番外章:盗賊の軌跡
『力』
「そらそらぁ! 毎度毎度助けに入るくせにすぐにこうなるよなぁ! 悔しかったら反撃してみろよぉ~!」
ガルベザン帝国、北ベルザ地区――――――
「うっ……ぐぅ……!」
教暦1512年――――――
「こら! 何してるの?!」
「やべ! シスターだ! 逃げるぞお前ら!」
「もう、あの子たちったら……! ほら、もう大丈夫よ。ベノー、ガラシャラ?」
――――――ガラシャラ、十歳。
◇
「ガ、ガラシャラ……大丈夫……?」
「あぁ……」
ガラシャラは、親友であるベノーの心配そうな声に、ぶっきらぼうに返し立ち上がった。その姿は、十歳にしては少々小柄で細く、土埃と擦り傷に覆われている。
そして、先ほど救急箱を取って来ると言い残して孤児院に戻っていったシスターの後姿を思い返しながら、ガラシャラは服に付いた汚れを手で叩き落とした。その汚れと屈辱は、意地の悪い兄たちにいつものように刻まれる敗北の印だった。
ベノー、ガラシャラの二人にとって、この強者に虐げられる日々は逃れようのない日常なのだ。
しかし、ガラシャラの眼は卑屈色には染まっていなかった。寧ろ、ギラギラと燃え滾るような火を隠し持っていた。
(いつか見返してやる……! 誰よりも、強くなって……!)
まだまだ幼稚な、されど確かな彼の闘志と野望は、そこにあった。そして幸いにも彼の炎は、この国の在り方に肯定されることになる。しかし、それを彼自身が知るのはもう少し、先の話だった。
「ベノー、帰ろ」
「え、でもシスターは……」
彼らの親代わりであるシスターに待っててと言われていたことを思い出し、ベノーはもごもごと控えめな引き留めを行った。しかし、ガラシャラはふんと鼻息を漏らし、口を開く。
「大丈夫だよ。あれはシスターが俺の傷を見て言ったんだ。痛いだろうからって。でも俺は歩ける。孤児院まで歩ける。そんで向こうに行っただけ、その分早く治療を受けられる。だろ? ベノー」
「う、うん……そうだね……ガラシャラ……」
気が弱く引っ込み思案なベノーは、ガラシャラの弁に押され、首肯した。そうして、二人は少し落ちてきた日を背に、こじんまりとした孤児院へ向かっていった。
「あら、待っててって言ったのに」
「別に、これくらいなら歩けるよ、シスター」
「そう、でも消毒だけはしとかないとね。ほら座って?」
丁度玄関先にて、二人はシスターと鉢合わせした。言いつけを守らなかったガラシャラに、シスターは特に叱ることも無く、玄関に置かれている簡易的な木製の椅子にガラシャラを座らせた。そして、彼女は彼の前で跪き、膝にガラシャラの足を乗せて、傷口を良く見える様に固定する。
「ほんと……あの子たちも少しは大人になって……弟や妹たちにとって良いお兄さんになってほしいのに……」
シスターが傷口を洗い、治療施しながら、ふと漏らした。その表情は少し悲しそうに見えた。あの二人とは、言わずもがな先程ガラシャラをイジメていた三人の兄たちのことだ。彼らは十二歳。孤児の中で最も年上の者達だ。しかし彼らは暇があれば力にモノを言わせて年下の子を虐げる、どうしようもない悪ガキだった。
なまじ力と体格に恵まれたせいで、より粗暴さに拍車をかけているのが、直近のシスターの悩みだった。
ガラシャラはそれに特に何も言わず、時折染みる傷に顔を顰めながら、治療の様子をぼーっと眺めていた。それを横で見ているベノーは、どこか手持ち無沙汰で、されどガラシャラが怪我を負ったのは自分を庇った故なので、少し居心地が悪そうだった。
