第4話 後輩は感謝する

「明日のこと……帝国の件もあるから、お互い診察が終わったらここで落ち合おうか」

「そうですね」


 私から見た瀬戸先輩は、どこか冷静な自分を取り繕っている感じがした。こんな状況じゃ、落ち着いていられるほうがおかしいぐらいなのに、それを必死で隠そうとしているような。それは、の、私に気を遣ってくれているから?もしそうだとしたら、少し嬉しい。いつからか「剣聖」と呼ばれるようになって、気高い剣士のように振る舞うことを世の中から求められて、どんなときでも強い自分でいなければならなかったから。


 私が啄木鳥きつつきみやこという1人の人間でいられるのは、でいるときだけだった。そういう生活に少しずつ適応していってしまう自分自身が少し嫌いだった。このままだと、大好きなフェンシングのことまで嫌いになってしまうのではないだろうか。そんなふうに考えるようになっていて、とても怖かった。


「じゃ、またあとで」


 瀬戸先輩は足早に去って行った。私も外科の病棟に行かなきゃ。


 今さっきまで忘れていた左腕の痛みが、いつの間にか戻ってきている。ゆっくり歩いているだけなのに、冷や汗が止まらない。あれ、こんなに痛かったっけ。怪我をしてすぐに病院に連れてきてくれた瀬戸先輩に、また感謝しなくちゃいけない。


 激痛を堪えるあまり、ぼんやりとしてきた頭が、ふと去年の文化祭で起きたことを思い出させる。




 パンデミックの影響が大きかった去年の学生スポーツ。団体種目とは言え、個人競技であるフェンシングは、かろうじて大会が開催された。無観客、ネット配信。しなるフルーレの音や足音が会場に響き渡るほど、静かな夏の全国大会。いま思えば、集中力と瞬発力を極限まで高めるスポーツには、あの特殊な環境はとても向いていた気がしなくもない。


 私たち女子フェンシング部は、その大会で悲願だった優勝を果たせた。女子フェンシング日本一。ネット配信の影響か、それまでの女子フェンシングの大会よりも逆に注目が集まっていて、さまざまな口コミがSNSを中心に広がった。そのせいで、マスコミからはまるでアイドルみたく扱われるようになってしまった。


 そういうこと自体、理解できないわけではない。メディアで取り上げられることで、結果的に選手にスポンサーがついたり、競技人口やファンが増えたり、恩恵もたくさんある。アスリートがアイドルやタレントみたいに振る舞うことで、そのスポーツの未来を切り開くことだって実際あるんだと思う。


 でも、アスリートの育成に力を入れているわけでもない、ごく平凡なウチの私立大学にそんな大層な理念なんてない。まるで、私たちのことを大学の広告塔としか思っていないような。いわゆるパパラッチ的な過激な取材からも守ってもらえない。そんな状況を知ってか知らずか、秋の文化祭では「女子フェンシング部握手会」の開催を大学側から提案される始末。


 私は、私たちは純粋にフェンシングがしたかっただけなのに。強くなって、世界を目指したいだけなのに。


 私たちが少しも望んでもいない企画が表立って発表されて少し経った頃、風向きが大きく変わり出した。皮肉にも私たちをアイドルにしたSNSをきっかけに。


 大学は女子フェンシング部を金儲けの道具にしようとしている。アスリートのメンタルを蔑ろにする行為は学校の対応としていかがなものか。そんな内容の、ひとつの呼びかけがとてつもない勢いで拡散されていったんだ。


 呼びかけはあっという間に大学の外側まで、そしてSNSというインターネット社会の外側まで広がりを見せ、世間からも大きな共感を呼んだ。アスリートファーストとは言い難い大学側の姿勢に批判が集まり、した。程なく、大学の理事長や関係者は記者会見で頭を下げることになる。文化祭での握手会はもちろん中止になり、その頃からストーキングまがいのパパラッチ取材も減っていった。


 あとで知ったことだけど、呼びかけの発信源は、瀬戸先輩だったらしい。あのときはただ同じ大学に通っている人というだけで、なんでSNSでそんな呼びかけまでしたのか全然わからなかった。けれど、今日のことでほんの少しだけわかった気がする。なりふり構わずがむしゃらで、でも頭のどこかが冷静にを求めていて。きっと、あのときも今日も、先輩はを得るためにただ衝動的に行動しただけなんだ。


 それでも、あのままフェンシング部のアイドル化が進んでいたら、私はフェンシングができない自分になっていたかもしれない。もちろん今日だって。だから、瀬戸先輩には感謝の気持ちしかない。いま、フルーレを握っていられるのは、瀬戸先輩のおかげだと思えるから。




 白昼夢のような記憶の旅からふと現実に帰って来たら、いつ外科に辿り着いたのか、年上の女性の先生に左腕の水膨れを診てもらっていた。ぼんやりし過ぎだな、私。


「スライムの毒液は強い酸みたいなものですから、かなり痛みますよねえ」


 今更だけど、先生は当たり前にスライムの存在を肯定する。それどころか、こういった診察に慣れているような雰囲気さえある。私だって少しぐらいしたい。


 痛みはもちろん辛いけれど、買ったばかりで今日おろしたばかりのニットに大きな穴を開けられたことも正直かなり辛い。なんで避けられなかったんだろうと後悔が先立つ。やはりいろいろできない。


「このぐらいの怪我ならすぐ治せますから、ちょっと待ってくださいねえ」


 先生はそう言って目を閉じ、私の腫れた左腕に手をかざし、念仏のようなものをぶつぶつと唱え始めた。いや、普通に怪しくない?病院の治療って、消毒したり、薬を塗ったり、するんじゃないの?


