「分かった。その話乗ってあげてもいいわ。だからそこどいて」

「は?」

「いいから」

私は彼の水恐怖症を確かめるために持ち出した洗面器に入った水を、打ち水代わりに道路にぶちまけた。

「じゃね」

そう言って私は戻ろうとした。

「一ヶ月パシリ、だっけ?」

「勝った方が負けた方にね」

「………もう少しマシなのにしてくれたら、乗ってあげる」

「それが不服なのか?」

「白河君が勝ったらとんでもないこと言いつけそうでやだ」

本当に、この男は素っ頓狂なことを言い出すに違いない。現に、互いの恐怖症をどっちが早く治すか競争しようなどと言った時点で既にまともな物言いをしないことが明らかになっている。それ以前に私を女と見てくれているかどうかすら怪しいのだから。

「大丈夫だよ、変なこと言ったり」

「白河君にとっての普通って何? 私にとっては普通じゃないかもしれないじゃない!」

あまりにも彼がけろっとした顔で言うので、私は思わず彼の言葉を大声で遮ってしまった。が、彼はそんなことを気にしなかった。

「そうだな、例えば……」

「例えば?」

本当に怖い。答えがものすごく怖い。何を言い出すか分からないから怖い。

「僕さ、今まで彼女出来たことな」

「バカーーーーっ!」

思わず叫んで逃げてしまった。慌てて玄関をくぐって、バタンとドアを閉める。ドアに背を預けて一息ついた。急に走り出したからなのか、もしかしたらそれ以外のことが原因なのか、心臓がバクバクいっていた。

「………バカ」

恐らくあの続きは『いから一度デートしてくれ』辺りだろう。本当に何を言い出すか分からない奴だ。まあ、私を女の子として見てくれていただけでも良しとしよう。

そっと覗き穴を覗き込んだ。見える範囲に彼はいない。ホッと安堵したその時。


コンコンッ!


「百合! どうしたんだよいきなり叫んで逃げたりして」

バカッ!

「キスの一つや二つ、いいじゃんか?」

バカバカバカーーーッ!!

前言撤回。女心をかけらも理解してないよこいつ!

しかもデートじゃ気が済まないからキスだとーっ!?(妄想の暴走を一部含む)

彼が扉一枚隔てた向こうにいる。ので思いっきり玄関扉を開けた。日本特有の外開きのドアは彼の鼻を直撃。彼は鼻を押さえて涙目でこちらを見つめていた。

「いってててて………何すん」

「バカッ! この話はもうなし! そんなお願いされるならごめんよ!」

「一体何を怒って」

「もう知らない!」

女の子らしからぬ激しい動きでバタンと大きな音を立ててドアを閉めた。

少しでも恋心を抱いたかもしれなかった自分が、バカだった。

「………バカ」

誰に言うでもなく、そう呟いた。

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