そんな折だった。丁度玄関だったということもあって、シスターは意図せずある者を二人と引き合わせてしまった。
「ごめんください」
「軍人さんだ……」
成人男性の低い声に、真っ先に反応したのは所在なさげに中空に視線を彷徨わせていたベノーだった。カーキー色の軍服を身に纏い、同色の軍帽をきっちり被ったその男は、シスターの返事を待たずに肩から下げた鞄から何かの紙を取り出していた。
「……ご用件は何でしょうか」
ガラシャラの前で跪いていたシスターが、すっと立ち会がり、二人も聞いたことがない程感情の無い声色で軍人へと尋ねる。その表情は、少々嫌悪すら滲んでいた。
しかし当の軍人はそんなものどこ吹く風と、淡々と用件を口にする。
「はい、帝国軍から十歳以上の子共がいる各世帯へお知らせがありまして、概要はこちらに」
そう言って軍人はシスターに取り出した紙を手渡した。受け取ったシスターはそれに目を落とし、素早く内容に目を通す。
そこに書かれていたのは……
「『少年兵早期訓練』……徴兵ですか?」
見出しだけを読んだシスターは、今度こそ嫌悪感を隠そうともせず軍人を睨みつける。その胸中は、表情と同じくとして全く穏やかなものでは無かった。
それもそのはず、先の二十年に及ぶ戦争での傷跡は、終戦から七年経った今でも復興が済んでいないほど甚大だった。そしてその煽りを受けたのは他ならぬこの孤児院で暮らす……何の罪もない孤児たちだ。故にシスターは戦争を嫌悪しているし、軍を……そして復興そっちのけで終戦よりさらに軍拡を押し通すこのガルベザン帝国そのものに良い感情を持っていなかった。
「いえ、シスターさん。徴兵ではなく、あくまで青少年対象にした早期的予備訓練です。今月から、月に一度月末に行われます。丁度来週末ですね。あぁ……そして、そちらの宣紙にもありますが、参加は強制ではございません。もちろん、参加した方が良いことはありますが」
「……そうですか。分かりました、ご苦労様です」
シスターは突き放す様に、言外に軍人へ帰れと言った。軍人も、忙しいと言わんばかりに用件が終わればさっさと踵を返し、また次の家へと歩いて行った。
それを目を鋭くして睨み見送るシスター。怒れば怖いが、それ以外は優しく穏やかなシスターが、悪感情を隠そうともせず剥き出しにしているのを二人はじっと見つめていた。
そうして、軍人が道を曲がり姿が見えなくなった頃、シスターはようやくハッと正気を取り戻した。そして、少し悩んでからベノーとガラシャラの背中を押して孤児院に入っていった。軍人が持ってきた宣紙はくしゃくしゃに丸めて修道服の上に重ねられたエプロンのポケットへ仕舞われていた。
きっと、どの子供の眼にも触れさせたくなかったのだろう。
しかしガラシャラだけは、ずっとそのポケットの中にあるモノに意識を向けていた。
夕飯頃、食堂に子供達が集まり、小さな子からベノー、ガラシャラまでの子供達が慌ただしく食卓の準備をしていた。あの最年長の悪ガキ三人組はもちろん準備をさぼろうとしていたが、シスターより一回り二回り年上のシスター(通称グランマ)に叱られ、渋々準備を手伝っている。
そして食堂に全ての食事と子供が揃い、一斉に食事が開始される。途端に、様々な子供のキャイキャイとした話し声が食堂に充満し、一層賑やかな雰囲気に包まれた。
「こらこら、お行儀よく食べなさい?」
「はーい! シスター!」
シスターは近くに座る六歳の子供の少々度が過ぎたおふざけを嗜めつつ、ニコニコと食事をしていた。その時だった。
「シスタ~」
「あら、ギード。どうしたの?」
「これ、見て」
