その日も、いつも通りにエレベーターを使った。扉が開く直前、エレベーターホールに人影を見つけ、私は咄嗟に身構え壁に貼り付いた。

静かに、自動扉が開く。

「……葉月さん、何やってんの?」

「………………白河君?」

そっと影から現れた私の顔は、絶対真っ赤になってたと思う。

なぜなら、彼は抱腹絶倒を全身で表現していたから。

「な、何がそんなにおかしいのよ!?」

「だって、いきなり身構えたと思ったら隠れて……っ」

私はむすっとした顔で彼を蹴りつけた。抱えている腹を。

「おうっ!」

天罰ですよ、白河君。

「わ、悪かった、謝るからそんな怒んなって」

踏みつけてやろうか、ふとそんな考えが浮かんだ。でも私にはそんな荒技をしでかす勇気はなかった。


「そんなことがあったのか……」

「そ、だからまたあいつらじゃないかと思って隠れたわけ。分かった?」

「なるほどねえ」

彼は帰る方向が同じだと言って帰宅路を付いてきた。私と話がしたいからついた嘘なのか、真実なのかは定かではないけど。

「でもさっきの照れた顔、かなり可愛かったぞ」

………え?

…………今何とおっしゃいました?

……………可愛かった、と?

顔がかあっと紅潮していくのをひしひしと感じた。思わずそっぽを向いたけど、彼は私の顔を覗き込んできた。

「そうそう、その顔」

睨みつけようと思って彼の方を向くと、彼はニコニコともにやにやとも言えない奇妙な笑みを浮かべていた。

「うるさい!」

私は彼の額を小突いた。

「そんな言葉で喜ぶなんて思わないでよ!」

「喜んでんじゃん」

「誰が!」

「百合が」

……………これは、怒りという感情、でよろしいのですね?

「勝手に呼び捨てにしないで!」

「でもその方が呼びやすくて」

「今日初めて話をしただけなのに馴れ馴れしい!」

このように罵声をあげていると、周囲の人が見たらカップルの修羅場のように見えるのでしょうか? いいえ違いますよ? 決してそんなものじゃありません。

「じゃあ何て呼べばいい?」

「普通に呼んで普通に!」

「なら百合でいいじゃ」

「良くない!」


「ここからは一人で行けるから。バイバイ」

「うん、じゃね」

ああ、やっと解放された、という安堵感が心の中を満たした。そして、最初から考えていたことを行動に移す。彼の家が本当にこの近くなのかどうかを確かめる。とくに意味は……無い。彼の姿が見えなくなったところですかさずダッシュ。尾行の要領で顔をそっと出すと、何と私の目の前に彼の顔。

「わわっ!?」

「えぇ?」

いや、マジで驚いたって。下手すりゃキスしかねない距離だったし。

「ど、どうしたの?」

「そ、それはこっちのセリフ! とっと帰りなさいよ!」

「百合こそ、どうして?」

「だから下の名前で呼び捨てにしないでってさっきから言ってるでしょ!」

「………僕が何者か疑ってるって言うのなら教えてあげるけど? 家すぐそこだし」

どうやら本当だったようだ。嘘ならこんな事言ったって意味がない。

「いい。本当に近くに住んでることが分かれば満足だから」

「疑ってたんだ」

「下心が見え見えだもの。私をからかうっていうね」

「鋭いなぁ」

「で、白河君。何で君はストーカーまがいのことをしたの?」

「それは君も同じ」

「いいから答えて!」

「………何となく……いや、百合に興味があったから」

「はぁ?」

頭に血が上りすぎたのだろうか、私はただただきょとんとするしかなかった。

「そういうことだから」

こ、答えになってなくない?

呼び止める間もなく、彼は走り去ってしまった。

容赦なく照りつける日差しが、私の体温を上げていった。

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