。

 真守が言うように時間が解決してくれることかもしれない。

 ただ、そういう問題ではない。

 奈々は確かに真惚と会っている。なにかしらの話をした。

 奈々のいう他愛のない話とはなにか。人には言えない話なのか。そんな話を真惚にしたのか。

 思い返せば思い返すほど腹が立ち行き場を無くした怒りは拳となり心地よい眠りを招いてくれる友であるはずの枕に八つ当たりする。

 当然のことだが、枕に罪はない。

 あるとすれば……

「……なんて無力なんだろう……」

 友を元の元気な姿に戻すことのできない杏自身だ。

「そんな神妙な顔をしないでくれるかしら? 出るタイミングが掴めないでしょ?」

 杏の部屋には杏だけがいるはずだった。

 そこに……なにもなかったはずの場所に奈々が立っていた。

「……なに? どこから入ってきたの?」

「ずっといたわよ。杏ちゃんが部屋に入ってくる前にね」

「……どういうこと?」

「私にはふたつの顔がある。ひとつは杏ちゃんも知っている通り浦吉東高校の生徒であり野球部マネージャー」

 ベッドに向けられていた体を翻して勉強机へと近づく。

 机とセットで買ったであろう椅子に奈々が座る。椅子はキャスター付きだ。

「そして、もうひとつの私は……」

「消えた⁉ え⁉ 動いてる?」

 奈々は魔法少女に変身した。

 そのあと、椅子に座ったまま移動したりクルクル回ったりする。

 当然の反応を確認してから奈々は変身を解く。

「魔法少女なの」

「……魔法……少女?」

「魔法少女は普通の人には見えない。正確には認識することができない。だから、杏ちゃんには私が消えて椅子が勝手に動いたように見えた。本当はずっとここにいたのに不思議ね」

「奈々先輩が魔法少女であることをまーちゃんに話した」

「それもだけど他にも話したわ」

 奈々は真惚に話したことと同じことを杏にも話した。

 魔法少女のこと、魔物のこと、寄生虫のこと、夢見る力のこと。

 魔法少女として魔物と戦うのか。それとも、元のなにも知らなかった時の世界で暮らすのか。

 どちらを選ぶのかを悩んでいること。

「そんな……それじゃその魔物のせいで真守さんが?」

 奈々は黙ったまま静かに頷いた。

 真守が話していたことを思い出す。

『なにかに吸い取られる』

 真守の感覚は間違いではなかった。魔物が真守の夢見る力を吸い取っていたのだ。だから、プロ野球選手になるという夢を見れなくなった。

「……そんな……それを聞いたからまーちゃんが……取り戻すことはできないんですか?」

 両膝を床につけうずくまった状態で杏は奈々に問うた。

 奈々の方が目線が高い。傍から見れば奈々の方が偉い人のように見える。

 そんな偉そうに見える人は答えた。

「……それは……わからないわ……」

「そんな……」

 空気が重い。

 昼間は口を割らなかった奈々が真実を話したはずなのに。杏が知りたかったことを知ることができたはずなのに。

 結局、真惚を元の元気な姿に戻す方法がわからない。

 真守の夢見る力を取り戻せれば元気になるかもしれない。ただ、取り戻すことができるのかわからない。どうしたらいい?

