第5話 長い1日は終わる

 夜9時を過ぎた頃、病院から移動した俺たちは、ファミレスで遅めの晩ご飯を食べながら、状況整理を兼ねた作戦会議を開いていた。ここ自由が丘は、俺たちが通っている大学からのアクセスが良く、同じ大学に通う友人と街でバッタリ出会うことも少なくない。そのため「剣聖」と2人で食事しているこの状況を知り合いに見られようものなら、ちょっとした事件である。


 ウチの大学のフェンシング部が世間からアイドル視されている理由は、試合での強さや話題性はもちろんだが、正直なところビジュアルのクオリティも大きい。きっと啄木鳥きつつきさんも、世間一般、どこへ出て行ってもきっと「カワイイ」と評されるだろう。だからこそ、誰かに妬まれでもしたらたまったもんじゃない。


 話を聞けば、俺と同様に啄木鳥さんもこの近くのアパートに一人暮らしということで、時間の制約はあってないようなものだ。そんなわけで、俺にとって非常にリスキーな時間無制限ファミレス会議は、緊急事態ゆえの対応であるので、みんな、誤解のないように。


「えーと……つまり、先輩と私は魔法を認識できていないってことですか?でも、それって変ですよね?」

「そうなんだよね。魔法を全く認識できないっていうことなら……ねえ?」


 俺は、啄木鳥さんの左腕をつい見てしまった。穴のあいたニットからのぞく啄木鳥さんの素肌は、先程まで水膨れしていたとは思えないぐらいスベスベで、白くて、とても綺麗だ。


 俺たち2人が今日体験したこと、病院でそれぞれにあった出来事を照らし合わせていくと、魔法が世界のこの事態にとって、ひとつの重要な鍵になっているということは間違いなさそうである。問題は、なぜ俺たち2人だけがこの世界の常識から取り残されているのか、ということだ。カウンセラーの相馬先生から聞いた魔法の概念を当てはめると、この疑問だけはどうしても消せない。


 さらに言えば、俺自身は記憶が曖昧で、交通事故の怪我が魔法で回復したものかどうか、状況証拠からの予測でしかないが、啄木鳥さんの怪我は、間違いなく魔法で回復したものだ。魔法のトリガーが「認識」であるなら、世界の変化と怪我の回復、どちらかだけ成功するのはおかしい。俺も啄木鳥さんも、魔法を「認識」しているという点で矛盾が生じてしまう。


「なんか本当に手品師みたいな話ですよね、魔法って。信じ込ませたもん勝ちみたいな。信じざるを得ないことが、突然目の前で起きちゃうんですもん」

「スプーン曲げとか?」

「先輩はスプーン曲げって信じてるんですか?」

「いや、あれはなんて言うか……正直、俺でもできそうだなって感じで、あんまり信じてない」

「じゃあほら、街の看板から食べ物の実物を取り出しちゃうやつとかは?」

「あれは、信じるとか信じないっていうのじゃなくて、ただ単純にすごいなって思いながら見入っちゃってるかも」

「少なくとも、スプーン曲げほど疑って見てないってことですよね」

「そう……なるのかな……?」


 大掛かりな手品の場合、入念な準備はもちろん、手品師にも相応の技術が必要だと聞いたことがある。手先の器用さだけでなく、話術や洞察力などが複雑に絡み合い、タネも仕掛けもない錯覚の世界へ観客を誘う。その結果だけを見た観客は、まるでその場で超常現象が起きたかのように感じ、奇跡を信じてしまうのだ。


「人心掌握術か……」


 俺はため息混じりに言葉を漏らした。


「えーと、なんだか空気が重いので、ドリンク取ってきますね。ワタル先輩は何飲みます?」

「じゃあ烏龍茶をお願い……って『ワタル先輩』って何!?えっ!?」

「だって『セトセンパイ』って言いにくいじゃないですか。じゃ、取ってきまーす」


 啄木鳥さんはササッとドリンクを取りに行ってしまった。生まれてこの方、母親以外の異性から下の名前でなんて呼ばれたことがない。これが噂に聞く、誰とでもフレンドリーに接して、異性を勘違いさせまくるサークルクラッシャーか?今どきの女子大生怖い……!などと、しょうもないことを考えている一瞬のうちに、彼女はドリンクを両手に戻ってきた。