 先生が何かを唱え始めて、4〜5秒。かざした手から、暖かい何かが放出されている感じがした。田舎のおばあちゃんの家で使っている石油ストーブにあたっているような、心地良い温もり。実際に暖かいのか、暖かい気がするだけなのかはわからないけれど、少なくとも私にはそんな感覚がある。


「いきますね。それ、ヒール……!」


 それまでの念仏とは異なる強い口調で先生がそう言った瞬間、不思議な現象が起きた。先生の手のひらと、私の左腕の間に、柔らかいエメラルドグリーンの光が輝き出した。光は優しく私の左腕を包み、液体のようにまとわりついたと思ったら、そのまま腕に染み込んでいった。私が戸惑う間もないほど、一瞬の出来事だった。


「はい、終わりましたよ。調子はいかがですかねえ」


 事態を飲み込むヒマがなかったので、いま何が起きたのか、事後の状態をこの目で見て初めて確認できた。水膨れが、キレイに消えている。それだけじゃなく、さっきまでの激しい痛みも、完全になくなっている。何これ、すごい。


「えーと……調子……良いみたい……です?」

「良かったですねえ。私はそこまで強い魔法はかけられないんですが、跡も綺麗に……うん、消えてますねえ」


 てっきり、消毒したり、薬を塗ったり、ガーゼを巻かれたり……そんなことをされると思っていた。治るまで時間がかかって、一生消えない跡が残ることも覚悟していた。けれど……


『要は、腕の火傷みたいな怪我ぐらいなら、もっと簡単に治るんじゃないかってこと。俺たちの知らない常識が蔓延っているんならさ』

『啄木鳥さんの怪我はきっと治る』


 瀬戸先輩の言っていたことって、こういうことだったのかな。この世界では、病院の医療が魔法に置き換わっていて、私たちが知っている医療よりも絶大な効果がある。瀬戸先輩はそれを知っていた?


 あのときは言葉を遮ってしまったけれど、そういえば瀬戸先輩は今朝、車に轢かれたと言っていたような気がする。私からはそんなふうにとても見えなかったから、何かの冗談だと思っていた。でも、いま目の前で私自身に起こったことを考えれば、瀬戸先輩が言っていたことは冗談なんかじゃなく、ただ真実を言っただけなんだと確信できる。


 同時に、この世界はどうなってしまったのだろうというもっともっと大きな疑問が私の心を鷲掴む。


 アニメやゲームに出てくるようなモンスターが本当に現れる。魔法が存在する。その状況に誰も……正確には私と瀬戸先輩以外、誰も疑問を持たない。帝国と呼ばれる国らしきものが近くにある。考え出したらキリがない。


「お薬は一応ポーション出しときますねえ。おそらく大丈夫だとは思いますが、腕が痛んだり、疲れが溜まったりしたら飲んでくださいねえ」

「……あ、はい!ありがとうございました!」


 深々とお辞儀をして、私は外科病棟をあとにした。




 私の方が診察が早く終わったみたいで、待ち合いに並んだソファに腰掛けて時間を潰す。病院の診療時間はとっくに過ぎていたので、さっきまで大挙していた一般の患者さんはいない。備え付けのテレビも電源が切れている。


 しばらく見ることを忘れていたスマホをフルーレ用のバッグのポケットから取り出し、なんとなくニュースなんかを見てみた。


『自由が丘のモンスター 剣聖倒す』

『剣聖お手柄 逃げ遅れた老婆救う』

『帝国声明 勇敢な男女2人讃える』


「ああ〜……」


 アプリをそっ閉じ。これはヤバい。絶対にヤバい。スワイプでポイっと画面の外にニュースを投げ捨て、見なかったことにした。この調子じゃ、SNSはもっとヤバいことになっているはずだ。見ないようにしよう。それがいい。うん。


 程なく、廊下を歩く足音が聞こえてきた。目を向けると、難しい顔をした瀬戸先輩がこちらに向かってゆっくり歩いて来る。先輩は、心療内科でカウンセリングを受けると言っていた。何か、ツラいことでも言われたのか、少し心配になった。


 自分自身が暗い顔になったことに気付き、慌てて目を伏せた。私が暗い顔をしたら、瀬戸先輩はもっとツラくなる。本人にその気がなくても、私は、去年の文化祭のこと、今日のこと、ふたつの大きな借りがあるのだから、ちゃんと返していかなきゃダメだ。


 これからきっと、とんでもないことが待ち受けている。それぐらいバカな私でもわかる。それを乗り切るためには、瀬戸先輩と力を合わせなきゃいけない気がする。だから私は、せめて笑顔で。


「あ!瀬戸センパーイ!」


 もう一度顔を上げ、立ち上がって、瀬戸先輩に向けて笑顔で大きく手を振った。

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