第3話 魔法は心理学
助かったと、素直に喜べないのはなぜだろうか。いや、そんなことはわかりきっている。東京の街中で、西洋甲冑に身を包んだ男たちが、競技用でも何でもない本物の武器を振り回す光景。はっきり言ってしまえば、モンスターと同じぐらい猟奇的だ。
それだけじゃない。「帝国近衛兵団」と名乗った3人のうち1人は、電撃を空中で自在に発生させ、コントロールし、モンスターにぶつけていたように思う。俺の知っている言葉であえて表現するなら、あれは「魔法」以外の何物でもない。
「おい、そこの2人!」
ゴブリンの首を斬り飛ばした男が、その刀剣を鞘に納めないまま、こちらに声をかけてきた。
「ここにいたはずのスライムを屠ったのは貴様たちか!?」
隣に立っている啄木鳥さんは、戸惑いの目線を俺に投げ、助けを求めている……ように見える。どうやらここは適当にやり過ごすしかないようだ。就職活動で培った面接力を舐めるなよ。
「そうだとしたら、何か問題でもあるんですか!?」
男は、少し考えたのち。
「……ふむ」
ゆっくりと刀剣を鞘に納めた。同時に、殺気が滲み出たままだったほかの2人も戦闘モードを解除する。
「モンスターから民を救ったこと、我が帝国皇帝グラディアナ13世の名の下に礼を申そう!そちらの少女も剣を納めたまえ!この場の危機は既に去った!」
啄木鳥さんは黙ったまま、構えていたフルーレを下げた。
「しかしながら、
知らねえし。そんなルール初めて聞いたし。心では愚痴を吐きながら、俺は口からは適当な正論を並べる。
「ババア……お婆さんが逃げ遅れていて、助け出したかっただけですよ!」
「老い先短い老婆を、若者が命懸けで守ったと申すか!」
トゲのある言い方だ。あまり好きではない。
「逃げ遅れてしまったお婆さんがここにいて、たまたま俺たちが居合わせた!そうしたらすぐにスライムが現れて、俺たちも逃げられなくなった!……それだけです」
嘘はついていない。自ら立ち向かう覚悟を決めたかどうかは、あえて触れないようにした。彼らの……この世界のルールがいろいろとあるらしいことを察したからだ。
刀剣の男が、ほか2人とアイコンタクトを取る。
「貴様たちからは、より詳しい話を聞かねばならぬ!我らの到着が遅れ、代わって人命を救った礼も、ささやかではあるが用意しよう!したがって、これから帝都まで共に向かってもらう!」
……はい?帝都ってどこだ?日本の首都は東京だろう?……いや、そういえばさっき帝国とか言っていたか。別の国に連行されるのだろうか。あの男の、必要以上の威圧的な態度もずっと気になっている。
「礼には及びません!帝都まで足を運ぶ必要はあるんですか!?事情の説明はここでもできます!」
「これは栄誉であるのだぞ、青年!」
俺が知っているようで知らない、この世界のルール。なるほど。
「それなら1日だけ待ってもらえませんか!?病院で、彼女の腕を治療したい!」
「病院……?治療……?」
男は少し考え、何か思い出したような顔で続ける。
「病院とは、貴様たちの体力、精神力を回復する場であったな……ふむ。良かろう!ならば出立は明朝!この場に馬車をつける!必ず赴くように!必ずだ!」
刀剣の男は、こちらの返事を待たずに大きく振り向き、その場を立ち去っていく。残りの2人もそれに続いて去っていった。
モンスターとの対峙による緊張、続けざまにやってきたそれとは全く異なる角度から来た緊張。2本の糸が暫くぶりに解け、思わずその場にへたり込んでしまった。
「瀬戸先輩!?」
「はは……大丈夫。気が抜けた……」
あたりはすっかり暗くなっていた。濃密な時間を過ごしたせいか、時間の経過という概念をまるごと忘れていた。
考えたいことは山程ある。が、今はただ生きていることに安堵しておくことにしよう。いくら考えたところですぐに答えは出ない気がする。この目で見て、この耳で聞いて、やっと納得できるかどうかといったところだ。