 杏の心は知りたいことを知ったにもかかわらず、晴れることがなかった。

「僕たちが今、調査しているところさ」

 先ほどの奈々と同じだ。

 なにもなかったはずの、だれもいなかったはずの場所にいた。

 それは毛並みは白く、パッチリとした目が愛らしい。丸っこい耳をしている。

 うさぎによく似た小動物だ。その小動物が喋った。

「やっと認識できるようになったね。レベルを下げるも大変だ。」

「へ? なに? 動物が喋ってる?」

 小動物を指差して杏は驚きを露わにした。

 夜中の学校に潜入して喋るガイコツにでも遭遇したかのようだ。

「すばらしいリアクションをありがとう!」

「そうじゃなくて! なんなの! あなた!」

「僕は君たち人間を魔法少女にしてる使い魔さ」

「え~!」

「君は魔法少女アニメを見ないのかい?」

「まーちゃんと一度だけ見たけど?」

「だからか。もっと見てもらわなきゃ困るよ」

「へ? なんで? 魔法少女アニメを見ることがなにに関係してるの?」

「魔法少女アニメを通して念を送り、見た人たちが本気で魔法少女に憧れるようにしてる。その憧れの力が魔法少女になるのに必要なんだ」

「別に魔法少女になりたいと思ってないんだけど……」

「真惚ちゃんを助けたいんじゃないの?」

「助けたい!」

「真惚ちゃんが魔法少女になったとしたら? 魔物と戦うんだとしたら? 一緒に戦って力になりたいと思わないの?」

「力になりたい! まーちゃんは大切な友達なの!」

「なら魔法少女アニメを見るんだ! 今のままでは魔法少女にはなれない! 魔法少女への憧れが足らない!」

「今、私ができることね。やるわ! まーちゃんのためだもん!」

「素晴らしい友情だ! ごちそうさま! 僕も力になるよ」

「……ごちそうさま?」

 小動物は数十作品もある魔法少女アニメのブルーレイボックスを魔法で出した。

 魔法で作られているため時間が経てば消えてしまう。

 ゆくゆくは杏自身で購入するか、動画配信サービスを利用する。ただ、素人目にはどれがいいのかわからない。その説明のために生成した。

 小動物が先生となり、杏が生徒となり、魔法少女アニメについて勉強する。

 どの作品を見たらいいか。今流行の作品はどれか。真惚が好きな作品やシーン。

 魔法少女に関連するありとあらゆることを知り尽くすこととなる。

 そうやって、杏と小動物がいちゃついている姿を見た奈々は飼い犬を取られたように悔しそうだ。


 真惚が気付いた時には夏休みが終わっていた。

 真実を知ったあと、どうしたらいいのか考えた真惚だが、答えは出なかった。時間だけが過ぎていく。

「まーちゃん! おはよう!」

「……あーちゃん……おはよう……」

「まーちゃん。元気ないね? 何かあった?」

「……えへへ……なんでもないよ……?」

 言葉ではなんでもないと言ってはいる真惚だが、ひきつった表情を浮かべていた。両手をパタつかせ元気だということをアピールしている。なんでもないようには見えない。

 魔法少女のことを知った杏だが、そのことは話さないでいる。

「……休み疲れかな?」

「そうなの? 夏休みまだまだ誘ってくるかと思ってたのに全然、誘ってこないし。メールや電話も出ないから心配したんだよ?」

「……そうなの?」

「そうだよ! まーちゃんらしくないよ。元気だして!」

「……うん」

 今日は始業式のみだ。午前中で学校は終わる。午後は時間が空いているため、杏が遊びに誘うも真惚は「明日からテストがあるから止めとく」と断った。

 確かにテストはある。だが、成績に反映されるものではない。

 真惚は定期試験はおろか、受験の際にも杏を遊びに誘っていたことがある。ただ、遊びの内容が勉強であった。真惚にとっては勉強も遊びなのだ。親しい友達と一緒にいる。それだけで遊んでいるように感じられる。

 寂しがり屋で甘えん坊で常に誰かと一緒に居たがるのに今日は誘いを断った。

 明らかに変だ!

「悩み事があったら相談に乗るからいつでも言ってね」

「……うん……ありがとう……」

 なにで悩んでいるのか杏は知っているが、それは言わない。言ってしまったら状況がさらに悪化してしまう気がしたからだ。真惚自身で決めるのを待つ。

 学校を終え、真惚と杏は途中まで一緒に帰った。元気のない真惚を元気づけようと杏が「アイスでも食べていかない?」と帰り道にあるアイス専門店を指差して誘うも乗ってこない。親友である杏でさえも今の真惚が何に食いついてくるのかわからなかった。お手上げだ。

