忘れられた物語

幽宮影人

第1話 ◯人めの被害者

 寒さも厳しい睦月の始めころ。丸々と肥えた月が空高くで輝く時刻に、一人の男がふらふらと覚束ない足取りで人通りの少ない歩道を歩いていた。新年会にでも参加してきたのだろうか、ビジネスバッグを脇に鼻歌交じりで歩く男は真っ赤な顔をしており酒臭い。

「?」

 やがて自宅への道をゆっくりと進んでいた男は、足で何かを踏んでしまったような感触にはたと歩みを止めた。

「なんだぁこれ」

 何を踏んでしまったのだろう、と男は腰を折ってしゃがみこむ。するとそこには四六判サイズの一冊の『本』があった。しかし月明かりを頼りに見えたその『本』はなんとも奇妙なことに真っ白だった。表紙に絵もなければ出版社名、作者名、はては題名まで何も記載されていない。本と呼ぶには足りないものがあまりにも多すぎる『本』だ。

「ん?」

 酔っていて何が書いてあるのかわからなかったのだろう男性はその『本』をよく見ようと手を伸ばした。寧ろ見えない方が正しいというのに……。なんの迷いもなく伸ばされた手は阻むものもなかったため難なく『本』へと届いた。

 すると次の瞬間、男はその場から姿を消した。

 否、何者かによって消された。『本』からぬっと伸びてきた黒くとどろくく得体のしれないモノの手によって。

 男が姿を消したと同時に拠り所をなくした本とビジネスバッグは、バサッと音をたてて地面に落ちた。重なり合うようにして地面に横たわるそれを見ていると、徐々にその色が透け、輪郭もおぼろげになっていった。やがて『本』とバッグは消えて見えなくなってしまった。

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