「さあ、病院に行こう。
俺は気合いを入れ直して立ち上がり、啄木鳥さんを連れて病院に戻った。
「剣聖だ!剣聖が無事に戻った!」
「剣聖を助けた『盟友』もいるぞ!」
「私たちを助けてくれてありがとう!」
病院の待ち合いは、ちょっとした歓迎パーティーのようになってしまった。
「あははーどもどもー」
笑顔で人の波を綺麗に受け流す啄木鳥さんはこういった状況にも慣れているようだ。さすが日本代表アスリートの振る舞いといったところか。一方、俺はドギマギしてしまって、どうして良いの全くかわからない。
「と、とりあえず受付カウンターに行こう」
そんなこんなで、人の波をかき分けかき分け、なんとか受付に辿り着いた俺たち。
「すみません、急患は受け付けていますか?この人が火傷のような怪我をしてしまって」
「あら、あなたたち!モンスターから私たちを守ってくれた英雄を放っておくわけないでしょう?さ、これを持って外科の先生に診てもらってきてちょうだい」
さっきは隠れるばかりで何もしなかったくせに……という気持ちをごくりと飲み込む。啄木鳥さんはカウンターごしのおばさんから予約券のようなものを手渡された。さて……
「臨床心理士の先生のカウンセリングって、まだ受けられます?これ、時間過ぎちゃってるんですけど」
「えーと……はい、大丈夫ですよ。心療内科に先生がいらっしゃいますから、そのまま向かってください」
「どうもー」
堂々とこの世界について他人と喋れるチャンス。いろいろなことをハッキリさせてやろう。
「あの、先輩?カウンセリングって?」
「ああ、ほら、俺、今朝事故に遭ったって言ったじゃない?そのケア、みたいな?」
正直、細かいことはよくわかってなかった。それも含めて全てハッキリさせなければ。
「明日のこと……帝国の件もあるから、お互い診察が終わったらここで落ち合おうか」
「そうですね」
「じゃ、またあとで」
啄木鳥さんは外科へ、俺は心療内科へ向かった。
診察室の扉をノックすると、どうぞという声が小さく返ってきた。俺は渇いたレールに乗った扉をカラカラと引き開けた。
「失礼します」
それほど広くもなく、狭くもない、小綺麗な部屋。窓際にドンと置かれたデスクに寄り添い、スラッとした体型のメガネの中年男性が立っていた。
「臨床心理士の
「はい」
「どうぞ、お掛けになって」
相馬と名乗った男の先生は、俺よりも先にデスクに向かって腰掛ける。対面に患者用の椅子が用意されていたので、俺もすぐに腰掛けた。先生はパソコンでカルテでも確認しているのだろうか、デスクに設置されたモニターをじっと見つめている。
一瞬の静寂。人見知りではないが、どことなく就職活動のときの面接が頭をよぎり、少し緊張感がある。先に口を開いたのは先生だった。
「話はいろいろと伺っていますよ。モンスター退治の件はありがとうございました。我々も安堵しています」
「いえ、大したことをしたわけでは……」
「そんなことありませんよ。もし瀬戸さんたちがモンスターと戦っていなかったら、この病院も無事だったかどうか……」
そんな偉業を成し遂げたつもりがまったくないので、反応に困ってしまう。はは、と作り笑いで会釈する。
「では早速、詳しいお話を伺っていきたいのですが……今朝、事故に遭われてから、記憶が曖昧になっているそうですね?」
「はい」
「事故に遭う直前、覚えていることをなるべく詳しく聞かせてくれますか?」
俺はコンビニに出掛けるまでの今朝の行動を事細かに伝えた。そこで記憶がプツリと途切れていることも。
「なるほど。では事故に遭ったときのこと自体も覚えていらっしゃらないわけですねえ」
「……そうなります。恥ずかしながら」
「いえいえ、恥ずかしいなんてことはありませんよ」
先生はパソコンのキーボードをカタカタと叩きながら、俺の話に耳を傾けてくれている。
「ひとつ気になることがありましてね。ずばり、お聞きしたいのですが……」