「はい、こっちが烏龍茶」

「あ、うん、えーと……ありがとう」


 照れてる場合か、俺。


「ゴホン!話を戻すけど、俺たちだけ、現実世界これまでの記憶を持って来れていることには、やっぱり何か特別な理由があると思うんだ。でも、いまその答えを出すのはどうやら無理っぽい」

「ですね」

「答えを考えるためにも、俺たちはもっとこの世界の状況を知らなきゃいけない気がする。そのためにはまず……」

「帝国を倒す!」

「過激派かよ。帝国に着いたら、誰でも良いから穏便に話を聞いて、少しでも情報収集したいと思ってる」

「でも正直、このまま帝国とかいうヤツらの言いなりになるって、ちょっと悔しいんですよね。私とワタル先輩で、やっとの思いで倒したスライムだったのに……たくさん出てきたモンスターの群れを一瞬で……」


 帝国近衛兵団。西洋甲冑を身にまとい、剣や魔法でモンスターの群れを一瞬で駆逐した3人。


「まるで、随分前からモンスターと戦い慣れてるって感じだったよね。何かこう、俺たち現実世界の人間と違って、むしろ異世界の人間っていうか……」

「異世界の人間?」

「いや、モンスターが突然、世界の常識になったのと同じで、帝国の存在も常識になってるから。何か繋がっているかもって考えただけだよ」

「じゃあやっぱり帝国を倒さないと!」

「慌てん坊かよ。まだ帝国とモンスターが同じ立場にあるかはわからないだろ。俺たちの世界だって、危険な動物が街中で暴れてたら、警察や自衛隊が出動して、捕まえたり、殺したりすることだってある」

「あ、そっか。なんとなく悪そうなイメージが先行しちゃって、モンスターと一緒くたに考えちゃってました」


 てへっと笑う啄木鳥さんだが、実を言うと、帝国に対して悪印象を持っているのは俺も同じだ。あの高圧的な態度と物言い。モンスターを駆逐したことだって、自分たちの力が絶対の正義だと知らしめるためのパフォーマンスにも見えた。だからこそ、帝国以外の、さらに言えばこの世界の人間である俺たちがモンスターをという事実は、帝国にとって都合が悪いのではないだろうか。


「どちらにせよ、明日の朝になればハッキリするよ」

「……ワタル先輩は怖くないんですか?帝国に行くこと」

「怖いに決まってるだろう。今日だって、俺1人でこの状況に巻き込まれてたら、完全にパニックになってたし。でも、ギリギリ冷静でいられたのは、啄木鳥さんがいてくれたからだよ」

「えーと……告白ですか?」

「ちげーわ!同じ境遇の人間と出会えて、助かったって話だよ。1人で悩むより、こうして2人で悩んだ方が、頭の中も圧倒的に整理しやすい」

「ワタル先輩にとって、私は都合の良い女ってことですね」

「語弊がすごい。けど、間違ってはいない」


 明日、何が起きるかなんて正直わからない。あえて口にはしなかったけれど、殺されてしまうことだってあり得る。怖くないわけがない。それでも、啄木鳥さんの前では格好をつけたい自分がいる。男って単純な動物だなあとしみじみ思いながら、コップに注がれた烏龍茶を飲み干した。