悪ガキ三人組、そしてこの孤児院のガキ大将、ギードがある紙をシスターに差し出した。よもやお手紙かとシスターは穏やかな表情でそれを受け取り、開く。途端に、シスターの顔は険しいものになった。
『少年兵早期訓練』
「……これ、どこで?」
「へへん、ラッカーの家に来てたやつを貰ったんだ。俺たち、来週はこれに行ってくるぜ! 行っても良いだろ? シスター」
どこか自慢げに宣言しつつ、胸を張るギード。その反対に、シスターの顔色は優れなかった。誰の眼にも触れさせたくなかったモノを……特に参加が出来る年齢の子であるギード達にこそ見てほしくなかったモノを、他でもないギードが持ってきたからだ。
しかしだからと言って、反対することも、禁ずることも出来なかった。これを嫌悪するのはあくまでもシスター一個人の感情であり、そしてその感情はこのガルベザン帝国において最も幸せになれない感情だったからだ。
『強き者が頂点へ』
『力こそ全て』
『強者こそが絶対』
それがこのガルベザン帝国という国の真理だった。
究極的なまでの実力主義国家。しかも軍政国家なのだから始末が悪い。元々ある程度実力主義な国ではあったが、先の大戦の最中、野心を暴走させた当時の軍の最高司令……ガルベザン元帥の企てたクーデターにより前身だったスーベット王国の王位が簒奪され、今のガルベザン帝国が生まれてから、余計にその色が強くなっていた。
早い話、力があれば昇進も容易く、それが最も容易な手段なのが軍人になることなのだ。そしてそれが最も手っ取り早く幸せになる方法でもあった。
シスターは国を、軍を、戦を毛嫌いしているが、だからと言って国の指針や情勢を理解していないと言う訳でもない。心とは別に、理性では軍人になって一旗揚げることが幸せの近道であることを十分に分かっている。特に粗暴だが体格や腕っぷしに恵まれているギードは、言うまでも無く軍人に向いているだろう。
だからこそ、ダメだと言えなかった。きっと、ギードの将来を考えるならば、行かせた方が良い。早くに経験を積んだ方が良いに決まっている。
(もしこれを言い出したのがガラシャラやベノーならば、反対も出来たでしょうに……)
シスターは体格に恵まれない二人を脳裏に浮かべ、溜息をついた。そしてすっと眼を細める。
「分かりました。行っても良いですが、一つだけ条件があります」
「え~! 何だよシスタァ~」
「軍隊式の訓練をするならば、恐らく大なり小なり力を付けられるでしょう。ですが、それは決して友達や私たち家族に向けて良い力ではありません」
「え? うん……」
ギードは見たことも無い様な鬼気迫る、真剣な顔のシスターに少したじろいだ。シスターは続ける。
「ギード。アナタは何のための訓練に行きますか? 面白そうだから? それとも何となしに強くなりたいから? いえ、理由は何でも構いません。ですが、そこで得た力というものは一歩間違えると取り返しのつかないことにもなるのです。……本当は、アナタがもう少し大人になってから教えたかったのだけれど、仕方ありません」
「シスター?」
普段説法と唱える時よりもよほど真剣な声色で言い切ると、食事途中にも拘らずシスターは立ち上がった。そして、付いてきなさいとギード含めた悪ガキ三人組を引き連れて礼拝室に向かう。
ガラシャラはそれを眺めていた。その心の中は何やら大きなざわめきに襲われており、これから何が行われるのかを確かめたくて仕方がなかった。
(シスターは何か……俺たち子供には教えられないモノをギード達に教えようとしている……?)
