第2話 藤と柊

 満月が西に傾いて来たころ、うっすらと酒の臭いが残る歩道に夜間の見回りであろう警官が現れた。誰も、何もいないそこには警官の足音だけがカツリ、カツリと響いている。別れ道もない狭い道の為、警官は先の男の歩いた道をたどるようにして歩いていたが、何か見つけたのか突然「お」と声を漏らすと足を止めた。そして彼もまた地面の何かを見るためにしゃがみ込んだ。

「なんでこんなところに」

 そこには月の光を受けてほのかに光る1枚の柊の葉と、季節外れも甚だしい藤の房が一房落ちていた。放っておけばいいものを不思議に思った警官は、吸い寄せられるようにしてそれに近寄ると、あろうことかそれらをそっと右の手のひらに掬い上げた。

「こんなに寒いのにどうしてこんな所にいるんだ、お前達」

 物言わない花に話しかける警官は優しい心の持ち主なのだろう。手の中のものを落とさないようにゆっくり立ち上がり、語りかける声は柔らかで聞いていて心地がいい。

 しかし花に話しかけた次の瞬間、警官の頭に見覚えのない映像が流れた。なんの心当たりもない景色を無理やり頭に流し込まれ、脳が処理しきれなかったのか頭を押さえながら警官はがくっと膝をついた。

「なんだったんだ、さっきの……」

 警官は未だ夢から覚めきっていないかのような顔をしている。瞳も忙しく動き、まるで何かを警戒しているようだった。

 警官が見た情景。そこにはいばらの様に張り巡らされた柊の葉の中、一人の青年が苦しげに蹲っていた。そうして薄紫色の綺麗な和服に身を包んでいたその青年は必死に何かを訴えていた。顔を俯けていた為本当のところはわからないが、きっと青年は泣いていた。恐らく悲しみとも後悔とも名状できない、やりきれない感情によって。

 しかしその青年を囲うようにしてナニカがいた。黒いもやのような形ももたないナニカが。こちらのモノからは明確な感情を感じ取れた。怒り、憎しみ、嫉妬、恐怖、悲しみ。詰め込めるだけ負の感情を詰め込めばこうなるのだろうな、というような印象だ。

 警官は膝をつき、定まらない焦点でぼんやりと空を眺めながら震えている。

「あ、そういえば花」

 しばらくしてようやく動けるようになり、しっかりとした面持ちになった警官は開口一番花の事を心配し始めた。手に掬い上げてからそのままだったはずだ、と彼は自身の右手を見た。

「え……」

 しかし先ほど確かに手に乗せたはずの花が綺麗さっぱり消えていた。

「俺、疲れてるのかな」

 自身に起きた不可思議な現象。彼はそれを疲労による幻覚だと判断したようだ。実際、最近よく眠れていないのだろう。瞳の周りにはうっすらとした隈が見て取れる。

「今日は早めにあがらせてもらおう」

 それから、思いのほか自分は疲れているんだと認識した警官はそう言って再度歩き始める。カツリ、カツリと鳴る靴は、彼が帰るべき場所にたどり着くまで途切れることなく響いていた。

 再度人のいなくなった歩道に、もう酒の臭いは残っていなかった。代わりに甘く優しい香りがほのかに漂い、柔らかに射す月の光が人気のない歩道を少しだけ彩っていた。

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