「さて、そろそろ解散かな」

「そうですね。明朝って言ってたから、けっこう早い時間に自由が丘にいなきゃかもですし」

「指定が大雑把なんだよな。帝国には時間の概念がないのかな」

「6時ぐらいに居れば安全ですかね?」

「6時!?はやっ!」

「私は朝練で慣れてますけど、もう少し遅くします?」

「いや、何が起きるかわからない以上、遅くするって選択肢はないだろう。わかった、6時に、今日スライムと戦った雑貨屋の前で!」


 ぐうたらした生活の大学3年にとって、6時はこれから寝ようって時間だ。啄木鳥さんは、運動部だけあってしっかりしている。絶対に寝坊しないようにしなくては。




 会計を済ませた俺たちは、ファミレスを出て、駅の方へ向かって歩いていた。自由が丘の街は、いわゆる繁華街とは少し違って、店の閉店時間が早めだ。夜も更けたこのぐらいの時間になると、ほとんどの店のシャッターは下りていて、開いている店は飲み屋かカラオケか。治安は悪くないが、昼と違って、個人的には居心地はあまり良くない。


「啄木鳥さん家はどっちのほう?」

「え?酔ったフリして家に上がろうとしてます?」

「してねーし!大体ずっとソフトドリンクだったの見てたよね!?」

「冗談ですよ。私の家は駅の向こうです。ワタル先輩の家は?」

「この道を真っ直ぐ行ったあたり」

「家まで送っていきましょうか?」

「いやいや、そのセリフ、普通は俺が言う側じゃない?」

「ワタル先輩は自覚が足りませんよ。帰り道、モンスターが現れたらどうするんですか?」

「えーと……全力で逃げる?」

「私がいたら戦えますよ?」


 えっへんと胸を張る啄木鳥さん。俺への戦力外通告が容赦なく叩きつけられたが、悲しいかな、本人にそんな自覚はないのだろう。


「と、とにかく大丈夫。今日はお互いにさっさと帰ろう。帰って明日に備えよう。ね?」


 送る送らないの話は、力づくでさっさと切り上げた。2人で食事した上に家に送ったり送られたりしようものなら、モンスター以前に、世間の「剣聖」ファンから殺されてしまう。ある意味、こちらの方が余程リアリティーがあって怖い。




 そうこうしているうちに、駅前に到着。


「じゃあ私はこっちなので。……本当に送らなくて大丈夫ですか?」

「大丈夫だって!明日はよろしく」

「はい!寝坊しないでくださいよ?」

「頑張るよ。それじゃ、おやすみ。今日はおつかれ」

「おやすみなさい」


 啄木鳥さんはペコリとお辞儀をして、駅の向こうへ続く道を進み始める。その後ろ姿は、自分の背丈ぐらいある大きなバッグを背負った、長い髪の、華奢な、ただ女子大生だ。この子の正体は、世界に通じるフェンシングの腕前を持った「剣聖」だというのだから、世の中は不思議だ。いや、今の世の中はもっと不思議だらけか。


 まばらな人ごみの中、離れていく彼女の後ろ姿をぼんやりと見ていると、急にピタッと立ち止まった。くるりとこちらに振り向き、目線が交差する。


「今日はありがとうございました!!私もすっごく心強かったです!!」


 大声でそう言うと、手を振り、走り去っていった。あれ?俺、ドキドキしてるな。この胸の高鳴りは……そうか。そりゃそうなるよな。あんなふうに言われたら……


 俺1人、周囲の注目をめちゃくちゃ集めるに決まってる!視線すごい!ざわざわしてる!痛い!めちゃくちゃ恥ずかしい!死にたい!啄木鳥都め、覚えてろ!




 ……その後、結局何事もなく帰宅できた。朝、コンビニに出かけて以来の我が家。濃密な時間を過ごしたせいで、もはや懐かしい気分にさえ浸れる。ただいま、散らかり気味の俺の城。


 そんな感慨と同時に、ドッと疲れが押し寄せてきて、ベッドに倒れ込んだ。頭の中では、今日一日の出来事が巡る。何もかもが夢なんじゃないかと、現実離れした世界から現実逃避したくなる。ややこしいな。


 異分子である俺のこれからの行動は、実はとても簡単だということもわかっていた。世界にか、世界にか。この二者択一しかない。でもまだ、それを決めるには情報が少な過ぎる。明日になれば、今日見えなかった何かがもう少し見えてくるはずだ。


 ギリギリの意識の中で、スマホのアラームをセットし、俺はそのまま眠りに落ちた。

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