そう思い至ったガラシャラは、今度こそ居ても立っても居られなくなった。そして、そこからの行動は早かった。
「ベノー、トイレ行こ」
「モゴモゴ……ング……え、うん。いいよ」
ベノーから見たガラシャラは、鋭い目付きを輝かせて、口角が吊り上がる様に笑って見えた。
ベノーがガラシャラに付いて行った先は、トイレなどではなかった。そこは週に一度皆でお祈りをする礼拝室だった。多くの子供達を入れる都合上、他の部屋より比較的大きめに作られたそこでは、シスターと悪ガキ三人組が立っていた。
ガラシャラは息を殺し、扉の隙間から中を覗き見る。彼の読みは的中していた。
「アナタ達、これを見て」
シスターが指を刺した先にあるのは、短いが、子供が両手いっぱいで抱えても腕が一周しない程の太さを持った丸太だった。
その丸太に三人の……いや、ガラシャラ達を含めて五人の子供の視線が集まる。
次に、シスターは祈る様に両手を胸の前で組んだ。その瞬間――――――
「『神秘に光を《アレ・ナハト》』」
組まれた両手を起点に、淡く黄色掛かった乳白色の光が広がる。光量こそ大したものではないが、初めて見る神秘的な光景に五人は驚きを隠せず、眼を見開いた。
それだけでは終わらなかった。シスターは、組んだ両手を解き、見えやすいように右手を顔ほどの高さに掲げる。そして、再び口を開いた。
「『
今度は薄紫の靄が右手に纏わりつき、次の瞬間にはしっとりと右手が濡れていた。
五人は目の前で何が起きているのか分からなかった。魔法を知らなかったからだ。魔力という概念自体、シスターはまだ子供たちに教えていなかったのだ。それはひとえに……須く力というものには危険が、自他共に常に纏わりついていると分かっているからだったからだ。
「よく見てて」
シスターは短くそう言うや、丸太の表面に手を当て、抉る様に掴んだ。
「な、なに……これ……」
悪ガキ三人組の一人、アーサがポツリと漏らす。それは子供達にでさえ十分伝わるほどの異常だった。
「これが、魔法……アナタ達が得んとする力の一端です」
シスターが丸太から手を放す。そこには、手の模様などという生易しいものではなく、まさに抉り取ったかのように丸太が拳大に溶・け・て・い・た・。
少年たちの喉が、無意識に鳴る。今まで自分達が何となしに揮っていた乱暴さとは、文字通り次元が違う、本物の暴力を目の当たりにしたからだ。それは少年達に、ある種の恐怖を、畏れを与えた。
だが、一人……いや、二人だけは違った。ギードと、ガラシャラだ。
(これが……本物の"力"……)
確かに恐ろしい。悪い方向へこれを使えば、間違いなくただでは済まない。それは十歳と十二歳になる二人には分かった。だが、だからこそ欲しいという思いが脳に瞬く。
「シスター! それ教えてくれよ!」
ギードは眼を煌めかせて言う。シスターはそれに対し、密かにそっと溜息をついた。
(アーサとロロ……あと隙間から覗いてるベノーの様に、少しは怖じ気づいてくれると思ったけれど……まさかギードだけでなくガラシャラまでこんな眼をして……)
やはり子供でも帝国人か、とシスターはある種の諦めを覚えた。そして、ならば自分がやるべきことは何かを、強く自覚する。
「いいでしょう。ですが教えるのは、一先ず来週の『少年兵早期訓練』が終わってからです。それまで、魔法やもう一つの力である闘気について、調べたり試してみてもいけません。いいですね?」
「えー!」
「いいですね?」
「……はーい」
ギードの漏れた不満を有無を言わさず封殺し、その場は解散となった。ガラシャラたちは見つかる前にとそそくさと食堂へ帰っていった。
そうして、子供達が去って行ったのを確認したシスターは、そのまま礼拝室の椅子に座り、深く息をついた。
「この国は……どうなっちゃうんだろ……」
様々な想いを込めて覆い隠し、密かに口から漏らす。
シスターは、ぼんやりとくしゃくしゃになった宣紙を眺めていた。
冒涜的錬成術~気弱な僕もマッドに墜ちる~ 深蒼鉄鋼 @jokerjoker999
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