「……と言いますと……?」
少しもったいつけるように、先生は続ける。
「事故に遭われたとき……正確には瀬戸さんの記憶が途絶えたときになりますね。その前後で、身の回りで何か変わったことはありましたか?」
ドキッとした。カウンセラーという職業だからなのか、この人だからなのかはわからないが、たったこれだけの情報で、俺の胸のつかえを指摘してくる。全てを見透かされているようで恐怖も感じたが、ここではありのまま、自分の身に起きたことを説明するべきか。
「……俺は、帝国という国?その存在を、つい先ほど知りました。モンスターが街を……人間を襲ってくることも……そもそも、俺の知り得る限り、帝国やモンスターなんてものは存在しません。全て架空の、ファンタジーの産物です」
「……なるほど」
「……俺がおかしいんでしょうか……」
もちろん俺自身は正気のつもりだが、これは客観的な感覚ではない。どう見えているのだろう。どう見られたのだろう。ひとつ間を置き、相馬先生が口を開く。
「魔法はご存知ですか?瀬戸さんが仰るファンタジーの産物でも構いません」
「……はい?」
心のケアをしてくれるカウンセラーらしからぬ言葉のチョイスに少し戸惑う。
「魔法……ですか?えーと、アニメや漫画、ゲームに出てくるものなら……」
「では、それらがどういった原理で発生しているか、わかりますか?」
先生が何を言いたいのか、何を言わせたいのかさっぱりわからなかったが、俺は首を横に振り、独特の、説得力のあるそのプレゼンテーションに耳を傾け続けた。
「魔法の根源は心を支配する人心掌握術に似たものであると、私は考えています。例えば炎を発生させる魔法があるとします。魔法をかける対象となる相手はもちろん、魔法を使った者自身、あるいはその場に居合わせた者たち……いや、人間に限りません。あらゆる生物、あらゆる物質、世界のすべて、森羅万象の心を掌握したとき、想像の産物であるはずの魔法の炎が初めて実体化します」
随分と大掛かりな話だと思ったが、言わんとすることは飲み込めた。「人」という字を掌に3回書いて飲み込むめば緊張が和らぐ。そういう「おまじない」やジンクスの類に似た話だ。もっとも、これらの場合に実際に効果があるかどうかは、本人の気の持ちよう次第なわけだが。
「瀬戸さんの話を聞いて、私の考える魔法の概念から、2つの可能性を考えてみました。ひとつは、あなたが世界が変化して見えてしまうような、幻術の類の何らかの魔法にかけられてしまっていること。そしてもうひとつは……」
俺はゴクリと唾を飲む。
「あなた以外の全て……文字通り『全て』が魔法にかかってしまっていることです」
先生は話を続ける。
「瀬戸さんはさきほど、この状況をおかしいと言いました。しかし、私の考えが正しければ、世界がおかしいかどうか、そんなことに関係なく魔法は発現するでしょう。瀬戸さんからすれば違和感だらけの『この世界』……便宜上『
納得のできる話だった。
「まだまだ、謎は多いですがね。魔道士といった魔法のエキスパート職がいることからも、いかに魔法が奥深いものか想像できるかと思います」
帝国近衛兵団の1人が電撃を操っていたことを思い出す。あれは本当に魔法で、あの男は魔道士だったのだろうか。
「そして、瀬戸さん。どちらにせよ、あなたは『
俺は心療内科でのカウンセリングを終え、病院の廊下をぼんやりと歩いていた。世界がどうなろうと存在する魔法がこの状況の鍵であり、その中心には俺がいる。わかったようなわからないような、頭の中のモヤモヤしたものは拭い切れなかったが、状況理解という意味では地に足がつくような感覚は得られた。しかし、同時に新たな疑問も浮かんでいた。
「あ!瀬戸センパーイ!」
遠くで手を振る、啄木鳥都。彼女もまた今日初めてモンスターと対峙した「
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