第12話 シャンパンの瓶が酒類のなかで一番硬い理由
彼からの返信が来なくなってもう3日が経った。
最後のメッセージは、「ゴメン」だった。でも、いまさら謝罪の言葉なんか意味はない。
他に好きな人が出来たのは知っていた。それでも私は彼を愛していたし、彼だって私を深く愛してくれていた。
彼が私の誕生日に贈ってくれたヴィンテージシャンパンは今も開栓せずに大事にしまってある。
「シャンパンの瓶は酒類の中で一番丈夫で硬いんだよ。シャンパンは瓶の中で発酵するし、強い炭酸ガスを含んでいるから、割れたり底が抜けたりしないように瓶がとても厚く造られてるんだ」
そう優しく教えてくれたのも彼だった。
そんな優しい彼は、ときどき間違った選択をする。大学ではマーケティングを学んだ彼が結果的に選んだ職業は教師だった。
優しい彼は学生時代、私の誕生日にはいつも素敵なレストランを予約してくれた。でも、教師なんてくだらない職業についたせいで、今年はバカな学生の世話に追われて誕生日は一緒にいてもくれなかった。
それでも私は彼を責めたりなんかしない。私はただ彼がそばに居てくれるだけで、愛してくれるだけで十分だったから。
それなのにあんな
彼が家に帰ってこなくなって1週間が過ぎた頃、私は彼女の家に行き、石を投げて彼女の家の全ての窓ガラスを割った。もちろん、彼に間違った選択だと気付いて欲しかったからだ。
すると彼は、私に感謝するどころか、彼女と一緒に私を責め立てた。さらに彼女が理不尽にも警察へ被害届を出したとき、彼は一切私を庇ってくれなかった。おかげで私は危うく逮捕されそうになった。
それでも私は彼の力になりたくて、彼の学校へ手紙を送った。彼女は彼の教え子だったので、二人の
私の思ったとおり、彼女は退学になり、彼は教師という不毛な職から開放された。
私は今度こそ彼から深く感謝されると思っていたのに、久しぶりに彼が家に戻って来た時、彼が私にくれたものは殴打と罵倒の言葉だった。
彼は、この家を出て行く為に荷物を取りに来たのだと言う。私とはもう終わりにしたいとか、意味の分からないことも叫んでいた。
せっせと荷物をまとめる彼の後ろ姿を見ていた私は、ただただ彼を救いたい一心で、彼の後頭部を彼からもらったシャンパンの瓶で力いっぱい殴った。
彼の言うとおり、シャンパンの瓶はとても硬く、割れる事も、ヒビが入ることもなかった。
ぐったりと横たわった彼の全身をガムテープでぐるぐる巻にし、右手の手首から先だけ自由にした。私宛にLINEのメッセージを送れるようにするためにだ。
「私以外に連絡したらあのクソガキをぶっ殺すから。私が本気だって知ってるよね」
彼はかすかに頷いた。
「あなたが本気で反省したとき、私に謝罪の言葉を送信してね。これはあなたの為なの。あなたを心から愛しているのは私だけ。あなたを救ってあげられるのも私だけなの。あなたの間違った選択は私が正してあげるから安心してね」
彼はまたかすかに頷いた。
「じゃあ、連絡待ってるわね」
私が部屋を出ようとした時、彼は塞がれた口で何か叫んでいたようだったけれど、私は静かに玄関ドアを閉めた。
それでも彼は意固地で、なかなか謝罪の言葉を送信してこない。私はしばらく彼を放っておく事にした。もしこのまま彼が死んでしまっても自業自得だ。
すると4時間後、ようやく彼からメッセージが届いた。
「ゴ・メ・ン」
なんて浅はかで陳腐な言葉だろう。これまでの非道が「ゴメン」で済むはずはない。彼は、言葉の選択を間違った。
やはり彼の事はしばらく放っておこう。なにより私にはまだやらなければならないことがある。
私は今、彼女の家の目前に立っている。肩から下げた大きめのバッグには彼からもらった大事なシャンパンの瓶が入っていた。
インターホンを押し、笑顔で彼女に呼びかける。
「こんにちは。彼のことでちょっと相談したいことがあるの。玄関、開けてくれるかな?」
彼女が戸惑っているのはインターホン越しにでも分かった。それでも、彼のことで相談といわれれば彼女も鍵を開けないわけにはいかないだろう。
私は玄関のドアが開くのを待ちながら、カバンに入っているシャンパンの硬い瓶をぎゅっと握りしめていた。
彼女がこの世にいる限り、彼の間違った選択は正せない。私は、もう彼に間違った選択をして欲しくなかった。
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「ガチャッ」という音が鳴って玄関のドアが開き、彼女が顔を見せた瞬間、私はシャンパンの瓶を目一杯振り上げた。
多分、今回もこのシャンパンの瓶が割れることはないだろう。
もしかしたら、シャンパンの瓶が硬い理由はこの日の為だったのかもしれない。
ゾンビ病:高ノ宮 数麻の短編集 高ノ宮 数麻(たかのみや かずま) @kt-tk
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