 魔法少女になれるように小動物と勉強したが、真惚が抱える根本的な問題が解決したわけではない。


「ただいまー」

 飯野家の大黒柱が帰ってきた。出迎える者はいない。

「おかえりー」

 返事だけが返ってきた。玄関に入ってからすぐに答えたのは母親だ。夕飯の支度をしているため、キッチンから離れることができない。

「おかえりー」

「……おかえり……」

「ただいまー」

 大黒柱が奥まで進み、リビングまで行くと真守と真惚が迎えた。2人は教科書とノートを広げ勉強している。顔は上げずにいた。

 ビジネスバッグから取り出した2枚の紙切れを大黒柱は真惚に渡す。

「……なに? ……これ?」

「頼まれてたプロ野球の観戦チケット」

「……?」

 勉強する手を止め紙切れを受け取った真惚は目を見開き、飯野家の大黒柱とチケットを交互に見たあとに口からとんでもない一言を吐いた。

「お父さん。ちゃんと働いてたんだね!」

「ひどい」

 まるで胸を拳銃で撃たれたかのように胸を抑えた大黒柱はりながら母がいるキッチンの方へ近づく。

「……お母さん……真惚ちゃんが……」

「確かにこういうのを貰ってくるとちゃんと働いてるんだなーって気持ちになるわよね」

「……そんな……お母さんまで……」

「冗談よ。真惚ちゃんに乗ってみただけ。それより夕飯できたから食器を運んで!」

 父が食器を並べようとしたらリビングの方から声がした。

「私、やっぱりいいや」

「いいってなにが?」

「出掛ける気になれないからチケットいらない」

「……そうだよね。欲しいって言ってからだいぶ経つもんね。大丈夫。悪いのはお父さんだから大丈夫」

「真惚ちゃん、行ってあげなさい。じゃないとお父さんが可哀想かわいそうでしょ?」

「……お母さん……そうだぞ! お父さんが可哀想だ!」

「お父さんは自分で自分のことを可哀想って言わない!」

「はい」

「わかったよ。それじゃ…………お兄ちゃん。一緒に行こう……」

「……? 俺?」

「……そう。元々、お兄ちゃんと行くためにお父さんに頼んだんだから……」

「……? そうか。わかった。行こう」

 真守はプロ野球観戦に行ったら真惚が元気になるかもしれないと考え誘いを受けた。

 ただ、問題があった。その問題を真惚が切り出す。

「あ! でも……」

「……? どうした?」

「……お金ない……」

 悲痛な表情を浮かべ落ち込む真惚を見た母は嘆息し財布からお札を取り出し、真惚に差し出す。

「……夏休み……後半は引きこもってたけど……前半はたくさん遊びに出掛けてたもんね……特別よ!」

「……いいの? お母さん?」

「このところ元気なかったでしょ? これで真惚が元気になれるんなら安いものよ」

「ありがとう! お母さん!」

 母が差し出したお札を受け取った真惚は涙ぐんだ眼を浮かべ、嬉しそうに満面の笑みを母に向けた。

 真惚は家族に愛されている。愛されているからこそ魔法少女になることができた。魔法少女になるには愛を感じる必要がある。愛を感じるには神迫奈々のように従兄いとことの思い出を頭に思い浮かべてもいいが、今の真惚のように家族からの愛を現実で受けてもいい。どちらにしても愛を感じていることに変わりはない。

「……? 俺にはないの?」

「真守も金欠?」

「別にそういうわけじゃないけど……真惚だけ貰うのはずるいかなって……」

「しょうがないわね。はい!」

「やった! ありがとう! お母さん」

 真惚に続き、真守もお小遣いを貰う。ただ、一人だけ不快感を表情に出している者がいた。

「……お父さんには? ……お父さんにはないの?」

「お父さんまで? お父さんまで金欠?」

 金欠ではないのにお札を受け取った真守が「俺は金欠じゃないんだが……」と言っているのはスルーして母は続ける。

「何に使ったの?」

「……実は……」

「実は?」

「……チケット貰ったっていうのは嘘で本当は買って来たんだ。貰うの待ってたらいつになるかわかんないからね。それに真惚の元気な姿を早く見たいのもある」

「お父さん!」

「……こうなると……ちゃんと働いているのか怪しくなるわね」

「ちゃんと働いてるよ!」

 大黒柱もお小遣いを貰った。お小遣いの額はチケット代なのだが、はたしてお小遣いと言っていいものなのだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る